ボクも海が好きだ。ジュゴンのいる海を守ろう。
(一番終わりに、7月までのページのデータを掲載いたしました。)
お知らせ!心を繋ぎ合いましょう。 大木晴子
辺野古の基地建設阻止座り込みが100日を超えました。
暑い砂浜のテントに毎日、お歳を召した皆さんが先頭になって、国際的保護動物ジュゴンのいる海を守ろう、そして後先考えない自然破壊を許さないと闘い続けています。そのお一人の平良夏芽(たいら なつめ)さんが上京して国会にアピールする行動が行われます。
皆さん、時間を拵えて少しでも行動を共にし、沖縄の皆さんと繋がりましょう。平良夏芽さんのメッセージです。 (おおきせいこ)
★沖縄の平良夏芽です☆
名護辺野古の基地建設阻止座り込みが101日目に入りました。昨日は、100日集会が800名以上の市民が集まって行われました。これらの事実と声をどうしても国会に届けたいと思い、8月2日(月)の朝から夜までと3日の午前中ぐらいまで国会前でチラシ配布と座り込みを行うことを決意しました。
沖縄からは、私一人だけの参加です。辺野古の現場が緊張状態にあり多数が留守をすることが無理であり、私も長期の留守は止めてくれと仲間たちにきつく言われて一日半だけの国会前行動にしました。いっしょに、ビラ配布と座り込みをしてくださる方は集まって下さい。私は月曜の午前8時には現場にいます。
もう一つ提起があります。沖縄の辺野古では必死になって阻止行動が続いています。この問題に主体的に関わり私の座り込みを臨時国会終了まで継続して下さる方はいらっしゃらないでしょうか。ご連絡をお待ちしております。
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8月2日(月)8時から夜まで。
8月3日(火)8時から昼頃までです。
8月4日から6日まで朝8時から5時ぐらいまで。
(平良さんは、帰られますが支援する仲間で座り込みが続けられます)
皆さん、少しの時間でも参加してください。声をかけ合って頑張りましょう。
旗やプラカードなど用意出来る方はお願いします。
(西口で意思表示をしている女性2名が、この夏辺野古へ応援に出かけます)
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http://www.seikojiro.net/modules/news/article.php?storyid=210
「暑中お知らせ」で書きましたメイシネマ上映会、なかなか観ることが出来ない長編ドキュメンタリー映画です。若い皆さん、15日の「SHOAH」をぜひ観てください。
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雲さんも参加!墨筆ユニット二十人展
★『筆は銃よりも強し』★
雲さんこと村雲 司さんは、地下広場で意思表示をされている方です。いま皆さんが夢中で読まれている「バクダッド・バーニング」(イラク女性の占領下日記・出版社アートン)の表紙の絵も描かれています。
雲さん曰く、
マスコミの筆はもうかなり衰弱して来ました。
しかし、遊墨民たちはまだまだ負けてはおりません。
海軍中尉だった人から中学一年生まで、
反戦の筆を大いに揮います。
・・・・と。
8月15日(日)?20日(金)
AM11:00からPM7;00まで
会場:ギャラリー 「サロン・ド・フルール」
港区南青山5-7-25 ラ・フルール南青山1F
TEL・03-5485-8748(地下鉄・表参道駅B1出口から2分)
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我家には、ジローが興味を示さなかったゾウのぬいぐるみがあります。
名前はタイの国から来たから「タイゾウくん」とよんでいます。優しいコットン、危ないものが何も付いていないので私たちはとても気に入っていたのですが・・・。そのタイゾウくんをお風呂に入れて、28日青山の国連ビル前で頑張っている子どもたちに届けました。
2歳のメヘメットちゃんが一番気に入ってくれるかなぁーと思っていましたが、5歳のメルベちゃんの方がお気に入りでした。
メヘメットちゃんは、打ち合わせに来ていた「難民支援協会」の女性のハンヒールが気にいりそれを履いて上手に歩き回っていました。
29日、兄の病院へ夕刻から出かけました。2日の午後に手術が決まりました。枕のカバーにしている「明日も晴れ」のバンダナで繋がっている、いつも側にいると感じながら出口の一階ホールに行くと院内コンサートがひらかれていて、美しいフルートやビアノそしてヴァイオリンに合わせてソプラノの歌声が院内に優しく伝わっていました。
