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西口通信
西口通信 : 大内田圭弥監督に見つめられ!(訃報) 
投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-22 00:00:47 (3103 ヒット)


大内田圭弥監督に見つめられ!      大木晴子
私が大内田監督と最後に言葉を交わしたのは、2003年の秋。
監督がかけてくださった電話でした。
その時、私が新宿西口地下広場で反戦意思表示をしていることを「嬉しく思っています、頑張ってください」と言って頂きました。
「いま、身の周りのモノを整理しているのでいただいた本も皆さんに戻しています。それでお連れ合いの「ヨーロッパ汽車の旅」等と
手元にある「地下広場」のビデオ3本を送ります。」というお電話でした。
そしてこの時、私は監督に西口での行動が一年続いたら「地下広場」を見て話し合いが出来る集会を
「私が言い出しっぺになってやりたいと思っています」と伝えました。
監督は、「それは、良いですね」と・・・電話の向こうの優しい笑顔を感じながら監督のお声を聞いていました。

大内田圭弥監督は、2003年、12月22日、 天国へ旅立たれました。
昨年の暮れに1月31日の詳しいお知らせをしたいと監督にお電話をしました。
その時に奥さまから、監督が亡くなられたことをお聞きしました。
監督の強いご意思とご家族のお考えで一ヶ月ぐらいは、静かに誰にも知らせずにいたいと伺い、私は、祥月命日にあたる今日、22日に
「明日も晴れニュース」で書かせていただくことを奥さまにお許しをいただきました。
奥さまに、監督のお歳や経歴などをおたずねしましたが、「大内田は、あまり自分の事を語らない人でしたから、
大木さんが感じた大内田のことを書いてくださればそれが一番良いとおもいます。
大内田は歳のわりには、若く見られるようで本人もそのことは、嬉しかったようです。」と言われました。

監督に初めてお会いしたのは、1969年から25年が経った1994年でした。
「地下広場」の上映会を企画し、フイルムをお借りするため新宿の喫茶店でお話をしました。
監督は、最初にこう言われました。
「大木さん、映画の中には大木さんの歌声はたくさん聞けるけど、映像が少ないでしょう。
それは、あなたが若い娘さんでこれからお嫁に行く娘さんだったのでたくさん入れなかったのです。
フイルムにはいっぱい写っていたんだけどね」と素敵な笑顔で言われました。
私は、その時なんて心根の優しい方と思いました。
映画を見て感じる、映像を撮る側の位置、監督が大切に思って撮られた心の原点をこの時に感じることが出来ました。
何時も大衆側でカメラをまわし、地下広場の人々の生き生きとした表情を描き出しているこの記録映画は、現在の社会に投げかけるものは大きいと思います。
2004年1月31日で一年をむかえる反戦意思表示。私は「地下広場」の上映会とティーチインそして6時からの意思表示をしたいと思います。
大内田監督そして「地下広場」の記録映画に出会えたことを心から感謝し、
これからも、監督に見つめられ反戦・平和への道を歩み続けます。
(おおきせいこ)

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