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投稿者 : seiko 投稿日時: 2005-09-07 18:03:48 (2247 ヒット)


『切られた二本の桜の木』     大木晴子

 一年近くかかった工事が終わり静けさが戻って来たら『あの桜の木は切らなくても良かったのに』とその前を通るたびに思うのです。
 我が家の真ん前にあった広い土地には、私がこの地に来る前から植えられていた二本の桜の木がありました。

 敷地の隅の方で駐車場に使われた時も放置自転車置き場になっても春にはまずソメイヨシノが咲き少しずれて八重桜が濃いピンク色で楽しませくれました。

 この土地が昨年、介護などを手がける大手の会社が高級老人ホームを建てることに決まった時私は、正直老人の方が増えて優しい街になることを喜んでいました。でもその気持ちは、直ぐに打ち砕かれてしまいました。
 土地に植えられていた樹々が無惨なかたちで引き抜かれ整地作業が始まっても『あの桜は大丈夫だよね。だってここは老人ホームが建つのだから』とジローに散歩で通るたびに話しかけていました。
 その朝も同じように話しながら『無事で良かったね』と桜の木に触れて活きていると感じて『頑張ろう』と声をかけて通りました。
その日、夜の遅い時間にジローの散歩に出ました。
息が止まりそうでした。
桜の木の側に立っている街灯の光で切り株は白く青ざめて見えました。『ジロー、ここでちょっと待っていて』切り株にジローを繋ぐと私は泣きながら家へ、連れ合いが美味しいというお酒とひとつかみの塩をもって戻りました。
切り株にお酒をかけて真ん中に塩を置きました。
切り株を見た時に昔、植木屋さんが木を切るときに必ずやると教えてもらったことを思い出したのです。
『ごめんね。守ってあげられなくて』そう話しかけました。
側でジローは、静かに座って私を見ていました。
 翌日、少し遅い朝の散歩に出ると根から掘り起こされその切り株は、何処かへ運ばれた後でした。新しい土が盛られそこに木が植えられていたことがわからないような平らな土地になっていました。



(上の写真、街灯の当たりにソメイヨシノが、下の写真、電柱と手前の石の間に八重桜が植えられていました。)

 工事が始まり、もの凄い騒音の中働く人たちと地元の皆さんとの交流も無いまま時はたち建物が出来上がりました。最初に配られた図面とは少し違い地元に優しさを感じることの出来ないその建物を見て、『あの二本の桜があったら、雰囲気が違っていたのに』と思いながら

もし私が建築主だったら、
もし私が設計に携わっていたら、
もし私がこの会社の社員だったら、
きっと、こう話をしたと思う。

『この桜を大切にしましょう。ここに入られる方に後で話してあげられるように・・・工事の人も関係した人皆が二本の桜を大変な作業の中、守りそして暑い夏は憩いの場をこの木から貰い、元気に作業が出来ました。『桜の木があって良かったですね。』と近所に住む皆さんが声をかけてそれは楽しい作業でした。季節を感じながらこの建物が出来上がりました。皆さんと一緒に桜の季節をむかえるのが楽しみです。と話せるように、この木を育てていきましょう。』・・・と。

このホームの名前は、近い駅名でもなく、地元の地名でもなく隣りの駅名で『△△△△ガーデン桜○町』とつけられました。

あの二本の桜の木を切らなくても良かったのに。
(おおきせいこ)                 


その後、この施設はコムスンが倒産して他の運営になりました。
コムスンの時は、入られている方の散歩は施設の周りを
くるくる回るだけの味気ないものでしたが、いまは優しさを感じる
皆さんの働く姿をみることが多くなりました。
10-03-17(おおき せいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2005-03-10 01:42:37 (2506 ヒット)

(頂いて10日、きれいに咲き始めました。)
「祥月命日」   大木晴子
今年の七月二十七日で十六年になります。毎月二十七日には、先代次郎そして今のジローと朝の散歩でお花屋さんに寄り、季節の花や樹ものを買って帰ります。