患者さんと一緒にお医者さんや看護士たちが聞いています。その穏やかな表情を拝見して何かほっとして兄の手術を受け止められました。(おおきせいこ)
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7月31日までの「明日も晴れー大木晴子のページ」データです。
(2003年11月27日からのカウントです)
Sites(29078)ほぼ実際の訪問者数。
Pages(77317)普通のアクセス数と言われる数。
外国でアクセスしてくださる方も増えて、30に近い国の名前が並んでいます。
難民5歳のメルベちゃん・・・。大木晴子
東京青山にある国連ビル前で7月13日から難民認定を求めて、
座り込みをしているトルコ国籍のクルド人2家族12人が今日現在も
元気に意思表示をされています。
一番小さな2歳の男の子は、よく動き回り目が離せない。
その次が5歳のメルベちゃんです。
私は、国連ビル前を行き交う人に支援をお願いするチラシをメルベちゃんと一緒に配りました。
「お ね が い し ま す 」としっかりした大きな声をかけながら歩きの早い大人を
追いかけて一生懸命渡すメルベちゃん。
私は、27日夕刻に100円ショップで買った伸ばし棒とバンダナ、
そして雲さんの「平和」のバッジや子どもたちのおやつをカバンに入れて
青山に向かいました。
着くと丁度、先の参議院選挙で当選された喜納昌吉さんが
国連の事務所にかけ合ってその報告を聞くことが出来ました。
いろいろな問題が沢山あって直ぐに結果とはいかないようですが、
様々な立場の人たちが動きだせばそれは、よい方向へ繋がるはずです。
皆さん、声を一緒にあげて下さい。
私は、昨年地下広場で難民の話をした人に「あんたたち、外国のことばかり
言っているけど、日本にも難民の人がたくさんいること考えたことあるの。」と
言われたことがあります。凄く心が痛みいつも何処かで考えていたような気が
今度のこの家族を知った時にそう感じました。
私に出来ることなんだろうと考えました。
会いに行こうと思いました。
雲さんの「平和」のバッジを付けてもらいたいと思いました。
「明日も晴れ」PEACEと雲さんの「平和」のバンダナで旗を
作り、連帯の気持ちを伝えたいと思いました。
とっても喜んでいただきました。
私がいる間に、自転車にたくさん荷物を積んでこられたご婦人がいらっしゃいました。
新聞記事を読まれ、ジュウタンや子どもたちの着替え、ご自分のお子さんときっと何度も読まれた大切な絵本、そしておもちゃを届けられ、近くに子どもたちが水遊びできる公園があると親切に教えてくださり、ほんとうに嬉しいですね。
この温もりが頑張っている皆さんのエネルギーになるのだと思います。
さぁ、あなたは・・・。(おおきせいこ)
24日、暑い東京、さらに「九条の会」が行われた会場は熱気に包まれ講演された皆さんの熱意が伝わりはじめたようです。これからの活動に私も参加していきたいと思います。
http://www1.jca.apc.org/iken30/
私は、この催しにハガキを出すのを忘れて整理券を手に入れることが出来ませんでしたが、会に参加された西口で意思表示をされている方から報告を聞くことが出来ました。
ポスターの9人の皆さん、井上ひさしさん、梅原猛さん、大江健三郎さん、奥平康弘さんそして三木睦子さん、鶴見俊輔さんに加藤周一さん、小田実さんそしてお身体のお具合が良くないのに頑張られて心を打つお話をされた澤地久枝さん・・・。
ああ、やっぱり直接お話をお聞きしたかったなぁー・・・。
それから一つ思ったのは、長屋の熊さん、八ちゃんも下駄履きで参加出来る会場で開いて欲しかったなぁー・・・と思いました。
もう一つ、嬉しいお話です・・・それはこの九条の会で、私の「明日も晴れ」のバンダナを使って下さった方がお知り合いから声をかけられ5枚も注文をいただいてくださいました。人から人へ本当に望んでいたことが現実になり幸せを噛みしめています。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=174
私は夕刻新宿西口小田急デパート前へ出かけていきました。着くと雲さん、Kさんが始められていました。Oさんも参加され地上は4名でした。
地下広場で意思表示が始ると今日は早めに参加のIさんから出来たてのレインボーぴーす旗(サラー厶)を購入し、アラビア語で平和の文字が踊るような柔らかい書体のぴーす旗は、広場にまた新しい風を吹き込んでいました。
