『切られた二本の桜の木』 大木晴子
一年近くかかった工事が終わり静けさが戻って来たら『あの桜の木は切らなくても良かったのに』とその前を通るたびに思うのです。
我が家の真ん前にあった広い土地には、私がこの地に来る前から植えられていた二本の桜の木がありました。
敷地の隅の方で駐車場に使われた時も放置自転車置き場になっても春にはまずソメイヨシノが咲き少しずれて八重桜が濃いピンク色で楽しませくれました。
この土地が昨年、介護などを手がける大手の会社が高級老人ホームを建てることに決まった時私は、正直老人の方が増えて優しい街になることを喜んでいました。でもその気持ちは、直ぐに打ち砕かれてしまいました。
土地に植えられていた樹々が無惨なかたちで引き抜かれ整地作業が始まっても『あの桜は大丈夫だよね。だってここは老人ホームが建つのだから』とジローに散歩で通るたびに話しかけていました。
その朝も同じように話しながら『無事で良かったね』と桜の木に触れて活きていると感じて『頑張ろう』と声をかけて通りました。
その日、夜の遅い時間にジローの散歩に出ました。
息が止まりそうでした。
桜の木の側に立っている街灯の光で切り株は白く青ざめて見えました。『ジロー、ここでちょっと待っていて』切り株にジローを繋ぐと私は泣きながら家へ、連れ合いが美味しいというお酒とひとつかみの塩をもって戻りました。
切り株にお酒をかけて真ん中に塩を置きました。
切り株を見た時に昔、植木屋さんが木を切るときに必ずやると教えてもらったことを思い出したのです。
『ごめんね。守ってあげられなくて』そう話しかけました。
側でジローは、静かに座って私を見ていました。
翌日、少し遅い朝の散歩に出ると根から掘り起こされその切り株は、何処かへ運ばれた後でした。新しい土が盛られそこに木が植えられていたことがわからないような平らな土地になっていました。
(上の写真、街灯の当たりにソメイヨシノが、下の写真、電柱と手前の石の間に八重桜が植えられていました。)
工事が始まり、もの凄い騒音の中働く人たちと地元の皆さんとの交流も無いまま時はたち建物が出来上がりました。最初に配られた図面とは少し違い地元に優しさを感じることの出来ないその建物を見て、『あの二本の桜があったら、雰囲気が違っていたのに』と思いながら
もし私が建築主だったら、
もし私が設計に携わっていたら、
もし私がこの会社の社員だったら、
きっと、こう話をしたと思う。
『この桜を大切にしましょう。ここに入られる方に後で話してあげられるように・・・工事の人も関係した人皆が二本の桜を大変な作業の中、守りそして暑い夏は憩いの場をこの木から貰い、元気に作業が出来ました。『桜の木があって良かったですね。』と近所に住む皆さんが声をかけてそれは楽しい作業でした。季節を感じながらこの建物が出来上がりました。皆さんと一緒に桜の季節をむかえるのが楽しみです。と話せるように、この木を育てていきましょう。』・・・と。
このホームの名前は、近い駅名でもなく、地元の地名でもなく隣りの駅名で『△△△△ガーデン桜○町』とつけられました。
あの二本の桜の木を切らなくても良かったのに。
(おおきせいこ)
その後、この施設はコムスンが倒産して他の運営になりました。
コムスンの時は、入られている方の散歩は施設の周りを
くるくる回るだけの味気ないものでしたが、いまは優しさを感じる
皆さんの働く姿をみることが多くなりました。
10-03-17(おおき せいこ)
平和が好き・・・だったら・・・。 大木晴子
4日の夜は凄い雨が降りました。とくに東京そしてその近郊では記録的なものになり、被害が出始めて「みんな、大丈夫かなぁー」と心配しながら書き始めています。
