2004年6月15日、国会南通用門へ

投稿日時 2004-06-18 10:29:20 | カテゴリ: 反戦・平和

2004年6月15日、国会南通用門へ。 大木晴子
私はこの日、渋谷のお花屋さんで向日葵が一輪入ったアレンジ花を買いました。
なぜ、向日葵かと言うとそれは、小林トミさんを思い出していたからです。そう今日は、1960年に権力によって殺された樺美智子さんの命日です。
小林トミさんは、亡くなられるまで毎年この日は「声なき声」の会の集まりをもち、集会後に皆さんで国会南通用門へ献花をしてこられました。
今年は、トミさんがいない2回目の献花でした。いつも向日葵の花のように明るく、優しく、大らかに歩まれたトミさんが私は大好きでした。
池袋の勤労福祉会館で行われた集まりは、最高齢90歳の方から20代の若者30人ぐらいの参加者でした。


司会をされたYさんから「今日は、戦争について思うことを話していただきます」と言われ最初に哲学者の鶴見俊輔さんが話されました。国家が全てではない。社会の中から生まれ出てくるものが大切、日本は悪いと幼い頃から思い今もそれは変らないと・・・。戦争中は「自分は殺すまい」と思い、戦後非暴力のかたちで行動しょうと思いやってきたこと、そして隠居したい歳になったが今の日本はそうはいかない、もう一度小田実さんたちと頑張ると力強いメッセージでした。
続いて最高齢90歳のHさん、60年安保のとき46歳。銀行員だったHさんは、毎日デモに参加して服にかぎ裂きを作り、どろどろになって帰ったそうです。幻のように消えてしまった20万、30万人という人、そしていま当時の大衆の心理状態が似ているように感じると話されました。














市民の意見30の会・東京の吉川勇一さんも今の日本人の想像力の欠如、もののとらえ方に警鐘を・・・。今日の発言は、近く「声なき声」のニュースで報告が出されるようです。
私は、この6月15日に拘りをもちバンダナの販売日にしたことをお話をさせていただきました。
会が終わるとバンダナをと声をかけていただきました。鶴見俊輔さんも素敵ですねと言って「雲さんの平和」・「明日も晴れのPEACE」を買っていただきました。
この後、地下鉄で移動して国会南通用門へ。












南通用門には、社会民主党 党首(参議院議員・全国比例区選出)福島みずほさんも参加されていました。
献花をした後、皆で黙祷を捧げました。






















静まり返った国会周辺、昔この国会を取り囲み自らの心の叫びをあげた人たちは・・・いま何を考えているのでしょうか。次々に国民の声など聞かずに決められていく法案、簡単に約束をしてしまう国のトップに何も言わないのですか。(おおきせいこ)







※ 今日の集会には、韓国で環境問題など市民活動をしているグリーン・コリアのメンバーが取材されていました。60年のあの時代を検証するためです。お話を伺いその姿勢に学ことが多々ありました


※ 6日に掲載した「地方紙の記事・・・」の続きです。

時事通信のS記者から各地の掲載紙の一部を送っていただきました。記事の内容や掲載されて大きさはみな同じようでしたが、面白かったのは、それぞれ違う見出しでした。

★釧路新聞(3/26)「地下広場や路上・持続させる「怒り」・ 届き始めた無関心への微風」

★ 福島民報(3/27)「無関心、無感動へ微風?東京地下広場に今も「怒り」の声」

★ 岩手日日(4/7)「もっと怒りや反対の意思表示しよう・届き始めた無関心無感動への微風」

★ 河北新報(3/29)「フォークゲリラ体験の50代女性ら・静かな「怒り」継続」「時代・世相に危機感?街頭で無言の訴え再開」

★ デーリー東北(4/8)「社会に向け意思表示を・路上の抗議行動が復活」

★ 八重山毎日新聞(4/13)「届き始めた無関心無感動への微風」

★ 岐阜新聞(3/30)「『反戦』のプラカードに無関心の一方微風も・東京・新宿西口の地下広場」

★ 山陽新聞(4/9)「政治・社会への怒り伝える・無関心、無感動に路上で抵抗」

★ 中国新聞(4/5)「怒らぬ若者にいら立ち・広場で「反戦」根強い無関心」

(この他にも掲載されているようです。)





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