辺野古の映像を観ましょう。 大木晴子
『民衆のメディア』小林アツシ さんから送られた 16日、防衛庁前、緊急行動の映像です。
転載歓迎と書いていただきましたので掲載いたします。
小林です。
那覇防衛施設局は辺野古沖でのボーリング調査を強行しようとしています。
16日は高波と抗議行動の影響で作業は行われませんでしたが、17日にも海底の掘削が行われようとしています。
現地では必死の阻止行動が行われていますが、東京でも抗議行動が行われました。
http://www1.jca.apc.org/videoact/actv/index.htm
に映像をアップしましたので、ご覧ください。
18日には現地の座り込みに参加しながら撮影されたドキュメンタリーの上映会も行います。
こちらもよろしくお願いします。
http://homepage3.nifty.com/atsukoba/vact/041118.htm
小林アツシ:KOBAYASHI Atsushi<koba@pc.email.ne.jp>
★ 18日の上映会に、新宿西口ひろばで意思表示をしている雲さんこと村雲 司さんの絵本「ジュゴンの海から」が出来上がり販売いたします。一冊300円、収益金は辺野古支援に使われます。
どうぞ、たくさんお買い求めいただき近所の子どもたちに、職場の仲間に親戚の子どもたちへクリスマスプレゼントと一緒にと広めていただきたいと願っております。
このページで販売しています雲さんの「平和」と「明日も晴れ」のバンダナも一緒に販売いたします。こちらも同じく広めてください。(おおきせいこ)
えっ!戦車が!立花隆さんが通った!13日の土曜日。 大木晴子
先週は、Los Angelesの反戦デモにとうとう戦車が2台登場したというニュースがメイルで届きました。
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=04/11/11/1540230 )
ここでは、掲載出来ませんでしたが動く映像でそのデモを見た時に選挙の疑惑をたくさん抱えながらも再度、ブッシュ政権になってしまったアメリカはどんな国になってしまうのだろうと思いました。
反戦、平和そして生きる権利を求める市民の横に戦車がいる風景をあなたは想像できますか。
日本にも運動の場に戦車が登場したことがありました。
私が生まれた年、1948年の2月組合員270名の人員整理が発端で始まり,195日間も続いた東宝争議は、8月19日の早朝に、東宝砧撮影所(東京世田谷区)に通じる8カ所の道路が封鎖され、撮影所周辺に6台のジープと騎兵銃を持ったMPが到着した。続いて一個分隊の歩兵、6台の装甲車が、さらに7台の戦車が出勤。空には偵察機が3機。間もなく成城署員が到着した。午前8時半には警視庁から2000人の武装警官と3台の警備車(旧日本陸軍の戦車を改装)もやってきたと「講談社・『昭和』8(占領下の民主主義・昭和22年?24年)に記載されている。☆上の写真も同ページより。
今日の西口ひろばで、この闘いの場にいた方がOさんに声をかけてくださいました。その方は、当時のお仲間と会っていらしてその帰り道に寄られたそうです。
柱を移して、雲さんたちとも話をされて帰られました。
意思表示が終わりそのお話を伺い、「戦車が」と家に帰り朝日の「週間20世紀」など目を通してみました。
様々な経験をされた皆さんが語り出してほしいです。それを機会に若い者は歴史を学び、そこに活きてきた人々の心にふれることができたらもう少し優しい人間関係が生まれてくるようなそんな気がするのですが・・・皆さんはいかがですか。
今日も家を出たら意思表示。昨夜のバラを3本持って少し眠りたかったのでバスで駅へ・・・。
土曜日の夕方、横断歩道で!駅のホームで!すれ違う階段で!しっかりとプラカードを見ていただけたと思います。
新宿の地上小田急デパート前では、雲さん、Aさん、Oさんが意思表示。そして私とKさんが今日はHさんも参加です。
Hさんは、私のページを訪ねてくださったのが始まりでした。何時も優しい思いをメイルで伝えて下さり、お仕事が忙しくてなかなか立てないけれど心は何時皆と一緒にと。今日は一台早いバスに乗れて地上からの参加を喜ばれていました。