昼間も雷がなり、防衛庁近く市ヶ谷で短い時間でしたが強い雨が振りました。「今こそ沖縄から米軍基地をなくそう・9・4防衛庁『人間の鎖』行動」が行われる一時間ぐらい前です。人びとの手と手が結びあい包囲行動が行われる頃には、太陽の光がさして私たちの歩みに明るさが感じられました。
防衛庁前には、犬のリンタロウ君(富田晋さんのお家の犬?)そしていろいろなジュゴンも参加していました。赤ちゃんを抱っこして汗だくで立たれたお母さん、子ども、日本山妙法寺の皆さんの打つ太鼓の音と清々しい顔が印象に残ります。
今日の行動を支えた皆さんは、沖縄の紅型で染められた布を目印につけて頑張っていました。
主催者発表700名の参加、端から端まで心を結び平和への歩みを確実に「皆で一歩」でした。
さぁ、9月最初の土曜日報告です。
私は立川反戦ビラ入れ裁判支援の集会に出て西口へと予定していましたが、4日もあるので今回は諦めて5時に新宿西口小田急前に立つことにしました。
5時過ぎ雲さん、Aさん、Oさん、千代さんが立ち始めていました。
もちろん皆さんのプラカードには、9月11日投票日に向けての思いが込められています。千代さんのお母さんが書かれたプラカードが良いなぁー。フォトアルバムにも掲載しています。
辺野古支援から戻られたTさんは、会議までの時間をと肌で触れてきた辺野古への思いが・・・・。皆さん、辺野古の戦いも続いています・・・眼を反らさないで・・・見つめてください。
6時、地下広場に市民の「心の声」が響きます。
ほら、あの柱にそしてあそこの柱にも!!
言葉の画集も14冊目になりました。凄いなぁー!!
今日、初めて立たれた娘さんの手には「ぶ厚い マニフェストは いらない。自由、平等、平和 それだけで いい」と書かれていました。しっかり持つ手にその思いが現れていました。フォトアルバムで大きな写真が見られます。
Aさんは、どうしても持ちたいと雲さんにお願いして画鋲で刺されたイラクの女の子の絵を持って・・・・。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=74
今日は、大阪から橘さんが詩集を持って立たれました。
今回は、100円ショップの画集に力強い文字で丁寧に「反戦アンデパンダン詩集」を書き写し、裏側にも読む為に少し小さな文字でぎっしりと書かれていました・・・感動しました。
橘さんは、私たちのことを思い小さな声で語りかけるようにつぶやいておられました。橘さんの胸にバッジが・・・。
最後の数分で、橘さんは栗原貞子さんの「武器より薔薇を」を朗読されました。心に刺さります。
「反戦アンデパンダン詩集」は下記でご覧下さい。
http://www.mmjp.or.jp/soufushiya/shin030521.html
隣りでムキンポさんがレインボーの旗で意思表示。
私も橘さんと一緒に、ムキンポさんにシャッターを切っていただきました。
レインボーの旗は、明るく希望に向けて歩けると感じることが出来ます。日曜日の防衛庁前には、ぴーすぐっずプロジェクトの大勢の思いが寄せ書きされたレインボー旗が広がりました。また、9月11日に明治公園でイベントとパレードをするWORLD PEACE NOWの皆さんがレインボーの旗をたくさん立てメッセージ掲げて参加されていました。
http://www.worldpeacenow.jp/
西口地上でも青年がチラシを汗を流しながら手渡していました。
みんな、何処かで同じ汗を・・・変わることのない強い意思表示にホッと安心そして嬉しくなりませんか。(05-09-05・おおきせいこ)
選挙に込める思いが地下広場に! 大木晴子
「選挙に行こうね」プラカードを見つめる若者に声をかける。一人一人と向き合うと大丈夫と信じられるのに何故、何時も低い投票率なんだろう。そう思いながら新宿へ向かいました。少し疲れました。今週は、写真を見て後は、想像してください。
地上は、7名で意思表示でした。
