意思表示2年目最後の土曜日、兄は旅立ちました。

投稿日時 2005-01-30 00:59:38 | カテゴリ: 反戦・平和



意思表示2年目最後の土曜日、兄は旅立ちました。大木晴子

1943年9月1日生まれの兄、山本良夫は2005年1月最後の土曜日29日の朝、たくさんの優しい言葉と温かい眼差しに包まれ天国へ旅立ちました。私と五つちがい、強い信念を持ち正義感のある素敵な兄でした。

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 私は前日28日に、義姉が疲れてはと思い夕食用の総菜を作り兄の家を訪ねました。この時も兄が仕事をしている「ゆきわりそう」のお仲間が数人ベッドを囲み容態が急変した兄の側で細やかな看護をして下さっていました。
暫くして連れ合いも一緒に兄の家で過ごすことを決め、兄を見つめ、語り合う時間にしたいと強く私は心の中で願いました。



兄は、朝から胃液のようなものを出し続けていました。私が行ってからもしばらく続いていましたが、それが止まると少し喉の奥がゼイゼイして苦しそうな状況に訪問看護の看護婦さんに吸引が出来る状態を整えていただきました。義姉や二人の息子たちが交代でその役目をしました。私は、吸引はそんなに長くはしないと思いました。それは、10年前、私の手の中で息を引き取った先代次郎の時と似ていると思ったからです。そうあの時も次郎は朝から上からも下からも自分の力を振り絞り身体の要らないものを出し切って穏やかに息を引き取りました。何だかその時を思い出していました。



 兄は時々無呼吸になり、「山本さん、息をして!!」皆に声をかけられはっとしてまた呼吸をしました。何度も何度も・・・・。
 ゆきわりそうのお仲間は、交代で兄に会いに次から次に・・・何十人も・・・。
皆さん、兄の手をとり「山本さん、ありがとう」と言葉をかけてくださいました。なんて、幸せな人なんだろう・・・・。
 そして海を越えた韓国からも電話が入りました。ゆきわりそうで学び韓国で就職した娘さんから電話越しに声をかけてもらいました。
「山本さん、頑張って!!」兄は、言葉にはなりませんがわかっているのだろうと思える「うぉー、うぉー」と口を動かしていました。
電話の向こうでは、泣きながら呼びかけをしていただいたようです。
私は「良ちゃん、素敵だね、良かったね。」と心の中で叫んでいました。



 兄が愛した柴犬タドちゃんも「今日は、何だか変だなぁー」と思っているようでした。飼い主の異変を小さな身体で表現をしている姿が何とも哀しく愛おしく思いました。「タドちゃん、ありがとう。」と私は顔が会うたびに声をかけていました。
 幸せな兄の歩みは、敏江さんの大らかな優しさがあったから出来たことだとこの二日間ではっきりとわかりました。



義姉は、兄にたくさんたくさん声がけをしました。敏江さんも兄と同じく揺るがない平和への歩みを続けている人。その思いがお互いの生き方を支えあい励ましあい今のこの素晴らしい意思表示に繋がっているのだと確信に近い思いを感じました。
「敏江さん、ありがとう。」と言い尽くせない思いです。
 泊まり込んだ人たち皆に見守られて、兄は29日、朝の日差しが入り始めた9時18分に穏やかに61歳の生涯を終えました。
昨年のミュージックパーティで着たお気に入りの服に着替えて旅立ちました。さだまさしさんの歌、「防人の詩」を聴きながら・・・。
そして、枕元には姪から届いた本「シベリア鎮魂歌・香月泰男の世界 立花隆著」が置かれていました。

 

この本は、数日前に見舞いに来た二番目の兄がとても良い本だと勧めたものです。その話を聞いたその兄の娘が兄にプレゼントしてくれたものでした。
この姪が言いました。
「良夫おじちゃんが昔、おばあちゃんの家の台所でさだまさしさんの曲を歌ってくれたことを思い出します。
お姉ちゃんと私が大人達の話しに入れず退屈していたときこっそり台所に呼んで腰掛けて話しをしてくれて歌ってくれたのです。
その時のことはとても印象に残っていて、照れながらもなんと素敵な人だろうと思ったものです。」とメイルで送ってきました。
この本は、息を引き取った数時間後に届きました。
(おおきせいこ)




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