沖縄は基地の中にある・・日本の米軍基地75%が沖縄!大木晴子
沖縄の学生さんがツイッターでつぶやきました。
「米軍機がすごく低いところを飛んでいる感じがする@大学。
うるさい、というか体に響く音。」・・・と。
私は直ぐに・・・・
「東京の小雨降る空を眺めて想像します。
戦争に繋がるものいらない!!と思いながら・・・・」
と言葉を返しました。
http://twitter.com/kuronekoroku
師走の第二土曜日、私が着いたとき雲さんが立っておられました。
ひとり、ふたりと立ち始めます。
この日は、辺野古の 當山栄さんの初七日 です。
Oさんが白い花を一輪持ちスタンディングをされました。
胸の熱くなるこの優しさを沖縄へ届けたいと思いました。
6時5分前、地下広場へ移動します。
広場に着くと私を待っていて下さる方が・・・・。
新宿ど真ん中デモや集会でお会いするFumiさんです。
ツイッターでも繋がっている方です。
http://twitter.com/umiyume
時が経つのがはやいなぁ〜、 當山栄さんの初七日
意見広告運動にも頑張る人たちが立ちます。
http://www.ikenkoukoku.jp/
遙矢当さん が来られました。
福祉のお仕事をされている優しい方です。
私のプラカードに目を止められた年配のご婦人に声をかけたことから
話が戦争の悲惨さに繋がってたくさん遙矢当さんと語り合いました。
私は、これから機会があるとき進んで年配の方々に声をおかけしようと思い始めました。
「戦争のとき、何処にいらっしゃいましたか。」・・・と。
今日のご婦人は、山口県でB29が頭の上を飛んでいたわ。焼夷弾も近くに落ちたと言うこと話されました。
ご婦人は、そこまで話せれて去って行かれました。
私は、このご婦人がまた何処かで誰かに続きの記憶を語って頂きたいと願いながら後ろ姿を見送りました。
次にお聞きした方は、「良いことやっているねぇ〜」と声をかけて下さった74歳の年輩者。
8歳ぐらいで練馬にいらしたそうです。
沖縄のことを気にされてお話を伺うと米軍の基地で仕事をされていて、
沖縄返還当時にいろいろな署名活動に名前が書けなかったことが辛かったと話されていました。
今は、沖縄に基地が出来ること反対の意思表示が出来ると言われて
「頑張ってください」・・・・と。
昔の あの時代 をご存知でした。
私の今日の意思表示。
私のあなたの意思表示が平和への一歩に繋がると思う。
さぁ!出来ること。
自分流の意思表示を!!
10-12-11(おおき せいこ)
地下広場に丸木美術館! 大木晴子
地上でのスタンディングは、話しかけて下さる方が・・・。
みんな不安な社会情勢を気にしておられます。
プラカードを見つめる眼からそう感じます。
師走に入った土曜日、地下広場におりると 丸木美術館 で
ボランティア活動をされている皆さんが立たれました。
もう、ブログの 「丸木の人々」 に掲載していただいています。
嬉しい意思表示の日になりました。
この日、嬉しいことがもう一つありました。
隣で立つSさんと話をしていました。
Sさんのプラカードはツイッターで・・・・。
http://bit.ly/eEyHcn
「Kシスターは、元気かなぁ〜」・・・・と。
そうしたら後ろからシスターが現れてもうびっくりでした。
アメリカへの旅から戻られているはずなのに・・・・。
そう思ってずっと待っていたからお元気に参加されて嬉しかった。
丸木美術館のボランティアの皆さんの手には、丸木スマさんの絵もありました。
可愛い動物たち、きれいな草花、ほっとする絵です。
今年は、我が家では 「2011年丸木美術館オリジナルカレンダー」 をたくさん購入しました。
一年のご挨拶の中に一緒に入れて送りました。
丸木美術館の運営は、小さな個の力で支えられています。
皆さん!埼玉にある美術館を訪ねてください。
カレンダーはじめいろいろなグッズも日常の中で使ってください。
そして、丸木美術館を広めてください。
よろしくお願いいたします。
10-12-09(おおき せいこ)
霜月最後の土曜日、この日の気持ちを継続していきます! 大木晴子
このページは、沖縄県知事選の前日、霜月最後の土曜日の報告です。
時間が過ぎていくのがはやい!