Kさんは、9月4日(日)午後3時集合 午後3時30分開始
「今こそ沖縄から米軍基地をなくそう!9・4防衛庁「人間の鎖」行動」のチラシを配っています。丁寧に声をかけて渡していきます。
皆さん、声をかけあって参加しましょうね。詳しくはカレンダーをご覧下さい。
Oさんが書いた文字に同じ「怒る」思いを感じました。
選挙への思いが・・・・そして平和を願いながらTさんは、日曜の朝に辺野古へ・・・・。仕事で遅くなったSさんのプラカードには、何時も「撤兵」の文字があります。みんな、みんな辺野古もイラクもそして選挙も平和へ繋がることを一生懸命考えています。そして、自分に出来ることを大らかに生活の中から意思表示しているのです。(おおきせいこ)
東京10区・山本としえ・・・・邪念の無い人。 大木晴子
8月25日東京は、朝から台風の影響を受けて激しい雨が断続的に降り続きました。私は、この雨で日本の曇ったガラス窓を洗い流し、台風の後に輝く太陽の光をいっぱい感じとれると良いなぁーと思い願いながら向日葵の花を抱えて東京10区の東長崎へ向かいました。
今日は、ここ10区から立候補する山本としえさんの事務所開きがありました。雨の中、支援者、マスコミの取材などたくさんの人が駆けつけとしえさんの雰囲気に似て大らかなスタートをきりました。
候補者山本としえさんの大らかで優しい語りの中に人が人らしく生きる基本的な人権を大切にする、暮らしの目線に立って政治を考えていく姿勢が力強く伝わって来ました。
また一月に亡くなった兄と同じ思いで平和への歩みを涙目で話す義姉に心から声援を送りたいと思いました。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=302
私は何度も書いていますが、組織とか大きな運動体の中で活動することは、好きではありません。でも、現状では繋がることの出来る部分で手を繋ぎあい平和への歩みをしなければならないと思っています。
憲法9条を守る人、平和へ繋がる歩みを大切にする人へ大切な一票を投じてほしいと心から願っています。
私は最近、鞄の中に自分で作ったチラシを入れています。今日は雨で配ることが出来ませんでしたが、投票日まで持ち歩き一人でも多く自分の思いを表現してもらえるように頑張りたいと思います。
トップで載せているジローやタマとオオラカの写真と一緒に「見つめよう 政治を正す力は 市民にある。しっかり 見つめよう」とページのアドレスを入れて作りました。
敏江さんとの付き合いはもう30数年になります。
私より一つ歳は下ですが、何時も優しい気配で邪念の無い素晴らしい義姉です。
私は10区で投票は出来ませんが、幼い時に育ったところなので地元に住む友人に敏江さんの良さを知らせたいと思います。
皆さん、お願いします。10区にお知り合いの方がいらしたら、敏江さんのメッセージを聞く機会がありましたら足を止めて耳を傾けて下さるように伝えてください。きっと伝わります・・・彼女の生き方が。
諦めないで、投票に行こうと声をかけあって、市民の手に政治を!平和への歩みをして行きましょう。(おおきせいこ)
世田谷区の教科書採択をこの眼で見て来ました。大木晴子
8月23日の朝は6時を少し回った頃に起床、「あぁ、さっき寝たのに!」とボーとする頭の中で思いながら「やる事はやらなければ」と元気を出して柴犬ジローの散歩、資源ゴミを出したり・・・。
今朝散歩しながらお子さんのいる方にたずねました「今日、教科書が採択されること知っていましたか」と聞いた人のほとんどが知りませんでした。
9時、区役所第二庁舎三階の窓口に着くともう番号札が配布されていました。私は33番、「抽選に当たると良いなぁー」と願いながら待ちました。
9時半に受付が終わり抽選をする部屋に通されました。ここでビックリ、6人しか傍聴出来ないとわかりました。抗議の声が飛びました。杉並区のように声だけでも別室で聞かせてほしいと言う願いは通りませんでした。
