「素敵な人がいっぱい!平和を考える人がいっぱい!」追加あり。
投稿日時 2004-09-27 09:48:31 | カテゴリ: 反戦・平和
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「素敵な人がいっぱい!平和を考える人がいっぱい!」大木晴子
9月27日の東京新聞・社会面「頼った国連、難民を裏切り」・「決死のクルド人家族 救ったのは支援者」この記事を書かれたのは生活部・飯田克志記者です。
http://www.mkimpo.com/diary/2004/kurd_sit_in_2004_articles.html
飯田記者は、22日私が国連前に着いたときはもう取材を始めていました。5時過ぎの国連職員の告知もしっかりと見ていました。写真の手前白いシャツの方が飯田記者です。
カザンキランさんがガソリンをかぶった時は、いち早く容器を押さえて、彼らを助けました。その様子は先に書いたニュースでも書こうかとても迷いました。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=256
今日この記事が掲載されて何か救われた気持ちになりました。 我が家では、今年の春からとっている新聞二紙の内一紙を「東京新聞」に替えました。信じられると思える記事に出会えるからです。 そして、飯田記者が書かれた記事が載ったその新聞28面(裏がわ)には、「絶筆で反戦への思い」書家・CMディレクター故根本光晴さんの記事が掲載されました。27日夕方から根本光晴さんを偲ぶ会「アロハー!根本ちゃん」が大手町のパレスホテルで行われました。 たくさんの皆さんは、用意された美しいアンスリウムの花を献花して会は始まりました。
大好きなウクレレを持った根本さんの大きな遺影は、ご友人がアレンジされた緑の中に赤や白のアンスリウムが優しさを醸し出すその中に置かれていました。その背景には、書が飾られていました。真ん中には友人が書かれた「アロハ!根本ちゃん」その隣には、中学生の息子さんの「父へいままで」その続きの「ありがとう」を小学生の弟さんが書き、その力強い立派な文字に引きつけられました。
その隣には意思表示の雲さんこと村雲 司さんの「また遇える 銀河の彼方 星の街」が・・・。
永六輔さんと小林亜星さんの掛け合い、いびり弔辞や小学校からの友人、中村敦夫さんの楽しいエピソードなど根本さんの幅広い交友関係からお人柄がだんだんわかってきました。 私は、根本さんに一度もお会いしたことがありません。多分、この会場の中で生前の根本さんとお会いしていないのは、私ただ一人だろうなぁーと思います。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=239
私は8月15日からの作品展で根本さんにお会いするのを楽しみにしていました。しかしその願いはかなえられず記念日のこの日、反戦のメッセージを残し根本光晴さんは、亡くなられました。 雲さんから伺った話しから「どんな、人だろう」といろいろ想像していました。思いが通じたのか今日のこの偲ぶ会へ導かれました。 明るい会は続きました。 伝統芸能を愛され、人と人との出会いを大切に生きていらしたこと、歌や楽器に親しみ生活の中に楽しく取り入れて過ごされたことが、「かっぽれ」の踊りに、
ハワイアンの演奏や根本さん(楽人)が書かれた書「一期一會」に、
そしてスライドで写しだされた根本さんの歩みがそれを物語っていました。 皆さんが雑談されている声にも柔らかなそして根本さんとの楽しげな思い出があちらこちらから聞こえてきました。 「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」私も好きなコマーシャルでした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 日にちが前後しますが、26日(日)に行われた「表現者はリレーする・いま、語り描き写し歌い舞うとき・自衛隊のイラク派兵多国籍軍参加反対を・・・・」も素晴らしい時間でした。
準備をする手にも「平和」への思いが感じられ,参加された劇団やダンスグループの皆さん、リハーサルも真剣、本番が楽しみな予感がして会は定刻にスタートしました。 最初は「ビデオレター」です。3月の一回目の会に出た慶応大学生の彼女は、反戦・平和にあまり関心を持っていなかったけれどこの会に参加したことがきっかけになって友人たちと平和について話しあったりするようになり、生活がかわったことを映像で表現しました。
続いて、マドモアゼル・シネマダンスの皆さん。 指先から身体の隅々まで研ぎすまされた感性を必要とする動きに感動を覚えました。言葉が無い分、見る物が想像をするのです。 次は、渡辺ゆきさんの、アカペラ「アメイジング・グレイス」でした。
法律事務所で働く娘さん、美しい声、時間があればもう一曲聞きたかった。
渡辺一枝さんのトークと続きます。3月よりバッグにつけているバッジが増えていました。一枝さんの意思表示には、頭が下がります。良き先輩が前を歩いていてくださるので嬉しい!!
