えっ!戦車が!立花隆さんが通った!13日の土曜日。
投稿日時 2004-11-14 20:08:39 | カテゴリ: 反戦・平和
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えっ!戦車が!立花隆さんが通った!13日の土曜日。 大木晴子 先週は、Los Angelesの反戦デモにとうとう戦車が2台登場したというニュースがメイルで届きました。
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=04/11/11/1540230 ) ここでは、掲載出来ませんでしたが動く映像でそのデモを見た時に選挙の疑惑をたくさん抱えながらも再度、ブッシュ政権になってしまったアメリカはどんな国になってしまうのだろうと思いました。 反戦、平和そして生きる権利を求める市民の横に戦車がいる風景をあなたは想像できますか。 日本にも運動の場に戦車が登場したことがありました。 私が生まれた年、1948年の2月組合員270名の人員整理が発端で始まり,195日間も続いた東宝争議は、8月19日の早朝に、東宝砧撮影所(東京世田谷区)に通じる8カ所の道路が封鎖され、撮影所周辺に6台のジープと騎兵銃を持ったMPが到着した。続いて一個分隊の歩兵、6台の装甲車が、さらに7台の戦車が出勤。空には偵察機が3機。間もなく成城署員が到着した。午前8時半には警視庁から2000人の武装警官と3台の警備車(旧日本陸軍の戦車を改装)もやってきたと「講談社・『昭和』8(占領下の民主主義・昭和22年?24年)に記載されている。☆上の写真も同ページより。 今日の西口ひろばで、この闘いの場にいた方がOさんに声をかけてくださいました。その方は、当時のお仲間と会っていらしてその帰り道に寄られたそうです。 柱を移して、雲さんたちとも話をされて帰られました。 意思表示が終わりそのお話を伺い、「戦車が」と家に帰り朝日の「週間20世紀」など目を通してみました。 様々な経験をされた皆さんが語り出してほしいです。それを機会に若い者は歴史を学び、そこに活きてきた人々の心にふれることができたらもう少し優しい人間関係が生まれてくるようなそんな気がするのですが・・・皆さんはいかがですか。 今日も家を出たら意思表示。昨夜のバラを3本持って少し眠りたかったのでバスで駅へ・・・。 土曜日の夕方、横断歩道で!駅のホームで!すれ違う階段で!しっかりとプラカードを見ていただけたと思います。 新宿の地上小田急デパート前では、雲さん、Aさん、Oさんが意思表示。そして私とKさんが今日はHさんも参加です。 Hさんは、私のページを訪ねてくださったのが始まりでした。何時も優しい思いをメイルで伝えて下さり、お仕事が忙しくてなかなか立てないけれど心は何時皆と一緒にと。今日は一台早いバスに乗れて地上からの参加を喜ばれていました。
彼女が掲げた「戦争を認める人間は許さない。」は、今年没30年になる画家・香月泰男さんの言葉でした。 この言葉をご紹介したいとインターネットで探していたら下記のページを見つけました。 http://book.asahi.com/ (シベリア鎮魂歌・香月泰男の世界 立花隆著・極寒の抑留体験を改めて克明にたどる。Book asahi.comのページ・書評) 不思議なことに、今日は立花隆さんも西口ひろばを通りました。 私のプラカードをゆっくり読みながら通り過ぎました。 「ひろば」にこだましたことばです。
戦争を体験しているご婦人は・・・・。
雲さんの眼を隠す婦人の願いが・・・・。
Yさんは、黒い三角ずきんで「戦争ハ地獄」を。
そしてレインボーの旗が・・・・。今日は初めての方が一緒に持たれていました。
Oさんも辺野古のこと、ファルージャのこと思いは辛くなるほどいっぱいです。
言いたいことはいっぱいあるけど、表現するのは難しいですとご婦人が言っておられました。
Cさんは、今週は手書きで作りました。大きなプラカードは 一時間持っていると手首が少し痛くなるのですが・・・若いから大丈夫ですね。
忙しい仕事から駆けつけた男性のSさん、「派兵」の文字に大きく 赤で×を書き、下には「手放せば 二度と帰らぬ 憲法9条」と。Aさんが持っていた雲さんの「平和」バンダナの文字が。
女性のSさんは、「今日は忙しくて寄れないと思って何も持ってこなかったの」と言われ私のプラカードで立たれました。 (おおきせいこ)
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