皆さんもいかがですか。お問い合わせは、ぴーすぐっづプロジェクトへ・・・。
http://peacegoods.info/index.php
広場は、15の言葉が意思表示しました。
いつも、静かに言葉を替え立たれるご婦人。
「九条の会」に参加してきたNさんは、ポスターを持って立つと男性が「自衛隊がいなかったら誰が守ってくれるの」と声をかけられて、離れているので内容は分かりませんでしたが、長い時間話をしていました。
ここで、はっきりした結論が出なくても声を出して自分たちの気持ちを話をすることの大切さが伝わったようです。
爽やかなNさんの「声をかけてくれてありがとう」と言う言葉が広場に力を与えてくれました。
今日は、Oさんの柱でも話しかけている男性がいました。
戦死した父親の話も出て涙ぐんで話をされていたと・・・戦争が残したツメ跡は、いろいろなかたちで人々の生活の中で生きているのだと思いまいた。虚しさ、寂しさそして苦しみは続くのです。
争いのない、平和な世界へ・・・歩みましょう、自分で出来ることをしていきましょう。
今日、25日は伊勢原へ出かけてきました。直ぐ上の兄が入院している病院へ・・・。兄の枕元には、私が届けたリバーベンドの本と彼が大好きな大江健三郎さんの著書が置いてありました。昔、兄に大江さんの講演会へ連れて行ってもらいました。いま「九条の会」で大江健三郎さんが意思表示されたそのことが、妙に嬉しく感じるのは兄も同じだと思います。私は、今週早ければ再手術をする兄の枕に「明日も晴れ」PEACEのバンダナをかけてきました。ぱっと明るくなった病室で頑張って欲しいと願いを込めてきました。
★ 作家・渡辺一枝さんが発信されている「一枝通信7月25日」で「九条の会」の報告をいただきました。
その中の大江健三郎さんのメッセージを掲載させていただきます。(おおきせいこ)
○大江健三郎さん
1947年、12歳のときに前年に公布された憲法の施行と、教育基本法の公布・施行がされました。私ら子どもにもとても重要だと思われました。小さなときから「大切だと思った言葉は、ノートに写しなさい」と言われて実行していた私は、教育基本法をノートに写し、その言葉を担って生きてきたように思います。
「我々は、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する…」とあります。同じ言葉が憲法9条にもあります。「国際平和を誠実に希求し」と、この「希求する」「希求し」という言葉は、普通は「希望する」とか「求める」とか「望む」とかいって「希求する」とは言いません。なぜ「希求する」なのか?小説も文体ですが、文体には倫理観があらわれます。
戦争直後には多くの人が自分の家族に戦争による死者を持った。身近に死者を持ったとき、その人は倫理観を持つ。自分たちが死ぬべきものだと認識するとき、人は倫理観をもつ。
広島で原爆に会った少女が祈りをこめて鶴を折り、けれども祈りはかなわず死んでしまった。けれども、一枚の紙の鶴に、死んだ少女に、自分を重ねてたくさんの少女たちが、日本だけでなく世界の国々の少女たちが鶴を折り続けた。「広島が風化した」と言われるが、岩石が土や砂になることが風化だ。今も鶴を折る少女がいることは風化ではなく生き続けさせることだ。これが、私たちが核の権威に対して抵抗できるしるしだ。
先日その14万羽にもなった鶴を燃やした学生がいた。単純な理由「仲間たちと一緒にきた旅行で、仲間の気分を盛り上げたかった」と燃やしたと言う。倫理観の欠如だ。
記者会見で私は「憲法9条今こそ旬」と言ったが、経団連が武器輸出三原則を見直せと言ったり、アーミテージが「9条は日米同盟の妨げ」だと言い日本政府はそれに対して「日米同盟にかなうよう努力している」とこたえるなど、今こそ9条を訴えていくべきときだからだ。(一枝通信7月25日より)
★ ムキンポさんのページに掲載。
トルコのクルド人難民2家族12人が、難民受け入れ・収容所からの難民の釈放を求め、7月13日から、国連大学前で座り込み・ハンストを継続中。
をご覧下さい。
http://www.mkimpo.com/diary/2004/kurd_sit_in_2004.html
★土曜日、カメラを忘れました。Sさんに写していただきました。
僕の新しいお友達の「ウマくん」です。
「明日も晴れ」を訪ねてくださってありがとうございます。
母さん、西口通信、書けたようです。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=213
ほっ!
