私の意思表示、そして二郎くんも意思表示!
投稿日時 2004-11-11 15:06:37 | カテゴリ: 反戦・平和
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私の意思表示、そして二郎くんも意思表示! 大木晴子
10日は、朝からこのプラカードを持ち、一日中意思表示。 駅までは自転車の前に置き走りました。前から来た若者の眼が止まります。ちらっと見る女性、何人かの心に映ったかなぁー。 K駅は、近くに大学や専門学校があるので結構混み合っている。真横で持ち、ホームを歩く人たちに・・・・、反応がある。 友人とふざけている若者の表情がこわばる。嫌なものを見たと正直に顔に表す女性。 電車の中ではもっと変化が見られる。K駅から乗り込んだ車両では席に座る事が出来た。荷物の外側、膝の上で立てた。周りの眼がプラカードにとまる。向かい側に座っている母娘がプラカードを見ながら会話が始まったそして眼で会釈をされた。この母親は、下り際に車内のマイクの音ではっきりは聞こえなかったが、口の動きから頑張りましょうと私には聞こえた。 多くの男性は、見た後は目をつむる。こんな場面もあった・・・。 若い男性が乗り込んできた。空いている向かい側の席に座り鞄から漫画本を取り出した。その時、彼はプラカードに気づいた。眼が見る見るうちに変わった。そしてその若者は漫画本を鞄にしまい、眼を閉じていた。わたしは、心の中で「少しでいい、考えてね」と彼に語りかけた。 用があった神田の街でもすれ違う人たちの表情は直ぐに変わった。 見たく無い映像かもしれない、でも眼をそらさないで、私たちはこの戦争に加担している国に住んでいるのだから、眼をそらさないで どうしたら止められるか一人一人が声をあげなくては止められない事に気づいてほしい。そう思いながら街を歩いた。
今日は夕食を義父に渡してきたので、このまま夕方のアメリカ大使館への抗議行動に参加すると決めていた。
途中、休んだ「喫茶店」でも椅子に立てかけた「Stop Massacre In Fallujah」の言葉と哀しい子どもたちの写真に眼差しが・・・。 時間は、4時30分、アメリカ大使館に行ってみようと思った。 神田からまた地下鉄に乗り、虎ノ門へ。車内では、プラカードをじっと見つめそして私の顔を見て深くうなずくご老人。眼で「同じ気持ちです。」と言われている方々。様々な反応に心を痛めている皆さんが大勢いることが肌で感じ諦めないで頑張れると思えたのです。 虎ノ門に着くと集会が行われる場所にはもう警備の車両や警察官が配備されていました。私は少し遠回りをして違う道を選びました。 アメリカ大使館に通じる脇道入ると道は車両が検問されるように狭くなり警察官がいました。
私は、プラカードがアメリカ大使館の方から見えるように抱えて歩き始めました。 「おーい、止めろ,止めろ」と警察官が大声を出しました。 「なに言っているのですか。紙切れ一枚でなにが出来ると思っているのですか。」と私は言いながら歩き続けました。 お駆けてきた警官は「何処に行くのですか」と尋ねました。 「散歩です。たくさんの人を殺している人たちがいるビルを見て怒りぶつける為に歩いているだけです。」それを聞くとそれ以上は 何も言わずに連絡用無線に手をかけたので、ここで何かあっても目撃している人はいないし、本当は立ち止まって暫く意思表示をしたいと考えていたのですが、そのまま歩きJTビルの前に来ると大使館をバックにプラカードの写真を撮ろうとすると数十人の警察官に囲まれそうになったので向かい側の交差点角から皆さんが集まる時間まで意思表示をしました。
(写真真ん中の奥にアメリカ大使館がある) あたりは、薄暗くなり車のライトに照らし出された「Stop Massacre In Fallujah」の文字に心を止めてほしいと願いながら・・。
(ムキンポさんのページからお借りしました。ムキンポさんのサイトでたくさん写真が見られます。) http://www.mkimpo.com/diary/2004/american_embassy_04-11-10.html 抗議集会は、忙しい時間をやり繰りしながらたくさんの皆さんが駆けつけました。でも350名でした。主催者の方は「350名も」と言われましたが、私は「350名しか・・・」と言いたいです。 しかし、集まった皆さんの心根を感じる時に共に闘い生きていけると感じることはできます。私の隣では、小学3年生の二郎くんが東京のお隣りからお母さんと参加し(今朝の朝日新聞に写真が載っていました)、記者の人たちに名前など何度も聞かれていました。
我が家にもジローくんがいるのよ!とページのアドレスを渡しました。二郎君、これからも一緒に声をあげようね!!頑張ったね!! そして、いろいろな団体の皆さんのメッセージが、その中で、真っ直ぐに歩む中学生の意思表示に昔、自分も同じように集会の場にいた事を思い出しました。
あの時代、ベトナム戦争の時にアメリカがやっている戦争に加担している政府に真剣に怒りをぶつけたあの時代、あの人々は・・・・。 今日の「東京新聞」ニュースの追跡・話題の発堀の「特報」コーナーに下記の記事が掲載されていました。
1968年2月、3週間続いた市街戦で廃墟となったベトナム・フエの目抜き通りと米軍の空爆で破壊さえたイラク・ファルージャの商店街の写真が載り、「フエのように廃墟になるのか・・・。」と書かれています。 日本人は、変わってしまったのでしょうか。あまりの無感動、無関心な現状に恐ろしさを感じます。 でも遅いということは、無い。今からでも何か出来るはずです。 抗議集会の後、若者たちが残り怒りの声をあげていました。
また、有楽町数寄屋橋交差点近くで参加者の13名がアジア平和連の「米軍はただちにファルージャ攻撃をやめなさい!!」「ファルージャでの虐殺を止めるために あなたも声をあげてください」という呼びかけのビラを9時過ぎまで400枚を配りました。私たち西口ひろばで意思表示している人たち5名もプラカードやレインボーの旗を持って共に時を過ごしました。家に着くまで私の意思表示は続きました。(おおきせいこ)
★ あなたも声を!! ★ アメリカ大使館 電話番号:03?3224?5000 (日本語で大丈夫です。思いを伝えてください。) ★ 小泉首相へのメイル:jpm@kantei.go.jp ★ 防衛庁長官へのメイル:g00505@shugiin.go.jp
☆★12日になりました。辺野古にいるTさんからメッセージです。 「来週火曜日ボーリング強行の見通しです」と辺野古にも眼を注いでください。
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