オオラカが生きていました! 05-08-20 土曜日の報告

投稿日時 2005-08-21 17:02:38 | カテゴリ: 反戦・平和



オオラカが生きていました! 05-08-20 土曜日の報告 大木晴子

 少し前になりますが、17日の朝 暫く動かしていない車の下にオオラカが入りました。今までの猫たちのように、エンジンをかけると後ろの庭へ逃げ込むと思い込んでいた私は、そのまま連れ合いを送り出しました。直ぐにオオラカを呼びましたが姿が見えません。そのうちタマも心配になったのでしょう私と一緒に鳴きながら探し始めました。
 脇にある溝からマンホールに通じる所があり、重い蓋を外してみたりしました。でも声も聞こえません。だんだん不安になりもしかして車の下の何処かに逃げ込んでいるのでは、心臓の音が皮膚に感じるようにドキドキしました。もしそうだとしたら、途中で落ちるか車が止まった時に飛び降りていてくれたらと思い近くの信号や曲がり角など探しました。
 連れ合いが帰宅し、この話をすると私と同じように心を痛めそれからは タマと目が合うと「ごめんね、タマ」と言う日が続いていました。
 私は、彼から詳しい通り道を聞き、毎日ジローと散歩用の手提げにキャットフードを入れて探して歩きました。昨日も月が輝く夜、新宿から帰ると直ぐにジローと歩きました。
「ジロー、オオラカのこと、もうダメかなぁー」と少し弱気になって話しながら探し、きれいなお月さまにオオラカが元気で愛されて大きくなるようにと願いながら歩いていました。

 私は昼間からのスタンディングで少し疲れていました。Yさんへ送る「出来れば・毎日通信」を出そうと思いながらジローと眠ってしまいました。
 翌朝、「ニャーゴ・ニャーゴ」と言うオオラカの声で目が覚めました。「オオラカの声よ!」と私は飛び起き階段途中の窓を開けました。いました、オオラカがないていました。
 「オオラカ、お帰り!!」私は牛乳を持ってオオラカの所に走り寄りました。タマも喜び、兄弟たちも側でオオラカ見つめていました。



 土曜日、東京は焼け付くような暑さでした。一番暑さが厳しい昼過ぎに家を出ました。向かう先は池袋、東京10区の選挙区です。
 前の晩に永田町でロビー活動を行っている関義友さんにメイルで訪ねました。東京10区で意思表示するには何処から始めたらいいかと・・・・。岐阜に行っている関さんから丁寧なメイルを頂きました。10区の地図や大学が多い若者が集まっている江古田周辺の地図などそして池袋西口公園も紹介されていました。関さんのサイトです。

http://www.sekigumi.org/



 先ずは、歩いてみようと池袋へ向かいました。教えていただいた池袋駅西口から一分の所にある西口公園は芸術劇場の真ん前にありました。行き交う人もいてベンチに座りながらのんびり話でもしながらここで始めようと「戦争はイヤだ!」のプラカードを並べ「見つめよう 政治を正す力は 市民にある!」と雲さんの平和の文字を持って座りました。すると直ぐに公園にいるガードマンが私の後ろに立ち始めました。



 何も言われませんが、監視されての意思表示になりました。声をかけて下さる方が何人もいてある男性は「そうだよね。若い人が選挙に行かなくてはダメだよ。私も息子に何時も言うけど行かないねー。それじゃ、ダメだね。今度は行かせるよ」と・・・・。
 別の男性は「偉いね。考えちゃうね。頑張ってね」とエールを送っていただきました。しっかりと向き合い読んでいただけたことで行動にうつしてよかった。
 私は、組織など大きな歯車で動かなければならないやり方には ついていけない方ですが、個を見つめて その人がその中で反戦平和の思いを 戦い抜いてほしいと 願う気持ちは持っています。兄の連れ合いになって30数年、仲良く姉妹になって過ごしてきた山本敏江(としえ)さんが今度の選挙で立候補します。私は、一人でも多くの10区に住む人が、平和へ繋がる歩みをしている人に投票してほしいと願い意思表示をしていきたいと思っています。10区にお住まいの方、また10区にお知り合いがいる方、ぜひ個を見つめて投票へ、平和へ繋げる一票を投じてくださるようにメイルで、手紙で電話で会う事が可能ならば話をしてください。
一時間10分の意思表示を終えて、新宿へ・・・・・。