 27日は、義母の祥月命日。義母が亡くなって五年後の六月二十七日は、次郎が亡くなった日です。二週間も水だけで次郎はこの日を選びました。彼は、毎月穏やかな散歩で、きれいな花を買い楽しげな会話をしながら過ごしたこの日に、自分も亡くなれば「母さん、ボクのこと何時も覚えていてくれる」と思ったのでしょうか。
獣医さんがびっくりするくらい頑張ってこの日を選びました。
 今年、二月からは兄の祥月命日にもお花をと思ったら「無いー。二十九日が・・。」それに義母の日と近すぎて「そうだ!二十八日に買おう、そうしようね。ジロー」
 二十八日の朝、お花代をポケットに入れて散歩に出かけました。
 家の近くのおじいちゃん、おばあちゃんからジローは、クッキーを頂き楽しい散歩が始まります。季節の花がきれいに植えられているお宅の前を通り、「おはようございます」「おっ、坊主元気か」と何時もの挨拶をかわすと、おじさまがこの日「この花を持っていらっしゃい」と蘭の花が植わった鉢を下さったのです。
私の為に小分けをして、可愛いつぼみがたくさん付いた鉢植えを作って下さったのです。
 鉢植えを抱えてジローと話しながら帰りました。
「わぁ、なんて幸せなんでしょう。義母さんと次郎お兄ちゃんと良ちゃんの祥月命日にと決めた、最初の日に素敵な素敵なお花が・・・・ジローくん良かったね。」 (05-03-10・おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2005-02-04 11:22:19 (5256 ヒット)

(兄、山本良夫が大好きだった松井田で咲いた花が届きました。)

「あなたの妹に産まれて・・・・」  大木晴子

 私は昨年の12月の初め頃から気がつくと休む前にやっていることがありました。
それは、インターネットで「防人の詩」の曲だけが流れるサイトを訪ね兄が好きだったこの歌をうたっていました。
「僕は、二番が好きだ」と言って一緒に口ずさんだ時のことを思い出しながら曲の中に身をゆだねていました。
 兄が息をひきとった後、直ぐにかかった「防人の詩」をうたっている時に、「毎日、歌っていたよ」と心の中で兄に報告をしていました。
 私は、この日のために歌の練習をしていたのかも・・・・。
29日の朝に亡くなった兄、葬儀が行われる二月一日までの時間も義姉と二人の息子に兄は、その足跡をしっかりと示しました。
 一緒に「第九」を歌ってきたお仲間40人近くの皆さんが兄を囲みミニコンサートを開いてくださいました。二階の居間まで何人もの車いすを使われる皆さんがゆきわりそうのスタッフに抱きかかえられ上り下りしながらその優しさにあふれた時間がありました。最後にお一人の方が「『長崎の雨』を歌わせて下さい。」と言われて、涙声になりながら歌って下さったこの歌も私には、大切なものになりました。
 兄と向き合って共に仕事をしてきた皆さんが次々と訪ねて下さったようです。ゆきわりそうを退職した皆さんの半数近くの方が兄を偲んで駆けつけてくださったと義姉は穏やかな顔で話してくれました。



式が執り行われる落合斎場へ向かう兄を家族と私たち兄弟で見送りました。私と15歳違いの一番上の兄と良ちゃんの顔を何度も何度もさすりました。



会場に入ると花の香りがしました。献花だけの静かな式、さだまさしさんの歌声に包まれて・・・・。
 この光景の中で、私は何年分かの涙を流したような気がしています。たくさんの皆さんが、昨年12月に行われた「ゆきわりそうミュージックパーティー」で私が撮った笑顔の兄の遺影の前で、あわせた手の震え、つぶやく口元、震える肩から優しい兄を見つめる眼差しを感じ、「皆さん、ありがとう」と感謝の思いで胸がいっぱいでした。
 新宿西口で反戦意思表示をしている皆さん方、何も知らせていないのに私のページを読み駆けつけてくれた友人、涙が止まりませんでした。