お散歩に行けるぞ・・・嬉しいなぁー。
(おおき・ジロー)
「一枝通信・7月22日」高遠菜穂子さんたちの集会報告!
私は、作家、渡辺一枝(いちえ)さんにお会いするたびに、身体の中から輝くその生き方の美しさに「学ばせていただこう」と思い、また同じ保育の道を歩んできた者として素晴らしい感性あふれるその業は、著書などを通して知ることができました。とても幸せに思っています。
いつも届くのを楽しみにしています「一枝通信」、今日は22日に中野ZEROホールで行われました「イラク市民と語る?私たちにできること」の報告でした。一枝さんにお許しをいただき、私のページに掲載させていただきます。私もですが、都合で参加出来なかった人、遠い所にいらしてこの集会の成功を祈っておられた皆さんに、集まりの様子をお知らせし、一枝さんがいつも言っておられますように、「声を上げ続けましょうね。行動をし続けましょうね。『戦争を許さない。占領を許さない。平和な世界を!』」と・・・。
皆さん、一緒に!自分に出来ることを考えて、行動していきましょう!
一枝さんの元気が出る集会報告です。(おおきせいこ)
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みなさま、こんにちは。
今日22日、「イラク市民と語る?私たちにできること」という集会がありました。(中野ZEROホール)
今井紀明さんの挨拶、田保寿一さん「ジャーナリストからのイラク報告」、高遠菜穂子さん「私のイラクノート」、ゲストのイフサン・アリ・スレイマンさん「イラク人からみたイラクの現状と人質事件」
ZEROホールいっぱいの参加者で、若者から年配者まで多層の人たちで関心を持つ人がとても多いのだと、心強く思いました。
今井さんは、自分が知っているイラクは、拘束されていた時間と場所だけなのでイラクについて語れる立場でないので、今思っていることをと、「自分が社会問題、政治問題に無関心でいられなくなったのは、かつては戦争をしていた日本が、今は戦争状態ではない。今戦争している国も、かつては平和なときもあった。そんなふうに物事は循環していることを思ったからだ。
また日本も戦争をするかもしれない。自分に何ができるか、何をすべきか考えた。世界にはたくさんの問題があって、違うように見えても問題の根っこは同じだと思う。全てには関われないがひとつのこと、たとえばイラクから世界を見ていくことができるのではないか。
田保さんは、昨年10月からイラクで取材を始めファルージャなどのスンニ三角地帯を日本のメディアとして初めて取材しました。12月にイラクで高遠さんに会い彼女の協力でストリートチルドレン、サマワの現状、ドーラの空爆などを取材。今年3月3度目のイラク取材中に事故にあって帰国しました。
それらの取材からの報告で、既に昨年の10月からファルージャでは米軍の攻撃がとても激しかったとビデオ上映しながら、空爆や爆撃の様子を見せ、話してくれました。
とくに夜間攻撃は激しくて、怪我をした人を病院に運ぼうとしても外出禁止令が出ていて病院に行けず、またたとえばナジャフでは一番大きな病院は米軍が接収してしまって地元民は、昼間でもそこには行けない、と。
また、イラクでの高遠さんの活動をも報告しました。
高遠さん、解放されたあとも拘束とパッシングのショックから、なかなか立ち上がれなかったようでしたが、元気になってまた動き出されて、ほんとうによかったと思いました。
2003年、バグダッド陥落後に初めてイラクに行き、イラク人から一緒にいたジャーナリストの人と私はファルージャの状況を 聞かされ…