選挙結果は、残念でしたが宜野湾市長選の勝利や伊波さんと対抗する為に
「県外移設」を公約にした新知事をしっかりと見つめていきましょう。
地下広場の意思表示も来年一月末には、八年が終わり新たな九年目に繋げていきます。
隣のSさんの言葉は、下記のツイッター写真で!!
http://twitpic.com/3amfj8
平和活動でご活躍されている泉田守司さんが声をかけてくださいました。
辺野古へのカンパもお預かりしました。
我が家の玄関に置いてあるカンパ箱が5000円貯まったら送ることにしています。
その中のに、「これも!」と言って小銭を全部くださった西口の皆さんのカンパと一緒に入れました。
お疲れさまの気持ちを込めて近日中に辺野古へ美味しいお菓子と一緒に届けます。
私もぶれずに、しっかりと見つめていきます。
自分流の意思表示をしていきます。
10-12-02(おおき せいこ)
沖縄の皆さん〜、私たちの一票も一緒に! 大木晴子
秋田からいらした 石田ひろしさん は、お仕事を終えられてスタンディングに立たれました。
沖縄を想うプラカードが行き交う人に見つめられます。
6時からは、地下広場にスタンディングの場は移動します。
地方で頑張る議員さん。
誰かさんと顔を見比べて欲しい。
石田ひろしさんには、たくさんの鐘の音が響くけど
誰かさんには、きっとか〜んと一つだろうなぁ〜。
Oさんのプラカード は、地下広場で出来上がりました。
「 喜八ログ」を書かれている喜八さんは、私も途中まで参加していた
多目的ギャラリー「ネコノマ」 から駆けつけて意思表示です。
久しぶりに立たれた山本英夫さんは、新しく 辺野古の絵葉書 を作られました。
そうですね・・・言いたいことたくさんある!!
レインボーの旗も地下広場に似合います。
Kさんは、 「2010安保連絡会」 のチラシを持ちながら立ちます。
チラシと言えば、むかし「意見広告」第一期の時は何時もたくさん賛同を呼びかけるチラシを持って
Kさんと配った!ほんとうによく配りました。
私のページでもわかりやすい位置にリンクを入れました。
第10期「意見広告」 が大きく深呼吸をして心意気も新たにスタートしました。
私も自分流に宣伝活動に力を注ぎます。
皆さん!チラシを事務局から取り寄せて身近な人たちにお渡しください。
お願いします!!ブログやHPのリンクに加えてください。
ムキンポさん から旅行に出ると。
この間、ムキンポさんのサイトに載っていた旗の国ですね。
お土産無くてもいいから、無事に帰国してくださいね。
雲さんのプラカードにご自分のイラストが入りました。
足が長くて素敵です。
そう、いま、ひとりが大事な時です。
個がしっかりとさまざまな問題に向き合いましょう。
沖縄の皆さん!一票を未来の平和へ繋げてください。
沖縄が変わりましょう。新しい沖縄をつくりましょう。
一票の無い、私たちの分まで気持ちを入れて投票してください。
10-11-26(おおき せいこ)
『鈴木一誌・エッセイ』第10回
言葉の国産化
デザイン、ことに雑誌や書籍のデザインを、自嘲を込めて「切った貼ったの世界」と呼ぶことがある。任侠映画で見知った「斬った張ったの世界」のもじりで、たしかにエディトリアルやブックデザインでは、ひんぱんにゲラや図版を切って貼る。昨今はデジタル化の浸透で、「切った貼った」も減りつつあるいっぽう、モニターのなかで、あいかわらず〈切る=カット〉と〈貼る=ペースト〉を繰り返している。
切るには鋏が、貼るにはピンセットが必須だ。デザインには、鋏とピンセットが重要な道具だというわけだ。出番が減ったとはいえ、鋏とピンセットは、デザイナーにとっての精神的な拠り所だと感じる。長いあいだ勤めてくれたスタッフが独立する際は、使い慣れた鋏とピンセットをプレゼントする。二〇〇八年には、九年間いっしょにしごとをした女性三人が、鋏とピンセットを持って羽ばたいていった。