 式場の外の様子など、連れ合いが撮ってくれた写真を後で見て再び思いがこみ上げてきました。



 私は棺の中に手紙と兄のことを書いた最後のニュースそして兄が好んで愛用してくれた「明日も晴れ」PEACEのバンダナを入れました。



家から送り出す時も最後のお別れの時も私は言いました。
「あなたの妹に産まれて良かった。幸せだった・・・ありがとう。」



兄は、亡くなる一週間前、松井田で昨年収穫したひょうたんを一つ私にくれました。「そこに、スローガンを書きなさい。これから足のマッサージなどしてもらった時にカンパを入れるから」と・・・。「ジュゴンを守ろう・・・・」と書いたひょうたんにその日、兄はカンパを入れてくれました。
そのひょうたんのカンパ入れは、これから西口で立つ私の横に置きたいと思っています。



兄が亡くなる二日前、我が家に可愛い和紙で出来た「招き猫」がやって来ました。連れ合いが取材先で買って来てくれたものです。私はこの猫ちゃんに「良ちゃん」と名前をつけました。涙が溢れそうなとき「良ちゃん」と声をかけるかなぁー・・・きっと。
 私は、これからも憲法九条を大切に愛し平和への道を揺るぎなく歩いた兄の背中を見ながら兄のように見上げない、見下ろさないの気持ちを大切に過ごしていきたい。(おおきせいこ)


投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-12-29 13:58:33 (3374 ヒット)

「主張する」  大木 茂

2001年秋、EU統合直前のスペインを旅した。南部のバレンシアに宿泊した晩、大衆食堂でいささか粗野ではあるが安くてうまい地元の料理とワインを楽しんで宿に戻る途中、写真の青年に出会った。

 歩道に座り込み、前にプラコップを置き、物乞いをしている。何やら主張を掲げているのだがスペイン語の分からない僕には残念ながら内容が理解できない。
 昨今、我が国では街頭で物乞いをする人たちを見ることは稀になったが世界中の国々ではまだまだ多くの物を乞う人々を見かける。それだけ富の分配が片寄っている証拠でもあるわけだ。僕自身は格別の宗教観も無く、無差別に施しをする考えもないので基本的には冷たく無視するしかないと考えている。しかし、アジアやアフリカの圧倒的な貧富の差の中で次々と差し出される弱々しい手には何とも言えぬ後ろめたさと無力感を抱かざるを得ないのも事実だ。

 比較的豊かだと思われているヨーロッパでも紙コップやカンからを差し出されることがよくある。しかしこの地域の人たちはキリスト教宗教観に裏打ちされているからだろうか粗末な紙切れであっても何らかの意思表示をしている姿を多く見かける。「私は物乞いをしているが、これこれこういうわけで仕方なくやっているのだ、さあ援助してくれ」といった具合だ。

 この写真の青年もきちんとした姿勢で座り道行く人々に誠実に訴えるものを感じて好感が持てた。その風貌が僕の友人の一人に似ていることもあって「写真を撮らせてくれ」と片言のスペイン語と身振りで伝えると、当然のように彼はコップを指す。僕は指を一本立てて100ペセタ(80円弱)。彼は指二本。それならばヤメタ!と立ちかけると、彼は慌てて指一本、で交渉成立。このあたりはマーケットでのやり取りと似ていてなんともおかしかった。

 カシャカシャと数カット撮り、ポケットをまさぐってコインを1つコップに放り込む。破顔一笑、青年の表情が変わった。コップをのぞき込むと、なんと、形は似ていたが一回り大きな500ペセタ硬貨を入れてしまったのだ。まさかおつりをくれとも言えずあきらめるほかはない、まぁいいか。

 人々の前に身を曝して意思表示し主張をする。大変なことだと思う。500でも足りなかったかもしれない。
(おおき しげる・フリーランスで写真撮影)


 これは「市民の意見30の会・東京」ニュース84号に掲載された写真と文章です。
 「あなたと意思表示をされている皆さんにエールをおくらせてもらうよ」と言って見せてくれた写真と文章を私はとっても気に入っています。(おおき せいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-12-19 22:12:42 (24267 ヒット)


「吉永小百合さんと同じ洗顔方法」 大木晴子

この写真は、16年前に京都東映撮影所のセットで「華の乱」の撮影中に吉永小百合さんと写していただいたものです。時間はもう少し前から・・・・。
吉永小百合さんのお話を聞いて、もう二十五年くらい続けていることがあるのです。
1979年、そう開高健さんが大きな魚を釣ってグラビア写真に載ったりした年、その年の秋に「洗顔器」が発売になりました。



