エッセイ
エッセイ : 人とのつき合い方
(1975年の母です。)
人とのつき合い方 大木晴子
人は死をむかえた時、その人がどんな人とのつき合い方をして生きてきたがわかるような気が私にはする。
そう思う一人に私の母がいる。
母は、明治三十九年の生まれ、私が生まれたのは、母が四十二歳の時だった。年の離れた兄達の、
大学のサークル仲間が我家によく集まっていたのは、私が小学校に上がった頃だった。
その数は、二十数人になることもしばしばだつた。
そんな時決まって母は、豚汁やおにぎりを作り、もてなしていた。
母がにぎる三角のおにぎりは、五十個も六十個もあるのに、大きさも高さも同じだった。
それが幼い私にはとても不思議で母の手は、魔法の手に見えた。
私が、そのおにぎりに秘められた、母の平等な精神や真心を知るのは、
ずっと後になってからだった。
我家の夕食は、家族以外の人が一緒に食べている事が多かった。
近所の人だったり、兄の友人だったり、それはにぎやかで母は、
一度もいやな顔をしたりすることがなかった。
我が子と同じように自然なもてなしをしていた。
私自身が家庭をもち、人をもてなすようになって、時には苦痛をおぼえる。
そんな時、いつも変わらない母は、なんだったのだろうと思う。
母は、私が四歳の誕生日に黒いビロードのコートをおくってくれた。
そのときの母の言葉は、今でもはっきり、わらべ歌のように私の心に刻まれている。
「晴子ちゃん、お誕生日はありがとうする日よ、あなたが今日までみんなに守られ
大きくなったことをありがとうする日が誕生日なのよ」と私の目をみて、
やさしく笑みながら、可愛いコートを着せてくれた。
この時、私は人に出会い、そうして学んでいくのだと幼心に感じ取ったように思う。
母の葬儀の日、私は今までに会ったこともない大勢の方から
母の生きてきた証を聞き胸が熱くなる思いだった。
母が亡くなって、二十年。ちかごろ、私の生き方の中に母の姿を見ることがある。
とりわけ、人とのつき合い方の中に。それだけにまた、母の大きさを感じている。(おおきせいこ)
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