12月20日の反戦意思表示!

投稿日時 2003-12-21 04:48:34 | カテゴリ: 西口通信



12月20日の反戦意思表示!大木晴子
風が強く寒い一日でした。
午後私は、東銀座にある「銀座ニコンサロン」に出かけました。
八重樫信之写真展「それぞれのカミングアウト?ハンセン病回復者?」
(12月25日(木)まで、10;00?19;00・祝・日は休館)が見たかったのです。
入り口でいただいたメッセージに、八重樫さんがはじめて納骨堂を撮影された時に「骨つぼに書かれた名前が分からないよう撮って」と注意されて、「死んでまで自分を消さなければならないのだったら、この人たちに生きた証はあるのか」と強いショックを受けられたと書かれてありました。
展示された一枚一枚の写真に足が止まります。
「主人、嫁いだ娘、息子二人に「裁判をやるなら堂々と名前を出して信念を持ってやれ」とハッパをかけられ匿名ではなく本名でたたかった。」と金城さんは、優しい家族に囲まれて写っていました。
社会復帰者のお一人でいらした、今年亡くなられた島さんは「一人の人間が一生の間にするには余りあるほど厳しい人生でしたが小説を書いたり国を訴えたり良い人生を歩いてきたと今になって気づかされました」と。
写真を撮る側と写される側の心が鏡のようにうつしあっている作品。写真が展示されているその部屋は、大きな問題を投げかけられながらも心地の良い温もりを感じました。
黒川温泉事件で、まだまだハンセン病に関して無知からでる偏見や差別の問題をあらためて考えたいと、この写真展を拝見して思いました。

銀座から新宿へ、私が持っているプラカードを入れる黒い布の袋には、PEACEの文字を赤いフエルトでアップリケにしています。そして「殺すな」バッジを付けています。地下鉄の中でも目立ち、前に座っている人には、しっかり見ていただいています。
さぁ、新宿!時間は午後4時50分。
寒いけど始めました。出来たての1月31日のチラシと意見広告そして、「殺すな」と山本夜羽音さんの美少女のプラカードを持って立ち始めました。
直ぐに若者二人が通りすぎてまた戻ってチラシを持っていきました。
これって嬉しいですね。自分の意志だから!
そこへ雲さんが「クラス会では?」東中野は人がいなくて時間までと立たれました。これも凄い、地上は5人でした。
私は一時間が過ぎた頃、少し早めに地下広場へSさんが、Hさんがフライパンさんが一人ひとりと増えて広場は温もり始めました。
嬉しいことがありました。それは、三重県から上京された丁さんという若い娘さんが「大木さんですか」と言って声をかけてくれました。インターネットで私のページを見たと言われた時は、素敵!と思いました。丁さん、また参加してくださいね。待っています。
また今日は、専門学校 放送メディア科の学生4名が私たちの行動を撮りたいと張切ってやってきました。
しかし、広場は撮影も許されませんでした。
警備員の「警察に行って許可をとれ」と言う言葉に生徒は先生に電話を入れ、結果再度許可をもらって来ると言うことになりました。
「あなた達、ジャーナリストを目指すんでしょう。何で頑張らないの!」
細井さんと一緒に言いましたが、結果は遠い先ですね。
警備員さんとのやり取りこそ収めなければいけない映像だったのではないですか。学生さん!怖がらず自分の感性を信じて頑張ろう。
学生が警備員さんと揉め始めた時に、法律にも強い細井さんが話に行くと「リーダーの大木さんじゃなければ話さない」といわれたと私を呼びにきました。ここには、リーダーなんて誰もいません。
失礼です。みんな個人。一人ひとりが自分の意志で地下広場に来て意思表示しているのです。
私は思います。私たちがいる広場が大きな力で無くなるような事があればそれはもう生きていけないだろうなぁーって真剣に思います。
普通の生活を大切に生き、優しく生きたい、みんな幸せになれるように願い自分で出来ることを頑張る人たちに、今日も地下広場のスピーカーから警告が流されました。(おおきせいこ)




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