エッセイ
エッセイ : 「ある友人-棺に収められた人形」
「ある友人-棺に収められた人形」 大木晴子
柩に横たわる母の足元に振り袖を着た人形が納められ、
私の左手が母の胸もとにそっとおかれている・・・。
私のアルバムには、そんな一枚の写真がある。
朱色の着物を着たこの人形は、背丈が五十センチから六十センチ
くらいあり、前髪をたらし黒髪が肩まで届き、
かすかな笑みを目と口元に感じさせる。
彼女は、いつも母の部屋にいた。
私と十五歳違う兄が生まれた時に買ったというこの人形は、
当時、「久月」の一番弟子といわれていた職人さんが
作ってくれたと母がよく話していた。
里帰りしたある日、私は母に「この人形いつか私に頂だいね」
となにげなく言った。
母は真面目な顔をしてこう答えた。
「だめ。この人形は私が連れていくのよ私が死んだらかならず、
柩の中に入れてね。この子は、私と一緒に生きてきた。
あたしの人生をずっと見つづけてくれたわ」。
彼女を見つめる母のまなざしは、
まるで、信頼に満ちた友を見るように暖かく感じられた。
私が大人になって知ったのだが、父には別宅があり、
ヤスさんという人がいた。
母は父より一年早く亡くなったこの人の命日に
花を飾り線香をたむけていた。
いつも穏やかで人をとやかく言うことがなかった母だが、
きっと、嫉妬したり涙をいっぱい流したい時があったに違いない。
母はそんなとき、この人形に話しかけていたのではないだろうか。
母を優しく包みこんだ彼女は、母にとってかけがえのない
友人の一人だったと私は思う。
母が柩に納められた。
「晴子、お母さんの人形をいれたぞ」という兄の声がした。
私は「お母さん、一緒でよかったね」と、
そっと胸元で組んだ母の手をにぎった。
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