鋏とピンセットについて、日ごろ不思議に思うことがある。エンピツをはじめ、周辺には高品質な国産品が溢れているにもかかわらず、こと鋏とピンセットに限っては、これぞという製品に出会ったためしがない。鋏は「ドボ」や「アドラー」といったブランドのドイツ製だし、ピンセットもスイス製の「エレム」だ。どちらも、デザインの手本と仰ぐ国の製品であるのが象徴的だ。
理由はいろいろあるのだろうし、和鋏や毛抜きには上質のものがあるはずだが、ここでは、飛躍気味にこう言ってみたい。国産品で優秀な鋏とピンセットが見つからないのは、「デザイン」という言葉を日本語に翻訳できなかったからだ、と。明治期以降、デザインを、意匠、図案設計、商業美術など、さまざまに言い換えようとしてきたが、いずれも消えていった。「デザイン」なる概念をついに国産化できなかったゆえに、作業の要である鋏とピンセットを作り得なかった、という仮説だ。優秀な鋏とピンセットをつくろうとの意欲に駆り立てられなかったと言うべきかもしれない。
友人に、スポーツ・ジャーナリズムに詳しい編集者がいる。彼によれば、たとえば野球の記事にしても、アメリカの新聞と日本の新聞では、書きぶりが大きくちがう。アメリカの新聞では、一〇年後に記事を読んでも、ゲームの流れとポイントがわかるように書かれている。対して日本の新聞では、一〇年後に読むに耐えない。なぜならば、「亡き母へ捧げた逆転ホームラン」といったぐあいに、どちらかというと人間ドラマに関心が寄っているからだ。彼は言う。わが国へのスポーツ・ジャーナリズムの定着をめざして、自分はアメリカの新聞でゲームの記事を読む訓練をしておく。
テレビで大リーグの実況を見ると、日本のとは印象がちがう。個人の思い入れを振り払うかのように、淡々とゲームが進行していく。選手たちとともに、グラウンドという場もまた主役のようだ。ゲームとは、プレイヤーと場との遭遇によって起きる予想のつかないドラマだ。美技は、もちろん選手個人の功績なのだが、同時にゲームに属している感がある。場が主役だからこそ、市民は大挙して球場に駆けつけるのではないか。良い悪いではなく、わが国民は、〈ベースボール〉を〈野球〉に、〈ゲーム〉を〈試合〉へと国産化したのだ。
「デザイン」は、なぜ日本語に変換できなかったのか。同じように、身近な言葉の国産化の度合いを考えてみるのもよいだろう。略語化された「デモ」は、はたして国産化したのか、かたや「テロ」は国産化してほしくない……。
グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)
『鈴木一誌・エッセイ』第九回
『鈴木一誌・エッセイ』第八回
『鈴木一誌・エッセイ』第七回
『鈴木一誌・エッセイ』第六回
『鈴木一誌・エッセイ』第五回
『鈴木一誌・エッセイ』第四回
『鈴木一誌・エッセイ』第三回
『鈴木一誌・エッセイ』第二回
『鈴木一誌・エッセイ』第一回
「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』113号(2009・04・01)に掲載されたエッセイを
筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
写真のコラージュ:大木晴子
10-11-19(おおき せいこ)
言葉の国産化
デザイン、ことに雑誌や書籍のデザインを、自嘲を込めて「切った貼ったの世界」と呼ぶことがある。任侠映画で見知った「斬った張ったの世界」のもじりで、たしかにエディトリアルやブックデザインでは、ひんぱんにゲラや図版を切って貼る。昨今はデジタル化の浸透で、「切った貼った」も減りつつあるいっぽう、モニターのなかで、あいかわらず〈切る=カット〉と〈貼る=ペースト〉を繰り返している。