名古屋から澤地久枝さんのお話が聞きたいと3名で参加した憲法九条を考える皆さん。身を乗り出して聞き入っていました。 続いて「第9条の会・オーバー東京」の馬場朋子さんたちによるビデオ「街角インタビュー」。 神田香織さんの講談「はだしのゲン」の原爆投下の朝の様子を一席。
ぜひ、機会をつくり神田さんの講談「チェルノブイリの祈り」もお聞きください。近日は、10月31日に港区であります。詳しくはイベントカレンダーをご覧ください。
「新劇人会議」の皆さんによる寸劇「どうしてだろう」生活の中で憲法を考えなくてはとしっかり思えた意思表示でした。 次に登場したお二人は、組合活動で頑張るお仲間。
航空労組の内田妙子さん、新聞労連の明珍美紀さんです。働く組合の皆さんにほんとうに頑張ってほしいと願いながら報告を聞かせていただきました。 続いて舞台には、仲内節子さんが8月に友人の皆さん方と呼びかけ出された「意見広告」を広げて、小さな力も集まれば大きくなれる、誰かが呼びかけたりすることの大切さを語られた。
舞台は急に明るくなりました。
平野レミさんの可愛い優しい素直な語りが私は大好きです。 「あのね、私平和はキッチンからって思ってるのね。お母さんが台所でおいしいもの作って、トントントンて刻む音や、作りながらお母さんが歌ったりしたらその声も、みいんな調味料になると思うのね。それでね、家族のみんなが、おいしいなって幸せになって、あっちの家族もこっちの家族もしあわせになって、みんな国中の家が幸せになって、あっちの国の家族もこっちの国の家族も幸せになって、あっちの国もこっちの国も幸せになったら、そういうのが平和なのよね」といいながらキッチンからの平和をと訴えて「シャンソン ド・レミ」を続けて「ばら色の人生」を歌われました。 私は手をたたきっぱなしでした。楽しかった!!
「ヨォ!啓さん!!」と声をかけたくなってしまいます。 漫画家、石坂啓さんの登場です。息子さんの話から始められ「13歳の息子がいますが、子供を生んだことをこれまで一度も後悔したことはない。でも、もし私が今20代、30代だったとしたら子供は生みません。息子が成人したころの日本を考えると、怖い。息子と同世代の子供を持つ親たちが怖がらないのが不思議です」と・・・。 テレビやいろいろな場所で発言される元気な石坂啓さんの一フアンとしてこれからも一緒に心を合わせて歩んでいきたいと強く思いました。石坂さんは、近く連載漫画をスタートさせると張り切っておられました。今度詳しく伺ってこのページでもご紹介させていただけたらと願っています。
そして、シンガーソングライター横井久美子さんの歌声で舞台には、出演者全員が勢揃いでした。 横井久美子さんのサイトです。 「すごい顔ぶれ」と題してこの日のエッセイが掲載されています。訪ねてください。
http://www.asahi-net.or.jp/~fg4k-yki/
ここで4月、イラク武装集団に捕らえられ、釈放された郡山総一郎さんが挨拶をしました。ロビーには彼の作品が展示されていました。 この会は、さらに続きます。次の語り描き写し歌い舞うは、どなたなのでしょうか。次回の会が今から楽しみです。でもその前に「平和」が訪れることを祈りながら私も150人近くの人たちと家路に。 (おおきせいこ)
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