「一枝通信・7月22日」高遠菜穂子さんたちの集会報告!
投稿日時 2004-07-23 23:59:20 | カテゴリ: 反戦・平和
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「一枝通信・7月22日」高遠菜穂子さんたちの集会報告! 私は、作家、渡辺一枝(いちえ)さんにお会いするたびに、身体の中から輝くその生き方の美しさに「学ばせていただこう」と思い、また同じ保育の道を歩んできた者として素晴らしい感性あふれるその業は、著書などを通して知ることができました。とても幸せに思っています。 いつも届くのを楽しみにしています「一枝通信」、今日は22日に中野ZEROホールで行われました「イラク市民と語る?私たちにできること」の報告でした。一枝さんにお許しをいただき、私のページに掲載させていただきます。私もですが、都合で参加出来なかった人、遠い所にいらしてこの集会の成功を祈っておられた皆さんに、集まりの様子をお知らせし、一枝さんがいつも言っておられますように、「声を上げ続けましょうね。行動をし続けましょうね。『戦争を許さない。占領を許さない。平和な世界を!』」と・・・。 皆さん、一緒に!自分に出来ることを考えて、行動していきましょう! 一枝さんの元気が出る集会報告です。(おおきせいこ)
★☆★☆★☆★☆★☆ みなさま、こんにちは。 今日22日、「イラク市民と語る?私たちにできること」という集会がありました。(中野ZEROホール) 今井紀明さんの挨拶、田保寿一さん「ジャーナリストからのイラク報告」、高遠菜穂子さん「私のイラクノート」、ゲストのイフサン・アリ・スレイマンさん「イラク人からみたイラクの現状と人質事件」 ZEROホールいっぱいの参加者で、若者から年配者まで多層の人たちで関心を持つ人がとても多いのだと、心強く思いました。 今井さんは、自分が知っているイラクは、拘束されていた時間と場所だけなのでイラクについて語れる立場でないので、今思っていることをと、「自分が社会問題、政治問題に無関心でいられなくなったのは、かつては戦争をしていた日本が、今は戦争状態ではない。今戦争している国も、かつては平和なときもあった。そんなふうに物事は循環していることを思ったからだ。 また日本も戦争をするかもしれない。自分に何ができるか、何をすべきか考えた。世界にはたくさんの問題があって、違うように見えても問題の根っこは同じだと思う。全てには関われないがひとつのこと、たとえばイラクから世界を見ていくことができるのではないか。 田保さんは、昨年10月からイラクで取材を始めファルージャなどのスンニ三角地帯を日本のメディアとして初めて取材しました。12月にイラクで高遠さんに会い彼女の協力でストリートチルドレン、サマワの現状、ドーラの空爆などを取材。今年3月3度目のイラク取材中に事故にあって帰国しました。 それらの取材からの報告で、既に昨年の10月からファルージャでは米軍の攻撃がとても激しかったとビデオ上映しながら、空爆や爆撃の様子を見せ、話してくれました。 とくに夜間攻撃は激しくて、怪我をした人を病院に運ぼうとしても外出禁止令が出ていて病院に行けず、またたとえばナジャフでは一番大きな病院は米軍が接収してしまって地元民は、昼間でもそこには行けない、と。 また、イラクでの高遠さんの活動をも報告しました。 高遠さん、解放されたあとも拘束とパッシングのショックから、なかなか立ち上がれなかったようでしたが、元気になってまた動き出されて、ほんとうによかったと思いました。 2003年、バグダッド陥落後に初めてイラクに行き、イラク人から一緒にいたジャーナリストの人と私はファルージャの状況を 聞かされ… また外国の報道陣は誰も行ってないので外にはそこでのひどい状況が伝わっていないともいわれました。それを聞いてすぐ翌日ファルージャに行き、いくつかの病院にいって必要な医薬品の調査をしNGOやジャーナリストの協力で、ファルージャに医薬品を届けた。 そういうことができたというのも、第一にイラクの人は親日家だったからだ。ファルージャの人は、また特に温厚な人たちだといわれている。 ファルージャの人たちは米軍のパトロールに対して怒りをもっていた。たとえば若い兵士が、持ち込んだポルノ雑誌を面白半分に子どもに与えたことなどに激しい憤りをもった「これが自由か?」「これが民主主義か?」「これが解放か?」といいだした。 10月11月は最悪な状況だった。道路封鎖、夜間外出禁止などで、医薬品などの必要物資が届かなくなった。包囲掃討作戦が取られ、死傷者もでていたが、バグダッドでさえもファルージャやラマディのこうした現状は報道されていなかった。地元の人はこれに対して非常に不満を感じていた。 4月の9日間の後 5月下旬になってようやく友人や知人たちからのメールを読み出すことができた。 イラクの友人から「君がやっていたことを、僕たちが引き継ぐよ」というメールをもらって、また動き出す元気と勇気がわいてきた。 