『いいわ!自分でさばくから』

投稿日時 2007-04-21 15:10:11 | カテゴリ: エッセイ



『いいわ!自分でさばくから』      大木晴子

この春、二週間ほど私は入院した。
点滴で過ごす時間が長かったので食事が出るようになって
その食材を何時も以上に愛おしく見つめた。
その一つが、タラの煮付けだった。
「母の好きな魚だったなぁ〜」と思いながら箸をつけた。
一口食べると懐かしいかおりが身体の中の細胞を揺り動かした。

小さい頃、私は練馬の江古田という所に住んでいた。
家の近くには、大きな市場があって母の手を握りながら
よく買い物に出かけた。



冬のある日、母とその市場へ出かけた。
母の持つ買い物カゴは、何時も幼い私には大きく見えた。
市場に着くと中程にあった魚屋さんで母は嬉しそうに
魚を一匹持ち上げて「これくださいな」・・・・・と。
すると中で元気なおじさんが「奥さん、さばきましょうか」
と言う声がかえってきた。
「いいわ!自分でさばくから」とこれまた元気に母が言った。
頭が出るくらい大きな魚が入った買い物カゴを
楽しげな母の手と一緒に持った。

母は家に着くと白い割烹着を着て大きなまな板の上で
その魚から丁寧にはらわたを取り出した。
珍しそうに覗き込んでいる私に「これを煮ると美味しいのよ。」
と飛び切り弾んだ母の声が台所に響いた。
その後、母はその魚を丸ごとぶつぶつぶつと輪切りにした。
大きな鍋に魚は並べられて上には丁寧に取り出された白い物が置かれた。
母は、一升瓶に入った醤油や味醂を忙しそうに抱えて味付けをしていた。
火から離れる事なく鍋の煮立つ音を聞いていた。

その時に、この魚がタラと言う名前だと初めて聞き、
母の生まれた北陸ではよく食べる魚だと聞かされた。

翌朝、台所へ行くと母が「晴子ちゃん、これを見てごらん。」
と言って大きな鍋の蓋をあけた。
そこにはタラを取り出した後の汁が固まっていた。
母は、スプーンでそれを掬うと私の口の中に入れた。
固まった汁は、私の口の中で解けて優しい味がした。
母の思いが詰まったかおりがした。
これが、煮こごりということもこのとき初めて知った。

あれから、何十年も経った。
私は近所の魚屋さんで「これ、いただくわ」・・・と。
そして「奥さん、さばきましょうか。」と言う声に
「いいわ!自分でさばくから」と応えている。
(2007年4月 おおき せいこ)



★写真は、2002年ベトナム・ホーチミン市の市場です。




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