彼女が掲げた「戦争を認める人間は許さない。」は、今年没30年になる画家・香月泰男さんの言葉でした。
この言葉をご紹介したいとインターネットで探していたら下記のページを見つけました。
http://book.asahi.com/
(シベリア鎮魂歌・香月泰男の世界 立花隆著・極寒の抑留体験を改めて克明にたどる。Book asahi.comのページ・書評)
不思議なことに、今日は立花隆さんも西口ひろばを通りました。
私のプラカードをゆっくり読みながら通り過ぎました。
「ひろば」にこだましたことばです。
戦争を体験しているご婦人は・・・・。
雲さんの眼を隠す婦人の願いが・・・・。
Yさんは、黒い三角ずきんで「戦争ハ地獄」を。
そしてレインボーの旗が・・・・。今日は初めての方が一緒に持たれていました。
Oさんも辺野古のこと、ファルージャのこと思いは辛くなるほどいっぱいです。
言いたいことはいっぱいあるけど、表現するのは難しいですとご婦人が言っておられました。
Cさんは、今週は手書きで作りました。大きなプラカードは
一時間持っていると手首が少し痛くなるのですが・・・若いから大丈夫ですね。
忙しい仕事から駆けつけた男性のSさん、「派兵」の文字に大きく
赤で×を書き、下には「手放せば 二度と帰らぬ 憲法9条」と。Aさんが持っていた雲さんの「平和」バンダナの文字が。
女性のSさんは、「今日は忙しくて寄れないと思って何も持ってこなかったの」と言われ私のプラカードで立たれました。
(おおきせいこ)
さぁ、意思表示を! 大木晴子
昨日、沖縄の辺野古へ支援に出かけている友人から「昨日ジュゴンを見た人がいました」とメイルが届きました。
私は直ぐに「私もジュゴンに会いたい」と思いました。ジローと向かい合い語り合うように、ジュゴンが投げかける言葉に耳を傾けたいと思いました。この友人のメイルにOさんは・・・・・・・。
「米軍ヘリの墜落について中学生が「これは最後の警告だと思います」と発言し、先日お会いした沖縄大の新崎氏も「最後の警告」という言葉をつかっていました。
ジュゴンは人間に、かつて津波の危険を知らせたと言い伝えられています。
来週にも、海底に穴が開けられようとしている時、ジュゴンは最後の警告にあらわれたのではないでしょうか。
それは、ジュゴンの海を壊さないで、という願いと共に、人間が自らを含む自然を壊していくことに、人間が海を壊すということは、自分をも壊していくことに、「最後の警告」に表れたのではないでしょうか。涙がでます。」・・・・と。
雲さんも・・・・。
「とうとうジュゴンも
意思表示を始めたのでしょうか。
私たちの絵本と現実が交差し遇って、
胸が苦しくなります。」・・・・と。
みんな、心を痛めています。
私は12日も「プラカードを持って意思表示2日目」
市ヶ谷の防衛庁に50人ぐらいの小さなデモでしたが
思いを伝える抗議のデモに参加してきました。
連日、お会いする皆さんに疲れを感じながらそれでも
声をあげなければと思われている皆さんの顔に穏やかな
優しさをそしてお互いを思いやる事の出来る気持ちを感じました。
防衛庁前では、座り込みをしている方も・・・・。
みんな、素晴らしいことです。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=282
このニュースに書いた二郎くんのお母さんからメイルをいただきました。
「大木さんのページに二郎のことを載せていただきありがとうございました。家族みんなで見ました。柴犬のジローはかわいいですね。愛されてるのが伝わってきます。それに、うちの二郎と同い年なんですね。これには二郎もびっくりでした。これからも平和のために何かをしていくつもりです。大木さんのページから元気もらいましたよ。」・・・・と。
さぁ、声をあげましょう!子どもたちの未来に明るい光を見ることが出来るように・・・・・。
意思表示をしましょう!きょうは、土曜日「私は5時から新宿へプラカードを持って三日目の意思表示です」(おおきせいこ)
私の意思表示、そして二郎くんも意思表示! 大木晴子
10日は、朝からこのプラカードを持ち、一日中意思表示。
駅までは自転車の前に置き走りました。前から来た若者の眼が止まります。ちらっと見る女性、何人かの心に映ったかなぁー。
