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反戦・平和
反戦・平和 : 「広場になったなぁ?」と思った日、哀しい知らせが・・・
投稿者 : seiko 投稿日時: 2008-04-13 12:23:40 (2016 ヒット)



「広場になったなぁ?」と思った日、哀しい知らせが 大木晴子

少し重いけどMさんに作っていただいたスタンドを持って
元気に西口地下広場につながる改札を出ると直ぐに目に
飛び込んで来た光景を見ながら「広場らしくなってきたなぁ?」それは昔、
反戦フォークソングを初めて歌い出したときの雰囲気に似ていた。
優しい眼差しが注がれたマリオネットは軽快に身体を動かしていた。
地下広場には似合う!
人々が大らかに受けとめていけるといいなぁ?と思う。
“直ぐに切れる若者”そして最近では“直ぐに切れる老人”とか
言われて人々がキリキリしなくては生きてけないような社会情勢の中、
私たちが育てていかなければならない心をこのような光景は
学びの場の一つになるのではないでしょうか。
5時近くになりました。
急いで地上に上がると雲さんが 沖縄支援のプラカード
持って立たれていました。




K島さんが立たれ、今日が二回目の五十嵐暁郎さん、Aさんが次々に・・・。
話しかけられる皆さんに雲さんは、沖縄辺野古や高江のことを知らせる
メッセージカードを差し上げています。
地上が終わる時間に到着したSさんと一緒に
6時、広場に移動します。



Sさん、久しぶりに一時間のスタンディングになりました。
何時も仕事先から飛んでくるのです。
1分でも5分でも諦めないSさんに頭が下がります。






五十嵐暁郎さんは、 「立教九条の会」 の呼びかけ人のお一人です。



斉藤さんが初めて広場に立たれた時に書かれたプラカードです。
「名護・辺野古 米軍基地 建設反対」と書かれたプラカードを
持つ手から力強い、粘り強い、思いが伝わってきます。
かわらないと言えばKさんのプラカード も広場にとけ込んでいます。




OさんもKシスターも立ちます。
この柱には、K松さんもよく立っていました。
ふと思っていたら涙をふきながら私の前にご婦人が来られました。
直ぐにK松さんこと小松ミツさん の妹さんだとわかりました。
3月29日にお亡くなりになったと伺い小松さんに「ありがとう」の
気持ちと熱い涙が込み上げてきました。



Oさんも涙ぐんでいらした。
小松さんにとってこの地下広場は、生きる力になっていたと
お話を伺って私たちはとても嬉しかった。



小松さんの思いを、妹さんはカンパを広場に届けて下さいました。
この大切な一万円のカンパは、これから届ける様々な支援カンパの中に
500円ずつ小松さんのカンパとして入れさせていただきます。
何時も一緒に平和を育んでいきたいとおもいます。



私のプラカードは、昨日に出たあまりにも酷い裁判判決にしました。
2004年2月27日、立川自衛隊監視テント村の
「家宅捜索6件、逮捕者3名」のニュースを見て直ぐに
立川反戦ビラ入れ支援カンパ箱 を作った日の気持ちを
今でも色あせること無く持ち続けています。
この時、これは私たち個の原点、しっかりと見つめて行こうと自分に誓いました。
これでもか、これでもかと押し寄せる権力の暴挙に
私は、大らかに背筋を伸ばし自分流に向き合っていきます。
大好きな子どもたちの未来に美しい虹を感じることができるように
ひとりの大人として優しい笑顔で頑張りたいとおもいます。
さぁ、あなたは・・・何を始めますか。
(08-04-13・おおきせいこ)

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