「私の原爆忌」

投稿日時 2004-08-08 15:55:55 | カテゴリ: 西口通信


(関西のNさんから届きました。少しお身体を悪くされていましたが、明かるい向日葵を描いていただきとっても嬉しいです。)

「私の原爆忌」             大木晴子
 8月6日の夕刻に、「私の原爆忌」とタイトルがついたメイルが届きました。そこには・・・。
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みなさんへ、
被爆体験を描き続ける、画家の今口賢一さんの展覧会に
行って来ました。相次いで被爆体験を共有する仲間達が
他界して、「今描いておかなければ」と、封印していた記憶と
向き合い、20年前から絵にしはじめたといいます。
今日のように炎天だったあの日、国民学校一年だった彼は
朝礼で、校庭に並んで、教頭の話を聞いていました。
ピカドンの瞬間、前にいた級友が火だるまになって吹き飛び、
自分も校舎の中へと一緒に飛ばされたといいます。
瞼に焼き付いて離れなかったその級友の姿をはじめ、記憶の
数々が油絵となっていました。ギャラリーの広い室内中に、
4畳半もあろうかという「水をください」を中心に、20点程が
掲げられ、まるであの日の広島の惨状の只中に立っている
ように感じました。うめき声、叫び、泣き声、炎の音…。あの日の
音が室内に満ちていました。
最初の一枚は描きあげるのに10年かかったといいます。
搾り出すような今口さんの被爆体験を、精一杯受けとめ、
しっかり抱え込んで帰って来ました。
(町田市国際版画美術館 8日までJR町田駅から徒歩15分)

「鎮魂のために描きはじめたが、今では二度と惨禍を起こさぬ
ようにと亡くなった人たちに叱咤され、励まされて描いている」
という言葉が、重く印象に残りました。
村雲
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 私は7日の土曜日の午後、伊勢原の兄を見舞う前に町田で降りる事にしました。小田急線町田駅から徒歩20分くらい、木立が夏の暑さに嬉しい芦ヶ谷公園の一角にある「町田市国際版画美術館」へ急ぎました。着く前には5時過ぎの新宿小田急前の意思表示に間に合うようにと考えていましたが、今口賢一さんの展覧会でその一時間を過ごすことになりました。
 仏画としての第一部作と言われている作品の手前に小さな二枚の絵が・・・。私の青春時代に見た風景です。一枚は「新宿スカラ座」そしてフォーク集会の後、よく鯨カツを食べに行った「新宿しょんべん横丁」の絵でした。
 そして、一歩進むとそこには、今口さんがお母様の死をきっかけに被爆絵図を描き続けている大作がならんでいます。一枚一枚の絵から聞えて来る声をゆっくりと受け止めたいと思いました。絵の隅々から今口さんの思いが、そこに描かれている人々の叫びが伝わってきました。
 実像に近い第二部作までの展示でした。今口賢一さんは、これから残された時間を肉体と精神のすべてをかけてキャンバスに力をそそぎ、第三部作を完成したいと「最后の個展」と題して書かれていた言葉を書き写しているとご本人からコピーをいただき力強い字でサインまでしていただき、見つめ合ってお話したその眼は美しく光輝いていました。
 美術館を出ると木立の下で幼子たちが楽しげに遊んでいます。この子達の未来にあの忌まわしい出来事が繰り返すことがないように祈りながら伊勢原の病院へ急ぎました。

 病室には、ゆきわりそうの皆さんからおくられたエールの言葉が貼られていました。
さぁー新宿へ向かいます。
電車の中は、相模川の花火大会へ行く浴衣姿の若い娘さんたちが大勢乗っていました。思うのですが、若いのですから素顔の美しさを活かしてお化粧などをした方が輝いて見えるのではと老婆心が・・・。

そこで、予告です。1970年代に科学的根拠の全くなかった、美顔洗顔器が流行りました。その頃に「徹子の部屋」に出られた吉永小百合さんがご自分で考案された洗顔方法(お金のかからない)を話されました。私は、その日からずつと毎日かかさず行なっています。
近く、「私のエッセイ」でご紹介します。お楽しみに!!

さてさて、西口です。5分前に地下広場に着きました。

プラカードを入れている袋を丸い柱に立て掛けると直ぐに何時ものアナウンスが始りました。地下広場の意思表示です。
雲さんがKさんがそして千代さん、Hさん、Oさんと次々に増えていきます。数えるのをわすれました・・・多分15名ぐらいです。
ご住職のFさん、新しい言葉です。

今日の言葉は・・・。

Hさんは、いつも訴えています。

千代さんのプラカードは、この8月の広場ではたくさんの皆さんの心に響く言葉ですね。

6日の広島に「核兵器なくそう女性のつどい 2004」に、呼びかけ・賛同人として参加された渡辺一枝さんは、「一枝通信」で書かれています。
「広島市の秋葉忠利市長の平和宣言は、昨日の夕刊にも載りましたからみなさん読まれたかと思います。
本当に心にしみる言葉でした。このような人が国の首長であればいいのにと、心底おもいました。会場から拍手が沸き起こりました。
子ども代表が「平和の誓い」を読み上げ、これにも大きな拍手。
来賓の最初に小泉首相が挨拶をしましたが、挨拶終えても誰一人まったく誰一人拍手する人はいませんでした。それどころか私の周りではみな口々に「しらじらしいことを」「犠牲者の気持ちをわかってるのか」などなどの声が漏れていました。マスコミがこの事実をもしっかりと報道すればいいのにと思っていたのですが、報じられませんでしたね。本当に見事に無視された感のある首相挨拶でした。」・・・・と。
明日は、長崎忌です。(おおきせいこ)




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