「10分間の意思表示」と「千の風になった兄」

投稿日時 2005-03-20 15:33:07 | カテゴリ: 反戦・平和



「10分間の意思表示」と「千の風になった兄」大木晴子

3月19日の土曜日、午後6時30分過ぎ私は地下鉄大江戸線の中で
気持ちは車両と一緒に走って新宿へ向かっていました。
間に合いました。



遠くから言葉を替えて立たれるご婦人が目に入りました。
初めて見るアングルは新鮮でした。
10分間の意思表示でしたが、立たれている13名の皆さんと心を合わせて・・。
今日の光景です。



この日私は、早朝のジローの散歩を終えて家人の食事の支度を済ますと
ゆきわりそうのある東長崎へ向かいました。
分骨した兄を「ゆきわりそう であいの家」に納骨するために群馬の松井田へ。
この式に参列して下さる大勢の皆さんと一緒にバス二台で美しい山々を見ながら一路目的地へ。
道中私は、兄が亡くなって直ぐに「シネ・フロント」等に映画評論や
インタビュー記事を書かれるライターの加藤千代さんからおくって頂いた
「千の風になって」(日本語詩・新井満さん)のページを心の中で
めくりながら兄に語り続けていました。
「ゆきわりそう であいの家」です。

http://www.yukiwari.org/hatake/rensai001/hataketuusin005.html

天気は最高です。大好きな青い空に時折白い可愛い雲が遊んでいました。
「ゆきわりそう であいの家」が出来た日は、2000年の10月21日です。
私は心の中で「よっちゃん、国際反戦デーの日だね」とつぶやいた。
この日は、13年前に二十歳で亡くなられた新村信明さんの遺影も
兄と一緒に納められました。
皆からノブ君と呼ばれて愛されていた彼の思い出のモニュメントが
このであいの家の前庭に天に向かって大らかに立っていました。
ノブ君のモニュメントです。

http://www.yukiwari.org/hatake/rensai001/hataketuusin006.html



式は、松井田町の町長内田武夫さん、古くからの友人の弁護士清水洋さん
そしてゆきわりそう代表姥山寛代さんの挨拶の中に兄がたくさんの皆さんに
愛され過ごしてこれたことが手に取るように伝わり感謝でした。

 

義姉の挨拶の中に「千の風になって」の一節が・・・そして一言一言の中に
兄が活きていると感じました。



演奏、和太鼓の響きは青空にのって兄の所へ・・・・。

 

飯田華代子さんが奏でてくださったヴァイオリンの美しい音色、
この会場で感じられた思いを表現されたその曲は、目を閉じて聴くと上空の風と
周りの樹々がそして雲が鳥たちが優しく繋がっている気がしました。
温かな涙がそこに集まった皆さんに・・・。
すすり泣く声も、一緒に繋がりました。
声楽家の鹿内芳仁さんは「千の風になって」を歌ってくださいました。
その一つ一つの言葉は、素晴らしい歌声にのって心の中に風を・・・・。



皆さんで献花です。チューリップ、スイトピー、ガーベラなど美しい花が
優しい眼差しと共に供えられました。

「山本さんは、何もしなくてもいい、息をしていてくれれば・・・・」と
言ってくれたさっちゃんが献花をしました。
花を置いた後に彼女はポシェットから兄が大好きだった煙草を出して
そっと置いてくれました。
兄がその成長を楽しみ可愛がっていた子どもたちがポニーに乗って献花をしました。
悠々としたその姿に未来に平和をと願わずにはいられませんでした。



帰りに頂いたお花は、温かい車中など持ち歩き家に着いたときには、クタクタでした。
でも、数回の水切りでトップの写真のように可愛く咲き始めました。
諦めない、花も私も!!(おおきせいこ)




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