K駅は、近くに大学や専門学校があるので結構混み合っている。真横で持ち、ホームを歩く人たちに・・・・、反応がある。
友人とふざけている若者の表情がこわばる。嫌なものを見たと正直に顔に表す女性。
電車の中ではもっと変化が見られる。K駅から乗り込んだ車両では席に座る事が出来た。荷物の外側、膝の上で立てた。周りの眼がプラカードにとまる。向かい側に座っている母娘がプラカードを見ながら会話が始まったそして眼で会釈をされた。この母親は、下り際に車内のマイクの音ではっきりは聞こえなかったが、口の動きから頑張りましょうと私には聞こえた。
多くの男性は、見た後は目をつむる。こんな場面もあった・・・。
若い男性が乗り込んできた。空いている向かい側の席に座り鞄から漫画本を取り出した。その時、彼はプラカードに気づいた。眼が見る見るうちに変わった。そしてその若者は漫画本を鞄にしまい、眼を閉じていた。わたしは、心の中で「少しでいい、考えてね」と彼に語りかけた。
用があった神田の街でもすれ違う人たちの表情は直ぐに変わった。
見たく無い映像かもしれない、でも眼をそらさないで、私たちはこの戦争に加担している国に住んでいるのだから、眼をそらさないで
どうしたら止められるか一人一人が声をあげなくては止められない事に気づいてほしい。そう思いながら街を歩いた。
今日は夕食を義父に渡してきたので、このまま夕方のアメリカ大使館への抗議行動に参加すると決めていた。
途中、休んだ「喫茶店」でも椅子に立てかけた「Stop Massacre In Fallujah」の言葉と哀しい子どもたちの写真に眼差しが・・・。
時間は、4時30分、アメリカ大使館に行ってみようと思った。
神田からまた地下鉄に乗り、虎ノ門へ。車内では、プラカードをじっと見つめそして私の顔を見て深くうなずくご老人。眼で「同じ気持ちです。」と言われている方々。様々な反応に心を痛めている皆さんが大勢いることが肌で感じ諦めないで頑張れると思えたのです。
虎ノ門に着くと集会が行われる場所にはもう警備の車両や警察官が配備されていました。私は少し遠回りをして違う道を選びました。
アメリカ大使館に通じる脇道入ると道は車両が検問されるように狭くなり警察官がいました。
私は、プラカードがアメリカ大使館の方から見えるように抱えて歩き始めました。
「おーい、止めろ,止めろ」と警察官が大声を出しました。
「なに言っているのですか。紙切れ一枚でなにが出来ると思っているのですか。」と私は言いながら歩き続けました。
お駆けてきた警官は「何処に行くのですか」と尋ねました。
「散歩です。たくさんの人を殺している人たちがいるビルを見て怒りぶつける為に歩いているだけです。」それを聞くとそれ以上は
何も言わずに連絡用無線に手をかけたので、ここで何かあっても目撃している人はいないし、本当は立ち止まって暫く意思表示をしたいと考えていたのですが、そのまま歩きJTビルの前に来ると大使館をバックにプラカードの写真を撮ろうとすると数十人の警察官に囲まれそうになったので向かい側の交差点角から皆さんが集まる時間まで意思表示をしました。
(写真真ん中の奥にアメリカ大使館がある)
あたりは、薄暗くなり車のライトに照らし出された「Stop Massacre In Fallujah」の文字に心を止めてほしいと願いながら・・。
(ムキンポさんのページからお借りしました。ムキンポさんのサイトでたくさん写真が見られます。)
http://www.mkimpo.com/diary/2004/american_embassy_04-11-10.html
抗議集会は、忙しい時間をやり繰りしながらたくさんの皆さんが駆けつけました。でも350名でした。主催者の方は「350名も」と言われましたが、私は「350名しか・・・」と言いたいです。
しかし、集まった皆さんの心根を感じる時に共に闘い生きていけると感じることはできます。私の隣では、小学3年生の二郎くんが東京のお隣りからお母さんと参加し(今朝の朝日新聞に写真が載っていました)、記者の人たちに名前など何度も聞かれていました。
我が家にもジローくんがいるのよ!とページのアドレスを渡しました。二郎君、これからも一緒に声をあげようね!!頑張ったね!!
