エッセイ
エッセイ : 『鈴木一誌・エッセイ』第三回 装われた<下層化>
『鈴木一誌・エッセイ』第三回
装われた<下層化>
満員電車はごめんだが、適度な乗客数の電車に乗るのはおもしろい。車内吊りで雑誌広告を見たり、景色を楽しむいっぽう、やはり人間観察がおもしろい。どのように時間をやりすごしているのか、どんな本や新聞を読んでいるのか。ゲームもしくは居眠りが多い。わたしが20年ほど前に装丁した本を読んでいる若者を見かけて、おどろいたこともあるし、座席一列の全員が、ジーンズ姿でケータイ画面に見入っていた光景もある。
総武線が市ヶ谷近辺を通過する際、今風の格好をした若い女性が、「あの川、なんて川?」「知らないよ」と、外濠を指してしゃべっている。どこからやってきたひとなのだろう。話かわって下北沢に向かう小田急線、窓際に立っているふたりの若い男性に目が引き寄せられる。なぜ彼らに関心が吸引されたのだろう。服装はこざっぱりしていて、スキがなく、靴から腕時計、髪型までオシャレにきまっている。このふたりがかくも目立つのは、視点を変えれば、彼ら以外の若者が小奇麗ではなく、小汚いせいではなかろうか。こんなことを考えながら、電車に揺られていた。
激動の1960年代を、「名もない一般の下層に住まう人間が文化や流行を左右するようになった時代」だとする見方がある。今井啓子は「1920年代と1960年代は、どちらも若者がファッションをリードしましたが、二つの年代の決定的な差は、20年代が一部上流階級の若者が中心だったのに対し、60年代は、名もない一般の若者だったことです」(『ファッションのチカラ』ちくまプリマー新書、2007年)と書く。ミニスカートの女王ツイギーの来日が67年だ。ビートルズの登場は、ポップ・カルチャーが「階級の壁を破って、下層からあらわれた」(海野弘『二十世紀』2007年、文芸春秋)象徴であった。
昨今の若年男性のファッションがいっせいに<下層化>しているのには、だれもが気づく。擦り切れたジーンズにはじまって、鳶職人風のダブダブの作業ズボンや○○醤油店といった前掛けを仕事中でもないのに身に付けている。鳶職や醤油店はけっして<下層>ではないのだが、<労働>がファッション化され、<下層>が演出されている。このファッションの<下層化>は、その基底になんらかの<抵抗>を潜めていると思わざるをえず、対抗文化的である点では1960年代と地続きだし、1960年代に責任の一端があると言えよう。しかし、先ごろ見かけたのでは、上から下まで旧制高校ふうという例があった。ツンツルテンの学生服姿、裸足で高下駄を履き、唐草模様の風呂敷包みを持っていた。ここまでくると、<学園もの漫画>のコスプレなのではないかとも感じられ、その抵抗がどのくらい現実に根ざしているのか、考えこむ。
小田急線のふたりにもどろう。観察をつづけていると、なにか変な感じがする。片方がもうひとりの肩に手を回したりして、奇妙にスキンシップ的なのだ。やがてふたりが英語をしゃべっているのが聞こえてくる。ここからは想像だが、カリフォルニアあたりの大学生が、祖父の地を訪ねてきた。あるいは、容貌が日本人のように見えるだけで、単なるリッチな観光客なのかもしれない。そしてとつぜん思い当たる。彼らは、かっての太陽族の再来なのではないか。およそ50年前、ふつうの若者にとって、湘南を遊びまわる太陽族は、この英語を話す彼らのように小奇麗に見えたのではないか。 グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)
(撮影:大木茂)
『鈴木一誌・エッセイ』第二回
『鈴木一誌・エッセイ』第一回
「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』NO106(2008年02月発行)に
掲載されたエッセイを筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
09-04-13(おおき せいこ)
装われた<下層化>
満員電車はごめんだが、適度な乗客数の電車に乗るのはおもしろい。車内吊りで雑誌広告を見たり、景色を楽しむいっぽう、やはり人間観察がおもしろい。どのように時間をやりすごしているのか、どんな本や新聞を読んでいるのか。ゲームもしくは居眠りが多い。わたしが20年ほど前に装丁した本を読んでいる若者を見かけて、おどろいたこともあるし、座席一列の全員が、ジーンズ姿でケータイ画面に見入っていた光景もある。