こよりは、申し込み者105名分用意されてその中に先が赤く塗られた6本がありました。番号順にこよりをひきます。私は外れてしまいました。
仕方が無いと諦めて写真を撮っているとポンと肩をたたかれ、「代わりに、入って来る」となんと「赤いこより」が私の手に・・・・。というわけで、6人の一人になれました。
受付で住所・氏名を書き、傍聴券をもらいました。会議室前で待つ間に職員の方に始まる前に室内の撮影をさせて欲しいとお願いをしました。杉並の時と違い優しい心配りが感じられる対応でした。
皆さんが席に着かれるとドアを開けて撮影が許可されました。携帯などで皆さんも一緒に撮られていました。
その後、6名の傍聴者が入り、審議が始まりました。沢山の議題の中、18年度に使われる中学校の教科書採択が一番初めに行われました。
結果は
社会(歴史的分野)清水書院
社会(公民的分野)清水書院
社会(地理的分野)東京書籍
地図 東京書籍
音楽(一般・楽器合奏) 東京芸術社
以上のように決まりました。これが決まる過程で、それぞれの委員が自分がなぜこの教科書を選ぶかを話しました。
農大学長のSさんは、全般に写真やイラストから子どもたちが想像、想像力、構想、空想など感性に訴えるイマジネーションを大切に考えて選ばれたと私は感じました。
教育長のWさんは、事実を見る目を大切にしたいと言われ歴史の各時代を多面的にとらえているもの、心の中に平和の砦をと言われて、基本的人権などを考慮して選ばれたことが伝わりました。
弁護士のSさんは、人間の尊厳をトップに扱っている書籍を選ばれたり、外国と我が国の関係がわかりやすいものをと言われていました。
PTA関係のKさんは、親の立場から子どもたちが読みやすく分かりやすいという点を大切に写真や文字など細かい所まで指摘していました。
私が一番心が熱くなったのは、委員長を勤められたNさんの言葉でした。Nさんは、この役に着く前、5年ほど大学で教えられていたそうです。その時に今の若者が20世紀の歴史を知らない。戦争の時代を知らないことにショックを受けて心を痛められ「子どもたちが可愛そう」と思われたそうです。「核って何ですか」と言う子どもたちに日本に原子爆弾が落とされた時の2ページにわたる写真が掲載されている教科書を私たちにも見えるように提示してしっかり伝えなければと言われました。
また、海外生活を長くされた経験から国際性を身につけ世界市民である自覚を持つことが大切とも話されました。
心配していた扶桑社の「つくる会」教科書は、初めに一人の方が「読みやすい本」と言われただけで、その後は「つくる会」の「つ」の字も出ませんでした。
私は、今回の傍聴でこれは、当たり前のことで杉並区の出来事は異常としか思えませんでした。
前回の審議も傍聴した方が、委員長のNさんが、「現場の先生方の使いやすい教科書を」そして子どもたちの未来を考えていることが分かる発言が良かったと話されていました。
外で行われた報告集会は、明るい笑顔が幾つも見られ、現場で頑張っている先生方には、ほんとうに嬉しいに日なりました。
この集会で、4年後に向けて気を引き締めて行こうと言う発言に現場で戦っている先生方の大変さが伝わってくるようでした。
杉並区で頑張っている方から「おめでとう」と声がかけられました。杉並では、明日(24日)12時から杉並区役所前で抗議集会が行われ、区に抗議の声を届けると報告がありました。(おおきせいこ)
8月23日の朝は6時を少し回った頃に起床、「あぁ、さっき寝たのに!」とボーとする頭の中で思いながら「やる事はやらなければ」と元気を出して柴犬ジローの散歩、資源ゴミを出したり・・・。
今朝散歩しながらお子さんのいる方にたずねました「今日、教科書が採択されること知っていましたか」と聞いた人のほとんどが知りませんでした。