泡がぶくぶく出て、つるつるのお肌になりますと宣伝され始めた頃。
「徹子の部屋」に吉永小百合さんが出られてお肌の手入れ方法の話になりました。
黒柳徹子さんが「いつもお奇麗でどんな洗顔をされているのですか」というような質問に応えて
「吉永小百合、洗顔方法」を話されました。
私は直ぐにメモを取りました。
そして、その日からその洗い方を実行しています・・・今も。
洗い方は、後で書きますね。
そして、16年前に連れ合いが吉永小百合さんのスチール写真を撮ることになり、京都へ。
私はその頃、岩波ホールへお手伝いに行っていた時期でした。
丁度、中国映画「芙蓉鎮」が上映されていて連日満員の状態の時でした。
撮影所で吉永小百合さんに、お仕事はとたずねられ岩波ホールの話をすると「連日満員で凄いですね」
と言われいろいろな情報をもたれていることに「さすがだなぁー」と関心しました。
その気持ちはさらに付き人さんから吉永さんの洗顔方法を聞いた時に極める人は違うなぁーと吉永小百合さんのことが大好きになりました。
付き人さんに、「小百合さんは、洗顔されるとき・・・・・されていますか」とお聞きすると彼女はビックリした顔をして「そうですよ。
でもホテルでは、大きなバスタオルを上からかけて蒸すようにされています」と・・・。
新しく工夫が施されていることがわかりました。
私は、この洗顔方法は心地の良い温度のお湯の中で自分を愛おしく見つめられること、洗い終わった後の清々しさがたまらなく好きです。
皆さんも「吉永小百合さんと同じ(今はどうかなぁー)洗顔方法はいかがですか」

「吉永小百合さんと同じ洗顔方法?」

用意するもの
顔を洗う石けん(私は糠石けん)
コールドクリーム(私はポンズ、自分で使っているもの)
お湯とお水。
★ 普通にお湯で洗顔します。気持ち熱め!
このときにお湯の中に顔をつけて洗うようにして毛穴を開かせます。
(9月20日追加。友人から「先に、クレンジングでお化粧は落としておいた方がいいのかしら?」と質問が来ました。
私はアイシャドー等、使ったりしないので石鹸で洗うだけで十分なのですが、しっかりお化粧をされている方は、一度落とされてからこの方法をされるのが良いと思います)

★ コールドクリームでさらに、汚れを取ります。クリームは少し多め、肌を傷つけないように優しく、ゆっくりと・・・。
★ 先ほどのお湯より少し熱めを用意します。
クリームを拭き取った後に、ゆっくりとお湯の中に顔を沈めます。
この時に、口から息をぶくぶくと出します。息継ぎをしながら数回します。(この時に、毛穴の汚れはほぼ完璧に出てくるとおもいます。)
★ 軽くタオルで拭き取り、今度は冷たい水の中で同じように繰り返します。冷蔵庫の氷が余っていたり、古くなった時などは、使いましょう。さらに気持ちが良いですよ。
★ タオルで軽く水分をとる。
★ 後は、私はヘチマコロンぐらいです。
夏などはこれで十分なのです。
一つ大切なことは、この洗顔方法の効果を期待する時は、優しく慈しむ心が無いと効果は期待できません。
吉永小百合さんを拝見しているとそう思えるのです。
たくさんの方がこの洗顔で心とともに美しくなれたら平和へ繋がる歩みがまた一歩出来るようなそんな気持ちになるのは、きっと私だけではないと思います。(おおきせいこ)

この写真には、15年前に亡くなった義母との楽しい会話の思いでもあります。
義母が言った「晴子さん、負けていないわよ!」の一言に皆で大笑いでした。
今もこの写真を見ると義母の声が聞こえてくるようです。
2016・01・30(おおき せいこ)

『しのぶ寿司』・・・義母とのほろ苦い思い出 大木晴子

義母との想い出を書いたエッセイを貼ります。

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