「義母の想い出・・・・英語とカーディガン」

投稿日時 2012-12-07 15:24:08 | カテゴリ: エッセイ



「義母の想い出・・・・英語とカーディガン」大木晴子

 1989年、義母は美空ひばりさんと同じ年に亡くなった。
外見が少しきつく感じるのだろうか周りの人たちから
「お母さん、しっかりしてらっしゃるから晴子さん大変ねぇ〜」とよく言われた。
その言葉と反対で義母は、理が通れば息子より嫁の私の味方をしてくれる人だった。
その義母の友人たちへ香典返しを届けた折りに初めて知ったことがたくさんあった。
我が家は家族で外食をしたり、店屋物をとる家では無かったから、義母は嬉しかったのだろうか。
隣に住む私たちのところで夕食をした話を楽しげに話していたと何人もの方から聞いた。
そして一番親しくしていた近所のおばさまは、義母の寂しい出来事を話して下さった。

 話を聞いて、私の中で結びつく出来事を思い出していた。
当時、幼稚園に勤務していた私に義母は「晴子さん、幼稚園のバザーがあるでしょう。これを出して欲しいの」と
新品の素敵な男物のカーディガンを渡された。その時、とても不思議に思った。
でも、義母の鋭い眼差しに何も聞けずに黙って受け取った。

 近所のおばさまは、「お母さん、苦労されたのよ」と話し始めた。
義父には英語圏に友人がいて深夜によく電話をかけていたそうだ。
義母は、隣室でわからない英語を聞きながら会ったことも無いその人を想像していたのでしょう。
贈られて来る誕生日プレゼントなどからいろいろなことを想像していたのでしょう。
そして、その想いは私にカーディガンを渡された時の眼差しだったのだと話を聞きながら母のことを想った。

 時が流れて母が亡くなった歳に近づいた私は、最近このときの義母のことを考える。
それは今年の秋から家の中で 英語が飛び交う 生活が始まったからだ。
そして私は義母に何度も問いかける。「もう、いいですか。」と。
今度は「いいわよ!」と声をかけてくださることを願いながら・・・・。
12-12-07(おおき せいこ)
★義母と過ごした15年近くの間に、想い出が詰まっている。
ページでも書いたが、たいへんなこともあった。でも母と私は気があっていた。
幼い子どもと過ごす仕事を選んだ私は、子育てをされた母親の気持ちは少しはわかっていた。
大変な想いで育てた子を他人に託すのだから気持ちは複雑であるはず、
譲れるところはなるべく相談をして大きな買い物は母の知恵を借りた。
はじめは、嫁と距離を保った方が良いと考えていた母は、亡くなる数ヶ月前の入院先で
「晴子さん今日ね、看護婦さんに『毎日来る娘さんとよく似ていますね。』と言われたのよ!」
「私たち似ているのかしら」と嬉しそうに話した。その日、初めて母の入浴を手伝った。
細くなった背を流しながら一緒に涙も流がした。
何時もこの情景は私に優しさを満たしてくれる出来事の一つ。大切な想い出です。

『しのぶ寿司』・・・義母とのほろ苦い思い出 大木晴子
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