そして、自分が拘束されたときから5月下旬までのイラクがどんな状況だったのか教えてほしいと頼んで、教えてもらった。 主権移譲されたが、空爆、戦闘は終わっていない。先週きたメールでしばらく「連絡できない」とあって心配だったが、昨日電話で話ができた。戦闘にまきこまれて、友人が怪我をした。 戦闘に参加しているのは若者たちで、外国から入ったイスラム勢力と一緒に攻撃に加わってしまう。 多くのイラク人は米軍に憎しみの感情はもっていても、報復行動はできない。占領軍がいる日々はとても厳しいが、イラクの人たちはそこに住まなければならない。 米軍の爆撃で傷ついた子どもを見ても、私は「アメリカが悪い」とは言えない。もし私がそう言えばアメリカに憎しみを持っているイラクの人たちが、気持ちを行動にうつすのを奨励するようなことになる。 イラクに行って現状に触れ、イラクの人の声をききながら、いつも私は言った。 「イラク人が誇り高い民族なら、アメリカの悪口を言って攻撃するのでなく、もっと別の解決法を探してほしい」と。触れ合ったイラク人の誰にもそういった。それを理解してくれた人がいて、彼が仲間に呼びかけて、ファルージャの再建を自分たちで始めた。その行動を知って、私はまた動き出そうと思えるようになったのだ。 私は、イスラム教、キリスト教、仏教と、それぞれ違う宗教を信じている人たちであっても、違うのは言葉だけ。みんな同じ人間だと思っている。違うのは話す言葉だけなのだ。 ゲストのスレイマンさん 始めに、「戦争や爆撃で死んだ世界中の人たちのために一緒に黙祷をしましょう」と。それから話ました。 イラク人は、日本人に対して特別な親近感をもっている。湾岸戦争後にも日本人からたくさんの援助を受けてきた。そういう日本人たち「市民大使」に敬意を抱いている。 菜穂子さんたちが拘束されたときに、すぐにイラク新聞が菜穂子の活動を報道した。それを読んで全てのイラク人が大変だと感じた。私たちはバグダッド市内のインターネットカフェをセンターにして、解放のための活動を始めた。このカフェのオーナーは、私たちがそうした活動をしていた間、一銭もお金を取らなかった。菜穂子が世話をしていた18人のストリートチルドレンは皆泣きながら、「ファルージャに連れて行ってくれ。自分が菜穂子のかわりになる」と言った。 菜穂子のやっていたプロジェクトは、現在のことだけではなく未来に関わるプロジェクトだ。これはとても大事な点だ。 日本がイラクのためにできることはたくさんある。 医療関係、特に子どもで大変困難な手術を要する子どもたちがいる。現在のイラクの状況では治療がとてもむずかしい。 失業率がとても高く、技能を必要としない単純労働にしかつけていない。職業訓練所があれば、技能を身につけて働けるようになる。これは、そんなに資金を使わずにできて、大変役に立つことだ。 菜穂子はこれをやろうとしていた。 菜穂子はイラクのことを話しながら泣いていたが、我々は泣かない。なぜか? 我々の涙は、この35年でもう涸れてしまった。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 共に祈り、一つの歌を歌いましょう 心配しないで、あなたのやり方で祈ればいいのです あなたの国の言葉でうたってください どこにいようと祈り、歌を歌うことはできます 私たちはそれを感じ取るでしょう 古(いにしえ)の文明の発祥地であった国は 炎に包まれています イラクはあなたの思い、あなたの歌、あなたの手を 必要としています そのときイラクの人々は苦しみを終わらせることができます そして広島の人々は深い眠りにつくでしょう 花をたずさえたあなたの手をさしのべてください その花をイラクに持って帰り、恐怖におののき、 未来に希望の持てないバグダッドの子どもたちに手渡します かわいい顔をした子どもたちの目からあふれる涙を その手でぬぐってやってください 花は両親の墓に手向けられるでしょう 毎晩あなたの子どもにするキスを 私たちのかわいい子どもたちに分けてください 一度でいいから 父親のキスがどんなものかを実感させてやりたいのです 自宅にいるときも私たちと共にいてください そして世界中に平和が訪れるように みんなで一緒に歌を歌いましょう イフサン・アリ・スレイマン ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ とてもいい集会でした。スレイマンさんは今年9月1日にストリートチルドレンのための施設を開設する予定です。 高遠さんの活動に改めて心うたれました。 本当に、元気になってよかった。 また活動されるようになってよかった、と思いました。
イラク支援ネットワーク(仮称 アラブ・ホープ・ネット)の立ち上げが呼びかけられました。 (一枝通信・7月22日) ★今発売中の『婦人公論』に高遠さんが手記を寄せています。
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