総武線が市ヶ谷近辺を通過する際、今風の格好をした若い女性が、「あの川、なんて川?」「知らないよ」と、外濠を指してしゃべっている。どこからやってきたひとなのだろう。話かわって下北沢に向かう小田急線、窓際に立っているふたりの若い男性に目が引き寄せられる。なぜ彼らに関心が吸引されたのだろう。服装はこざっぱりしていて、スキがなく、靴から腕時計、髪型までオシャレにきまっている。このふたりがかくも目立つのは、視点を変えれば、彼ら以外の若者が小奇麗ではなく、小汚いせいではなかろうか。こんなことを考えながら、電車に揺られていた。
激動の1960年代を、「名もない一般の下層に住まう人間が文化や流行を左右するようになった時代」だとする見方がある。今井啓子は「1920年代と1960年代は、どちらも若者がファッションをリードしましたが、二つの年代の決定的な差は、20年代が一部上流階級の若者が中心だったのに対し、60年代は、名もない一般の若者だったことです」(『ファッションのチカラ』ちくまプリマー新書、2007年)と書く。ミニスカートの女王ツイギーの来日が67年だ。ビートルズの登場は、ポップ・カルチャーが「階級の壁を破って、下層からあらわれた」(海野弘『二十世紀』2007年、文芸春秋)象徴であった。
昨今の若年男性のファッションがいっせいに<下層化>しているのには、だれもが気づく。擦り切れたジーンズにはじまって、鳶職人風のダブダブの作業ズボンや○○醤油店といった前掛けを仕事中でもないのに身に付けている。鳶職や醤油店はけっして<下層>ではないのだが、<労働>がファッション化され、<下層>が演出されている。このファッションの<下層化>は、その基底になんらかの<抵抗>を潜めていると思わざるをえず、対抗文化的である点では1960年代と地続きだし、1960年代に責任の一端があると言えよう。しかし、先ごろ見かけたのでは、上から下まで旧制高校ふうという例があった。ツンツルテンの学生服姿、裸足で高下駄を履き、唐草模様の風呂敷包みを持っていた。ここまでくると、<学園もの漫画>のコスプレなのではないかとも感じられ、その抵抗がどのくらい現実に根ざしているのか、考えこむ。
小田急線のふたりにもどろう。観察をつづけていると、なにか変な感じがする。片方がもうひとりの肩に手を回したりして、奇妙にスキンシップ的なのだ。やがてふたりが英語をしゃべっているのが聞こえてくる。ここからは想像だが、カリフォルニアあたりの大学生が、祖父の地を訪ねてきた。あるいは、容貌が日本人のように見えるだけで、単なるリッチな観光客なのかもしれない。そしてとつぜん思い当たる。彼らは、かっての太陽族の再来なのではないか。およそ50年前、ふつうの若者にとって、湘南を遊びまわる太陽族は、この英語を話す彼らのように小奇麗に見えたのではないか。 グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)
(撮影:大木茂)
『鈴木一誌・エッセイ』第二回
『鈴木一誌・エッセイ』第一回
「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』NO106(2008年02月発行)に
掲載されたエッセイを筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
09-04-13(おおき せいこ)
- 『鈴木一誌・エッセイ』第23回 キャンセルという観察点 (2014-04-08 00:13:57)
- 『鈴木一誌・エッセイ』第22回 人工と自然 (2014-04-07 23:18:01)
- 『鈴木一誌・エッセイ』第21回 年賀にマスクを (2014-02-12 23:02:15)
- 『鈴木一誌・エッセイ』第20回 言葉ということば (2014-01-09 00:21:22)
- 『鈴木一誌・エッセイ』第19回 空気のようなデザイン (2014-01-03 00:03:45)
- 『鈴木一誌・エッセイ』第18回 書店に行こう (2014-01-02 23:53:59)
- 「義母の想い出・・・・英語とカーディガン」 (2012-12-07 15:24:08)
- 『鈴木一誌・エッセイ』第17回 脆さの強さ (2012-12-03 21:33:22)
- 『鈴木一誌・エッセイ』第16回 大阪がおもしろい (2012-12-02 21:54:04)
- 『鈴木一誌・エッセイ』・第15回 鏡餅完売 (2012-09-13 00:38:49)
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