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反戦・平和
反戦・平和 : カザンキランさんたちは「平和」が好き!
投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-09-23 11:08:49 (15677 ヒット)


(初めの頃に差し上げた雲さんの「平和」のバッジを付け続けたカザンキランさん)

カザンキランさんたちは「平和」が好き! 

ともに過ごした人たちも「平和」が好き!   大木晴子


(このポスターの前で起きたこと)
 22日、夜の10時近く青山から家に着くとジローと野良猫ちゃんたちに食事をあげた記憶はあるのですが、どうもその後、眠ってしまいました。先日、書いた「吉永小百合さんの洗顔方法?」もしないで、夢をみながら眠り続けました。
 気がつくと小鳥たちがさえずり、散歩の犬たちの姿がみられる時間になっていました。
 昨夜の青山国連ビル前の様子を書かなければという気持ちよりは、その場やそれまでに関わってきた人たちのことを私は書きたいと眠りの中でその気持ちははっきりしました。
私は私の伝え方で、カザンキランさんたちが闘かい、勇気ある「平和」な終わり方を決断したその意味を大切に考えなければいけないと感じました。

 22日は、両親のお墓参りに日暮里へ出かけ「谷中の煎餅」をたくさん買って国会前の座り込みに一時間ぐらい参加出来そうと立ち寄りました。「街」の皆さんが頑張る少し寂しい人数でしたが参加されている方のパワーは何人分もあるので明るい座り込みでした。



 私は3時過ぎに携帯のメッセージに気づき青山へ駆けつけました。
国連ビル前のテントでは、午前中のジャマルさんが不当逮捕されたことで、皆さん沈痛な表情で話をしていました。
 若い女性にその時の様子をうかがいました。青山通りを機動隊が封鎖するという物々しさの中、ジャマルさんは、公務執行妨害で、渋谷警察署に逮捕されたそうです。そして、今日の七時にクルド人家族らが泊まっているテントを撤去するとの通告があったと・・・。
 私は迷いましたが、義父に電話を入れ今日の食事を休ませてもらうことにしてここに暫く留まることに決めました。持っていた「谷中の煎餅」を皆さんに「お米を食べて頑張りましょう」と・・・。
 テントから少し離れた場所では、「人権を認め、人間を人間として扱う民主主義の政府を即時求める」とスーチーさんとビルマの政治囚を直ちに釈放せよ!と横断幕を掲げて抗議する人々にカザンキランさんの支援者が説明をしていました。



 みんな自分で出来る事を・・・その姿には、平和を求め歩む仲間のかおりがただよいカザンキランさんたちへの何よりの力になっていると感じました。
 5時過ぎに国連の二名がガードマンを連れて通告書を読み上げました。最初に掲載したポスターの真ん前で読み上げました。支援者が「あのポスターは、外しなさい」と言う声まで飛び交いました。



 国連側が引き上げるとカザンキランさんとドーガンさん数人の人がテントの裏手に走りました。直ぐに手に薄ピンク色した液体が入ったペットボトルを手に手に持ってカザンキランさんは、頭からかぶりました。あたりにガソリンを撒いたような匂いが立ちこめました。
後でわかりましたが、電気を起こす為に使われた灯油でした。



 私も支援者のみんなは「死ぬな!」「死んじゃだめ!」と必死に彼らを止め、水を用意する人、私は直ぐに道に飛び出し通行する人たちにしっかり現状を見てほしいと訴え続けました。一人でも多く人に今の姿を見てほしいと声を出し続けました。
近くの歩道橋も国連ビル前にも人々は足を止め眼を止め始めました。
灯油をかぶった家族を止めるには、大変でした。その間、国連職員、国連が用意したガードマンは一歩も動かず、用意したホースからは家族を助ける為の水は流されませんでした。
支援者は、鍋、バケツ、フライパン、タッパーあるとあらゆる入れ物を集めて、水をくみカザンキランさんたちにかけました。命を守る為に・・・・。



 皆さんのいた背後にあった「命をみつめて」というポスターは色あせて私は見えてきました。
 私は、小林一朗さんに電話を入れ、インターネットで状況を伝え支援の人、マスコミの人にたくさん来てもらえるよう呼びかけをお願いしました。さすが小林さん、直ぐの対応にここでも平和へ歩む人と人が繋がっていると信じあえることが嬉しかった。

支援者は、マイクを握り、訴え続けます。



 少しカザンキランさんたちに落ち着きが感じられるようになった頃、マスコミ各社も上空にはヘリコプターも飛び、人々も集まり始めました。西口の意思表示で会うKちゃんは、遠い群馬から小学生の息子さんを連れて駆けつけました。以前にも訪れていた親子は、ドーガンさんのメルベちゃんと直ぐにテントの中で遊び始めました。騒動の中、この光景は私には救いでした。
 取り巻く人々の中にも感動場面はたくさんありました。
 私たちは,一番離れたところから見守っている人たちにいつもここで寝泊まりをして支援を続けてきた沖縄出身の青年Kさんが涙を流しながら訴え、そしてライターのお仕事をしている男性、私も思いを伝えました。配るチラシも国連が張ったロープで渡せないと人々は自分から進んで受け取りました。
 私は、心の中で「それでも良い」足を止め、眼を止めて自分からチラシを受け取る「なんて素晴らしいこと」と叫んでいました。その気持ちを大きく育てましょう。一緒に平和に繋がるように・・・と。
その中にいた男性が言いました。
 「私は近くのビルで働いています。あの難民の皆さんは、なにも悪い事はしていない」毎日毎日、72日間声をからしながら訴えつづけた家族のことをそう話しました。
ほんとうに、嬉しかった。
 国連が用意したガードマンの前には、若者たちが立ち行動の阻止を願い、涙を流しながら訴える姿がありました。
側では、高校生がその言葉を真剣な表情で聞いていました。
また、保育の勉強をしている娘さんは、子どもたちへ可愛いキャンデーをプレゼント。みんなみんな優しい眼差しでした。
 カザンキランさんの可愛い娘さんたちも一生懸命父親の事を説明しました。親を信じて共に時を闘い抜いたその姿に多くの事を学ばせてもらいました。また彼女たちを支えた学校の先生にも頭が下がり、子どもたちと一緒に「東先生!最高!」と一緒に先生コールをしてしまいました。



 ドーガンさんの身元引受人になっていらっしゃる国会議員の福島瑞穂さんもいらして弁護士の方と一緒に話し合いがもたれました。
その結果、「平和」な生き方を望むカザンキランさんたちは、自主的に座り込みを解除して72日間の国連ビル前での抗議行動は終わりました。



 これからも家族の「平和」を求める戦いは続きます。





 この子どもたちの未来が本当の「命をみつめる」という言葉が活き活きと感じられる世の中になるように祈り、私は自分に出来ることをして行きたいと願いながら家路につきました。(おおきせいこ)
 ムキンポさんのサイトも訪ねてください。

http://www.mkimpo.com/diary/2004/kurd_sit_in_2004.html

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