切るには鋏が、貼るにはピンセットが必須だ。デザインには、鋏とピンセットが重要な道具だというわけだ。出番が減ったとはいえ、鋏とピンセットは、デザイナーにとっての精神的な拠り所だと感じる。長いあいだ勤めてくれたスタッフが独立する際は、使い慣れた鋏とピンセットをプレゼントする。二〇〇八年には、九年間いっしょにしごとをした女性三人が、鋏とピンセットを持って羽ばたいていった。
鋏とピンセットについて、日ごろ不思議に思うことがある。エンピツをはじめ、周辺には高品質な国産品が溢れているにもかかわらず、こと鋏とピンセットに限っては、これぞという製品に出会ったためしがない。鋏は「ドボ」や「アドラー」といったブランドのドイツ製だし、ピンセットもスイス製の「エレム」だ。どちらも、デザインの手本と仰ぐ国の製品であるのが象徴的だ。
理由はいろいろあるのだろうし、和鋏や毛抜きには上質のものがあるはずだが、ここでは、飛躍気味にこう言ってみたい。国産品で優秀な鋏とピンセットが見つからないのは、「デザイン」という言葉を日本語に翻訳できなかったからだ、と。明治期以降、デザインを、意匠、図案設計、商業美術など、さまざまに言い換えようとしてきたが、いずれも消えていった。「デザイン」なる概念をついに国産化できなかったゆえに、作業の要である鋏とピンセットを作り得なかった、という仮説だ。優秀な鋏とピンセットをつくろうとの意欲に駆り立てられなかったと言うべきかもしれない。
友人に、スポーツ・ジャーナリズムに詳しい編集者がいる。彼によれば、たとえば野球の記事にしても、アメリカの新聞と日本の新聞では、書きぶりが大きくちがう。アメリカの新聞では、一〇年後に記事を読んでも、ゲームの流れとポイントがわかるように書かれている。対して日本の新聞では、一〇年後に読むに耐えない。なぜならば、「亡き母へ捧げた逆転ホームラン」といったぐあいに、どちらかというと人間ドラマに関心が寄っているからだ。彼は言う。わが国へのスポーツ・ジャーナリズムの定着をめざして、自分はアメリカの新聞でゲームの記事を読む訓練をしておく。
テレビで大リーグの実況を見ると、日本のとは印象がちがう。個人の思い入れを振り払うかのように、淡々とゲームが進行していく。選手たちとともに、グラウンドという場もまた主役のようだ。ゲームとは、プレイヤーと場との遭遇によって起きる予想のつかないドラマだ。美技は、もちろん選手個人の功績なのだが、同時にゲームに属している感がある。場が主役だからこそ、市民は大挙して球場に駆けつけるのではないか。良い悪いではなく、わが国民は、〈ベースボール〉を〈野球〉に、〈ゲーム〉を〈試合〉へと国産化したのだ。
「デザイン」は、なぜ日本語に変換できなかったのか。同じように、身近な言葉の国産化の度合いを考えてみるのもよいだろう。略語化された「デモ」は、はたして国産化したのか、かたや「テロ」は国産化してほしくない……。
グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)
『鈴木一誌・エッセイ』第九回
『鈴木一誌・エッセイ』第八回
『鈴木一誌・エッセイ』第七回
『鈴木一誌・エッセイ』第六回
『鈴木一誌・エッセイ』第五回
『鈴木一誌・エッセイ』第四回
『鈴木一誌・エッセイ』第三回
『鈴木一誌・エッセイ』第二回
『鈴木一誌・エッセイ』第一回
「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』113号(2009・04・01)に掲載されたエッセイを
筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
写真のコラージュ:大木晴子
10-11-19(おおき せいこ)