みんな表現の自由!

投稿日時 2003-10-11 14:39:58 | カテゴリ: 反戦・平和

今日も昼前から駒沢公園にジローとプラカードを持って意思表示してきました。
夕方からは、新宿西口に出かけます。
今日は、先週の出来事がありましたので表現の自由を強く意識して「花束」を
プラカードと一緒に持って立ってきます。今夜の報告は、明日の朝にはお伝えしたいと思います。明日も訪ねてください。

今日、KY生さんからの5日渋谷で行われた集会デモのメッセージが送られてきました。皆さんに是非、読んでいただきたいので許可を得て掲載いたします。

**路上解放、デモも街頭反戦意思表示も、みんな表現の自由**
KY生@ アウトドアエクササイズ派 です。
10/5 サウンドデモのシンポジウムの時に、レイブ、路上解放の意味というのをしっかり教えてもらった (摂津さん、真ん中に陣取っておられましたね)
乱暴に言ってしまえば 「街路を、広場を、 民衆の手に取り戻せ」ということ、路上を解放して皆で踊りまくるというのは、その権利の一つの表現で、とりもどす闘いなんだということだ。
 今の、道路というのは、グローバルな大企業が使いやすいように設計され、大企業の一方的なメッセージが広告と言う名のもとに氾濫している。それを誰も拒否できないし、懐疑をさしはさむような市民の声を出すところも無い。
道路、広場は一方的に略奪されている状況である。 
グローバル化の名のもとに、大企業が金にあかせて使い放題という構図でる。
商売のためのチラシ配り、ティッシュくばり、サンドイッチマン、物売りは黙認するのに、署名行動、政治的メッセージを有するビラくばりや行動などは,厳しくチェックされる。 
本来、憲法の柱である基本的人権のひとつの「表現の自由」そのものが、公安条例や道交法で制限されている。 
 それのアンチテーゼとして、ストリートパーティー、レイヴデモが試みられてきていると言っていい。
 路上を民衆の手に取り戻すという行為はみんなの共感を呼ぶ。だから人がどんどん増える。お祭りや一般参加の阿波踊りと一緒。
それで機動隊でも登場させないと、皆のエネルギーは止められないというわけだ。
デモ行進も本来、民衆が「表現の自由」として、「(政治的主張を)街路の真中で表出する」ものであり、第一級の基本的人権として、「片側一車線」とか、「はやく歩け」というような制限が加えられるべきものではないのだ。
道路は車のためのものではないし、車はとめても良い。道路は交通止めにしても良い。
それぐらい基本的人権は大事なのだ。 
だから欧米では、日本のようなデモ行進規制はしない。
10.5のサウンドデモをプラカード、政治的メッセージが少ないということをもってネガティブに捉えることは間違っているとおもう。
実態は、憲法の基本的人権のところで激しく権力、国家とせめぎあっているのだ街頭反戦意思表示も真髄は一緒だ。
政治的主張を個人が自由に意思表示する。
それを路上でも、広場でもやる。
 テッシュ配りに、キャッチセールスに占拠されている空間を「静かに物を考える空間」として市民の側に取り戻すこと。
それなのだと思う。 
 「個人の表現の自由を我々の手にとりもどすこと。そしてそれを実際に行使して見せること」が問われているだと思う。
 意識はしないものの、憲法を実践する行為になっている。
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1946C.html
から
第九十七条【基本的人権の本質】
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第十一条【基本的人権の享有と性質】
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十九条【思想及び良心の自由】
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】
1  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第九十九条【憲法尊重擁護の義務】
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
デモについてもう少し、
http://www.shonan-inet.or.jp/~kuri/
「栗原幸夫」氏のホームページ にある
http://www.shonan-inet.or.jp/~kuri/hyouron_4/hansen.html
「反戦運動は今も昔もデモから始まる」 より 「うんうん」と思える部分をすこし
引用しておく。
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前略
表現の自由というのは絶対的なことなんですよ。
だけど、「非暴力のデモ」ということが、ともすると反戦の
表現の自由よりも「逮捕されるようなことはしちゃいけな
い」ということになりかね覆い錣韻諭
もちろん逮捕には断固として反対ですが、実際は積極的に
捕まることも前提とする行動はあるわけ。
非暴力直接行動というのはそうですから。

 六〇年代のベトナム反戦闘争のなかで「非暴力直接行動」
という考え方が出てきたわけね。
つまりぼくたちはぼくたちの反戦の要求をだれかに委任して
実現しようとするのではなく、直接それを表現し、直接その実現を
行動によってたたかうという考えです。

ぼくたちは「非暴力直接行動委員会」というのをつくったんですけど、
たとえばみんなでアメ大の門の前に行って、パッと座っちゃうとかね。
そうすると、すぐに警察が飛んできてごぼう抜きでやられちゃうけど。
とにかく直接身体で表現しましょうということなんです。
そういう意味ではデモも本質的には直接行動なんですよ。
だけどね、そういうのはイヤだという人もいるわけ。
絶対に捕まらない行動で、警察が「ここはいけない」と言ったら向こうの
言うとおりに従う。
そういう人もいるわけだよ。

だけども、そういう人たちを批判しないわけ。
そのように言う人にはそういうデモをやってください、だけどその次の隊列は、
座り込みとかフランスデモをやりますよ。
それをやりたい人は次の隊列に入ってください、と言ってやる。(笑)

 ベ平連の中期以降、学生はヘルメットをかぶって入ってきた。
デモといえばジグザクデモしかやらないというんだね。
それは、そういう時代なのね、学生の表現としては。それに対しても
「結構です、やってください」となる。
 その場合、静かなデモをやりたいグループがあれば、それはそれで
ひとつの隊列をつくる。
そのあとにもっとはげしい行動をする隊列をつくる。
しかしけっして前の隊列を巻きこまない。
前の隊列も後の隊列が警官に弾圧されるのを見捨てて先に行ってしまう
ようなことはしない。
立ち止まって目撃する証言者になる。
そういうふうに、同じベ平連のデモなのだけど、その中でいろいろな形態のデモが
あった。
ぼくはそれはとてもよかったと思う。
お互いに非難しないんですよ。
そして、やりたいこ箸鬚笋襦

以後 略
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