 5時、小田急前では雲さんが立ち始めていました。
 今日は隣りでインディオの音楽が生演奏され、人がたくさん立ち止まり楽しそうにリズムをとっていました。宮ちゃんの話だと今日の演奏者は上手な方で人がよく聞いているしCDもよく売れているという話でした。
「ほら、この曲、何時もは弾かないよ。人が沢山いるからだね。」と宮ちゃんの感性は素敵です。
 OさんKさんは、9月4日(日)午後3時から行われる沖縄から米軍基地をなくそう「9・4防衛庁『人間の鎖』行動」(場所・市ヶ谷防衛庁前集合)のチラシを撒いていました。皆さん、声をかけあい集まりましょうね!!

 地下広場へ降ります。今日はエレベーターを使って降りるとアナンスが「地下一階、地下広場です」と言っていました。ここは、通路ではなく、やっぱり広場なんだと思ったら少し荷物が軽く感じました。久し振りに少ない人数での意思表示でしたが、雰囲気は変わりません。ほら!あそこにあの方の思いが立っている!!夏だから怪談ふうにね・・・・。
ほら、現れた。



 いま東京の街では、よく見かける風景になってしまいました。



 雲さんは、展示会で画鋲を打たれたパネルを持って立ちました。

http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=74



 中身を入れ替えたと言われたKさんのプラカードです。立ち止まらないと読めないプラカード、声をかけて下さる方も一番多いかもしれません。



 意思表示を始める時に書いたOさんの言葉、どうしてみんなにわからないのか、伝わらないのかと涙がこぼれそうになりました。

 意思表示が終わり、Sさんに見せていただいた新聞です。



 この新聞の事は、前日にメイルで知らせていただきました。その時の文面が心に残ったのでSさんの承諾を得て掲載します。

今朝、電車に乗ると、
前に座っている人も左右両隣の人も、
同じ新聞の同じページを読んでいました。
「日刊スポーツ」の特集ページです。
大見出しで「無関心ではいけない」
さる3日、「ジョニーは戦場へ行った」の試写会があり、
上映に先立って行われた、岸恵子さんの講演が掲載されています。
ご自身の、横浜大空襲、食糧難などの体験の後、
「人種差別や偏見や強国のエゴで戦争が広がる。
胸がえぐられる思いです」と、語られました。
新聞の一面を割いての反戦特集に驚きました。
下の段には、
新潮社・戦後60年「まだ語られていない戦後。」として、
11冊の本が紹介されています。
最後の一冊は、
「私の戦後60年-日本共産党議長の証言」不破哲三著。
新潮社からというのに驚きました。
その下の広告は、
岡本喜八監督「肉弾」のDVD。

さて、「ジョニーは戦場へ行った」の制作は1971年、
小学6年生だった私は、怖いとも思わず、
直截に「反戦映画」との感想も持たず、
「欲望って何だろう」との思いを抱いたのでした。
それから、いろいろ考えて、
今では、反戦映画といえば、「ジョニーは戦場へ行った」です。
昨年1月のスタンディングプラカードは、
「ジョニーを戦場に出すな
   日本人のジョニーを作るな」でした。

 とSさんからのメイルでした。最後にラジオ深夜便「私の戦後60年」で聞いた鶴見和子さんが話されていた言葉が書かれていました。

「戦争が罪なんです。
  戦争に歯向かうことがじゃない。」

 無関心にならないでください。子どもたちが、戦争など起こらない明るく希望の持てる社会の中で伸び伸びと成長できるように、ここで大人が生き方を見せましょう。世田谷区の教科書選択日は8月23日です。見つめましょう!!(おおきせいこ)

●世田谷区教育委員会(採択日は8月23日)
〒154-8504 世田谷区世田谷4丁目21番27号
電話 03-5432-1111
FAX 03-5432-3028
メール 
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