9時、区役所第二庁舎三階の窓口に着くともう番号札が配布されていました。私は33番、「抽選に当たると良いなぁー」と願いながら待ちました。
9時半に受付が終わり抽選をする部屋に通されました。ここでビックリ、6人しか傍聴出来ないとわかりました。抗議の声が飛びました。杉並区のように声だけでも別室で聞かせてほしいと言う願いは通りませんでした。
こよりは、申し込み者105名分用意されてその中に先が赤く塗られた6本がありました。番号順にこよりをひきます。私は外れてしまいました。
仕方が無いと諦めて写真を撮っているとポンと肩をたたかれ、「代わりに、入って来る」となんと「赤いこより」が私の手に・・・・。というわけで、6人の一人になれました。
受付で住所・氏名を書き、傍聴券をもらいました。会議室前で待つ間に職員の方に始まる前に室内の撮影をさせて欲しいとお願いをしました。杉並の時と違い優しい心配りが感じられる対応でした。
皆さんが席に着かれるとドアを開けて撮影が許可されました。携帯などで皆さんも一緒に撮られていました。
その後、6名の傍聴者が入り、審議が始まりました。沢山の議題の中、18年度に使われる中学校の教科書採択が一番初めに行われました。
結果は
社会(歴史的分野)清水書院
社会(公民的分野)清水書院
社会(地理的分野)東京書籍
地図 東京書籍
音楽(一般・楽器合奏) 東京芸術社
以上のように決まりました。これが決まる過程で、それぞれの委員が自分がなぜこの教科書を選ぶかを話しました。
農大学長のSさんは、全般に写真やイラストから子どもたちが想像、想像力、構想、空想など感性に訴えるイマジネーションを大切に考えて選ばれたと私は感じました。
教育長のWさんは、事実を見る目を大切にしたいと言われ歴史の各時代を多面的にとらえているもの、心の中に平和の砦をと言われて、基本的人権などを考慮して選ばれたことが伝わりました。
弁護士のSさんは、人間の尊厳をトップに扱っている書籍を選ばれたり、外国と我が国の関係がわかりやすいものをと言われていました。
PTA関係のKさんは、親の立場から子どもたちが読みやすく分かりやすいという点を大切に写真や文字など細かい所まで指摘していました。
私が一番心が熱くなったのは、委員長を勤められたNさんの言葉でした。Nさんは、この役に着く前、5年ほど大学で教えられていたそうです。その時に今の若者が20世紀の歴史を知らない。戦争の時代を知らないことにショックを受けて心を痛められ「子どもたちが可愛そう」と思われたそうです。「核って何ですか」と言う子どもたちに日本に原子爆弾が落とされた時の2ページにわたる写真が掲載されている教科書を私たちにも見えるように提示してしっかり伝えなければと言われました。
また、海外生活を長くされた経験から国際性を身につけ世界市民である自覚を持つことが大切とも話されました。
心配していた扶桑社の「つくる会」教科書は、初めに一人の方が「読みやすい本」と言われただけで、その後は「つくる会」の「つ」の字も出ませんでした。
私は、今回の傍聴でこれは、当たり前のことで杉並区の出来事は異常としか思えませんでした。
前回の審議も傍聴した方が、委員長のNさんが、「現場の先生方の使いやすい教科書を」そして子どもたちの未来を考えていることが分かる発言が良かったと話されていました。
外で行われた報告集会は、明るい笑顔が幾つも見られ、現場で頑張っている先生方には、ほんとうに嬉しいに日なりました。
この集会で、4年後に向けて気を引き締めて行こうと言う発言に現場で戦っている先生方の大変さが伝わってくるようでした。
杉並区で頑張っている方から「おめでとう」と声がかけられました。杉並では、明日(24日)12時から杉並区役所前で抗議集会が行われ、区に抗議の声を届けると報告がありました。(おおきせいこ)