エッセイ
エッセイ : エッセイ 「『しのぶ寿司』・・・義母とのほろ苦い思い出」
『しのぶ寿司』・・・義母とのほろ苦い思い出 大木晴子
私は1975年の春に結婚をした。
南へ北へと取材で飛びまわる連れ合いとの生活にも慣れて来た頃、
運動会の準備で忙しい幼稚園の仕事を終えて帰宅すると電話が鳴った。
実家の母からだった。
「疲れた声ね、大丈夫。夕食は・・・」
まだ,食欲が無いからと応えると
「ダメよ。食べていらっしゃい。近くにお寿司屋さんないの!」
と背中を押すような元気な声が私の身体の中を走った。
「う〜ん、あるけど・・・」
「じゃ、直ぐに行って好きな物を食べていらっしゃい」
母は、今度家に来たときに払うから何でも食べなさいと言って電話を切った。
私はお寿司なら食べられそうとおもい近くの『しのぶ寿司』へ出かけた。
カウンターに座ると大好きなウニとトロを頼んだ。
二つを食べ終わった時、カラカラと入口の戸が開いた。
何気なく戸口を見た私は、背中が一瞬、凍った。
立ち上がったが、言葉が出なかった。
そこには、義母が風呂敷に包んだ大きな寿司桶を抱えて立っていた。
義母も目を丸くして言葉が出ない様子だった。
まるで、映画のワンシーンのような場面は無言のまま終わった。
義母が帰り、私は店の人たちに新入りの大木の家族であることを告げた。
この日、来客があり寿司を届けたことを板前さんから聞き、
何時も義母は桶を返しにくることも教えてもらった。
運が悪かった。
今でもそう思うことがある。
家に帰ると母に電話をかけた。
ようすを聞いた母は、一言だけ言った。
「今晩お風呂は、頂いて来なさいね。」・・・と。
この頃、連れ合いの実家から1〜2分のところに間借りをしていた。
お風呂は、何時も義父が出る頃に行っていた。
母に言われたように風呂の準備をして家の前まで行った。
でも、なかなか入れなかった。
行ったり来たりと何度も坂道を歩いた。
当時、凹凸の路面の感触を今でもよく覚えている。
そして、大きな深呼吸をして「こんばんは」と勝手口をあけた。
義母は夕食の片付けをしていた。
「さっき、お母さまからお電話を頂きましたよ」と義母が言った。
何も言葉を返せぬままこの日の思い出は私の心のタンスに仕舞われた。
暫くして実家へ行くと母が義母の大好きな煎餅を立派な缶入りで用意していた。
それから15年近くが経ち義母が亡くなった後、
タンスの上に置かれていたこの缶を見つけた。
蓋をあけるとそこには、私が毎年誕生日に作り義母に贈った
色あせるまで使われたエプロンがきれいに並べられていた。
時が流れ私の中でクッスと思い出し笑いをしてしまう『しのぶ寿司』でのワンシーンは、
義母にとってもきっとほろ苦い思い出だったのではないだろうか。
(08-07-27・おおきせいこ)
(2002年ベトナム、早朝の公園で花を売る人)
★今日、7月27日は、義母の命日です。
1989年、美空ひばりさんと同じ年に亡くなりました。
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