エッセイ
エッセイ : 「私のレシピ」ぷりぷりポテトサラダの話し!
ぷりぷりポテトサラダの話し! 大木晴子
「私のレシピ」に「ぷりぷりポテトサラダ」を載せました。
このポテトサラダは、我家では「谷村さんのぷりぷりポテトサラダ」と言っています。
谷村彰彦さんは、連れ合いと同じイノシシ生まれ、二年前に若くして亡くなられました。
谷村さんのお仕事はグラフィックデザイナーでした。
装幀だけでなく本文、図版レイアウトなど書物全体をブック・デザインして素敵な本をたくさん拵え、
亡くなられた後も作品を通して私の中に生き続けています。
背の高い谷村さんは、153センチの私と話をする時はまるで親キリンが子どもを見るように
長い首を曲げて黒い大きな優しい瞳で話してくださいました。
いつも穏やかな笑顔でおられる谷村さんは、素敵な方でした。
パソコンの側には、告別式の時にいただいた谷村さんが装丁をされた「手紙の書き方」(三省堂)を
何時も置いて私はページを開ける度に思い出したりするのです。
その谷村さんのお通夜で受付のお手伝いを終え皆さんと一緒の席につくとテーブルの上には、
仕出しの料理やお寿司などの間に置かれた器と美しいハーモニーを奏でている数品の料理に眼が止まりました。
「手料理だ。どなたが作られたのだう」「きっと、谷村さんがお好きな料理だったのかなぁー」と
思いながら私の目の前にあった「ポテトサラダ」を一口。
滑らかな優しい味が口の中で広がりました。今でもその味を思い出す事ができます。
もう一口、もう一口、もう一口と気がつくとお皿のポテトサラダをほとんど食べてしまいました。
ここまで食べても何だろうという疑問は解けずにいると、和服姿の方が一品を持って私の隣に座り、
「気に入られましたか」「谷村さんが大好きなサラダでしたのよ」と新しい「ポテトサラダ」に置き換えながら言われました。
「ええ、美味しいです」「この滑らかで優しいポテトは私が作るものと何処が違うかずっと考えているんですけどわかりません。」
と私はきっと寂しそうに言ったのだと思います。
その女性は、暫く考えて私の耳元に口を寄せて「企業秘密ですが」
とおつしゃって作り方を教えてくださいました。
私は、緊張しながらしっかり覚えなければと一言一言を噛みしめながら聞きました。
次の日に拵えたポテトサラダは近い味に作る事ができました。
連れ合いと相談して、入っているボイルしたエビがぷりぷりなので
「谷村さんのぷりぷりポテトサラダ」と名前をつけました。
我家で何回も、何回も作りました。もう私の味になったと思いますので・・・。
さぁ、耳をかして下さい「企業秘密ですがそっとお教えします」
「私のレシピ」を訪ねてください。(おおきせいこ)
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