エッセイ
エッセイ : 『鈴木一誌・エッセイ』・第13回 バランスのデザイン
『鈴木一誌・エッセイ』・第13回
バランスのデザイン
およそ二〇年前、はじめてキーボードに触ったときのことを思いだす。マシンへと差しこんだフロッピーに名前を入力しようとするのだが、めんどうでしかたがない。たった数文字なのに、といまなら思うのだが、当時のあの億劫さはなんだったのか。
左不のキーが「QWERTY」と並んでいる、「QWERTY(クワーティ)配列」のキーボードを、多くの人間がそうであるように、わたしも使いつづけてきたが、この配列は、アメリカのタイプライターの歴史にさかのぼる。金属活字を叩きつづけるタイピストたちを調査し、各キーの使用頻度にもとづいて、おおざっぱに言えば、頻度の高いキーは中央に、低いキーは周辺に並べられたらしい。この配置に辿りつくまでには、メーカー間の熾烈な競争があった。QWERTY配列が成立したのは、一八八二年である。
一〇〇年以不も前のキー配列が、なぜコンピュータのキーボードに踏襲され、いまだに使われているのか。また、使用頻度の調査は、英語を前提にしたはずで、日本語とはなんの関係もない。にもかかわらず、日本語を打つわれわれまでがQWERTY配列を使っているのはどうしてなのか。このあたりの事情は、『キーボード配列QWERTYの謎』(安岡孝一・安岡素子、NTT出版、二〇〇八年)に詳しい。とりあえず、つぎの点を押さえよう。QWERTY配列は、いま日本語をローマ字入力するには、利点はほとんどない。キー配列の理由を考えても意味がなく、ひたすら覚えこむほかない。
キーボードは、一見、だれにでも操作できるわかりやすい装置に思える。使用者とコンピュータを介在させる標準的なインターフェイスとして、広く使われている。だが、キーボードには分厚い前提が貼りついている。タイプライターの入力装置をパソコンに援用したこと、英文の入力装置を日本語に流用したこと、ゆえにQWERTY配列には意味がないこと、などである。これらの前提を見ないふりをして、「ひたすら覚えこむように」とのなかば命令が、パソコン初心者の前に立ちはだかる。たとえば「A」が、なぜこの位置にあるのか、論理的に覚える手がかりはない。初心者は、ひたすらキーを探すことになる。これが、あのころの億劫さの正体だったのではないか。
二〇年このかた、キーボード配列はまったくと言ってよいほど変革されていないにもかかわらず、操作に慣れてしまった。キーを探して叩くことが楽になったのではなく、めんどうくささに慣れてしまった。そしていまでは、キーボードを手放せない。
慣れが、多くの前提を見えなくしている例は、身の回りにおびただしくあるはずだが、なかなか見えてこない。デザインの新しさとは、その慣れを見せてくれるものを言う。そのいっぽうで、慣れをまったく無視した新製品だとしたら、使いにくくて実用にならない。慣れと変革の微妙なバランスこそが、新しくも、古臭くも見せる。慣れのバランスを変えるとき、新たなデザインが生まれる、とも言えそうだ。
わたしは、さっぱりダメだが、多くのひとが、携帯電話で文字列を打つのに慣れている。そのうち、携帯電話のキー配列がQWERTY配列を凌駕するかもしれないし、キーボードをまったく必要としないインターフェイスが出現する可能性もある。慣れ親しんだ〈家族〉や〈家〉のイメージも、そろそろ使用期限を過ぎつつある気がする。〈国家〉はどうなのか。組み合わせを変えずにバランスを変える、そんな観点から、周囲を見回してみたい。
グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)
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「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』116号(2009・10・01)に
掲載されたエッセイを筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
(写真撮影:大木晴子)
12-05-16(おおき せいこ)
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