そして、いろいろな団体の皆さんのメッセージが、その中で、真っ直ぐに歩む中学生の意思表示に昔、自分も同じように集会の場にいた事を思い出しました。
あの時代、ベトナム戦争の時にアメリカがやっている戦争に加担している政府に真剣に怒りをぶつけたあの時代、あの人々は・・・・。
今日の「東京新聞」ニュースの追跡・話題の発堀の「特報」コーナーに下記の記事が掲載されていました。
1968年2月、3週間続いた市街戦で廃墟となったベトナム・フエの目抜き通りと米軍の空爆で破壊さえたイラク・ファルージャの商店街の写真が載り、「フエのように廃墟になるのか・・・。」と書かれています。
日本人は、変わってしまったのでしょうか。あまりの無感動、無関心な現状に恐ろしさを感じます。
でも遅いということは、無い。今からでも何か出来るはずです。
抗議集会の後、若者たちが残り怒りの声をあげていました。
また、有楽町数寄屋橋交差点近くで参加者の13名がアジア平和連の「米軍はただちにファルージャ攻撃をやめなさい!!」「ファルージャでの虐殺を止めるために あなたも声をあげてください」という呼びかけのビラを9時過ぎまで400枚を配りました。私たち西口ひろばで意思表示している人たち5名もプラカードやレインボーの旗を持って共に時を過ごしました。家に着くまで私の意思表示は続きました。(おおきせいこ)
★ あなたも声を!!
★ アメリカ大使館 電話番号:03?3224?5000
(日本語で大丈夫です。思いを伝えてください。)
★ 小泉首相へのメイル:jpm@kantei.go.jp
★ 防衛庁長官へのメイル:g00505@shugiin.go.jp
☆★12日になりました。辺野古にいるTさんからメッセージです。
「来週火曜日ボーリング強行の見通しです」と辺野古にも眼を注いでください。
日比谷の集会に5500人!繋がれると感じる素敵な集会でした。大木晴子
料理研究家の小林カツ代さんが、7日(日)朝日新聞・生活の欄に「未来を生きる君へ・・・「食」は難しくない」というメッセージを掲載していました。この文章が良いのです。
ここから引用・・・・
大人たちは食のことひとつとってみても、寄るとさわると今の若者のだめさかげんを言いつのります。ごはんひとつ炊けないとか、コンビ二弁当ばかり食べているとか。だから食育でありスローフードだと、世をあげて、若い人たちへの食教育ムード。食の乱れを言い出してから何年になることか。いや、とにかくいつの時代も若者を嘆くのです。うんざりするくらいくらい。
私は提言することはたったひとつ。自分で料理出来るようになっていること。男女にかかわらず。それがむずかしければ、せめて料理は女がするものだと決めつけない大人になってもらいたい。いつも市販の弁当や外食だとしたら、それを選ぶ目と最低限栄養知識を身につけてほしい。とても簡単です。肉や魚を食べたら野菜も、肉が続いたら魚、魚が続いたら肉。揚げものを昨日食べたら、今日はさっぱりしたものとか、そんな程度です。外食の時も家で作る時も、買ってきて食べる時もです。コロッケ買えばついでのサラダをコンビ二で買う。たんぱく質が足りないのでゆで卵も買って、という具合に。
人間、生きていくための方法はそう面倒ではないのです。近頃は洗わず、とがずの米すらあるのだもの、炊飯器で炊くのなんてうちの猫でも出来そう。
炊き上がって少し蒸らしたら、おわんにいちぜんご飯を入れます。てのひらに塩を適当になすりつけ、おわんのご飯をポンとあけてアツツアツツと両手でキュッキュッと握ってほっほっほと気と呼吸で握ってみてください。丸であろうが,三角であろうが、握れたらそのまま食べてみてください。今なら新米。ただの塩むすびのおいしさにびっくりするでしょう。これだけでも生きていけるのではのシンプル味。ついでに何かおかずを作りたくなればしめたもの。
日本は瑞穂の国、米さえあれば何とかなるのにこの国の農業政策は米を大切にしないのです。お米は余るほどいっぱい作り、政府が買い上げ、戦争や飢饉で苦しむ人々や難民に送ってほしい。お金は武器の予算を削ればいいのだから。日本を変えるのはあなたたち。ほんとは未来では間に合わないくらいです。(11月7日(日)朝日新聞・小林カツ代さんの伝言)
・ ・・・ここまで引用。
小林カツ代さんのメッセージから温かくて優しい味が伝わりますよね。寂しかったり、辛いこと抱えている人には、ホットする風が吹き込んできたのではないでしょうか。
(予告・次のレシピは、牛のすね肉と大根の煮物です)
さぁ、昨日の報告を書きます。
「11・06 教育基本法の改悪をとめよう! 全国集会」が日比谷野外音楽堂で行われました。参加者5500人。
高橋哲哉さんはじめ、呼びかけ人の方の話し、ザ・ニュースペーパー、ソウルフラワーモノノケサミット、ミスター梅介の出演など盛りだくさん集会になりました。私は、ザ・ニュースペーパーの最後のところからの参加でした。
様々な活動の訴えなど、丁寧な企画と進行の小気味良さに会場参加の皆さんに連帯の眼差しを感じることの出来た集会だったと思います。この集会には、いろいろなグループも参加、いま問題になっている杉並区からも熱い連帯のメッセージは力強くおくられました。
そして山形大学・学寮不当強制捜査事件の若者たちも大きなメッセージを掲げて頑張っていました。
この記録映画「泥ウソとテント村」(東大・山形大学、廃寮反対闘争記)は、お勧めです。機会があった時にご覧下さいね。
http://dorouso.hp.infoseek.co.jp/
高槻からは、日本人と結婚した母親について日本に来たフイリピンのH君の「子ども会は勇気をくれる!」
http://www.mukuge.net/
という訴えに私は心が動き、訴えのビラを持って来たと言われたので直ぐに声をかけて配る手伝いをしました。会場で配るな!と主催者のお一人から声をかけられ、仕方なくデモが始まる前に「高槻のH君の訴えのビラです」と言いながら配るとあっと言う間にたくさんの手がのびて皆さんのもとに届きました。
決まりは決まり、わからないではないのですが、臨機応変に心が繋がったときは、機会を活かした活動も更に前に進む原動力になると思うし、若い人たちがその中で学んだり、信じあえると感じたり大切なことがいっぱい詰まっていると思うのですが・・・。
参加人数が多いだけに、デモ出発にも時間がかかりましたが、私は数寄屋橋交差点まで参加して、そこから意思表示をされている皆さんと地下鉄で新宿へ向かいました。
6時10分前、小田急デパート前に急ぐと雲さんとAさんが立っていました。Fさん、Tさん、Yさん、Cさん、Kさんと私、今週は地上から8名の参加でした。土曜日の夕方、人通りも多くメッセージに眼を止めて行かれます。
10分間の意思表示を終えて地下へ移動しました。
「あなたが 生まれてくる この国は・・・」のメッセージを持つYさんとOさんが立ち始めていました。
Oさんは、その場でプラカードを何時も書かれます。
Tさんは、沖縄の新聞をKさんも辺野古のことを訴えます。
みんな、好きな場所で意思表示が始まりました。
雲さんは、もう直ぐに出来上がる「ジュゴンの絵本」を!
CさんとAさんの訴えは!
その柱の裏側には、新しい言葉で立たれています。
デモから続けて参加のFさんは、レインボーの旗と集会のプラカードを持って意思表示でした。
レインボーの旗を持った男性、お仕事で少し遅れたと立たれたSさん、「嫌な、世の中だねー」と年配のご婦人、それぞれのメッセージに人々の眼が止まります。
私は、「戦争につながる 足音が 聞こえませんか。物言わぬ民で ほんとうに いいのですか」と書いて、そしてデモの途中で抜けたのでお借りしたプラカードも使って意思表示でした。
それから、警備員さんが「日曜から金曜日までは、良いんだけど土曜日になると胃が痛くなってねぇー」と言いながら通られました。でも顔色は良かったですよ!
(今度のデモでお返しします。)(おおきせいこ)