また外国の報道陣は誰も行ってないので外にはそこでのひどい状況が伝わっていないともいわれました。それを聞いてすぐ翌日ファルージャに行き、いくつかの病院にいって必要な医薬品の調査をしNGOやジャーナリストの協力で、ファルージャに医薬品を届けた。
そういうことができたというのも、第一にイラクの人は親日家だったからだ。ファルージャの人は、また特に温厚な人たちだといわれている。
ファルージャの人たちは米軍のパトロールに対して怒りをもっていた。たとえば若い兵士が、持ち込んだポルノ雑誌を面白半分に子どもに与えたことなどに激しい憤りをもった「これが自由か?」「これが民主主義か?」「これが解放か?」といいだした。
10月11月は最悪な状況だった。道路封鎖、夜間外出禁止などで、医薬品などの必要物資が届かなくなった。包囲掃討作戦が取られ、死傷者もでていたが、バグダッドでさえもファルージャやラマディのこうした現状は報道されていなかった。地元の人はこれに対して非常に不満を感じていた。
4月の9日間の後
5月下旬になってようやく友人や知人たちからのメールを読み出すことができた。
イラクの友人から「君がやっていたことを、僕たちが引き継ぐよ」というメールをもらって、また動き出す元気と勇気がわいてきた。
そして、自分が拘束されたときから5月下旬までのイラクがどんな状況だったのか教えてほしいと頼んで、教えてもらった。
主権移譲されたが、空爆、戦闘は終わっていない。先週きたメールでしばらく「連絡できない」とあって心配だったが、昨日電話で話ができた。戦闘にまきこまれて、友人が怪我をした。
戦闘に参加しているのは若者たちで、外国から入ったイスラム勢力と一緒に攻撃に加わってしまう。
多くのイラク人は米軍に憎しみの感情はもっていても、報復行動はできない。占領軍がいる日々はとても厳しいが、イラクの人たちはそこに住まなければならない。
米軍の爆撃で傷ついた子どもを見ても、私は「アメリカが悪い」とは言えない。もし私がそう言えばアメリカに憎しみを持っているイラクの人たちが、気持ちを行動にうつすのを奨励するようなことになる。
イラクに行って現状に触れ、イラクの人の声をききながら、いつも私は言った。
「イラク人が誇り高い民族なら、アメリカの悪口を言って攻撃するのでなく、もっと別の解決法を探してほしい」と。触れ合ったイラク人の誰にもそういった。それを理解してくれた人がいて、彼が仲間に呼びかけて、ファルージャの再建を自分たちで始めた。その行動を知って、私はまた動き出そうと思えるようになったのだ。
私は、イスラム教、キリスト教、仏教と、それぞれ違う宗教を信じている人たちであっても、違うのは言葉だけ。みんな同じ人間だと思っている。違うのは話す言葉だけなのだ。
ゲストのスレイマンさん
始めに、「戦争や爆撃で死んだ世界中の人たちのために一緒に黙祷をしましょう」と。それから話ました。
イラク人は、日本人に対して特別な親近感をもっている。湾岸戦争後にも日本人からたくさんの援助を受けてきた。そういう日本人たち「市民大使」に敬意を抱いている。
菜穂子さんたちが拘束されたときに、すぐにイラク新聞が菜穂子の活動を報道した。それを読んで全てのイラク人が大変だと感じた。私たちはバグダッド市内のインターネットカフェをセンターにして、解放のための活動を始めた。このカフェのオーナーは、私たちがそうした活動をしていた間、一銭もお金を取らなかった。菜穂子が世話をしていた18人のストリートチルドレンは皆泣きながら、「ファルージャに連れて行ってくれ。自分が菜穂子のかわりになる」と言った。
菜穂子のやっていたプロジェクトは、現在のことだけではなく未来に関わるプロジェクトだ。これはとても大事な点だ。
日本がイラクのためにできることはたくさんある。
医療関係、特に子どもで大変困難な手術を要する子どもたちがいる。現在のイラクの状況では治療がとてもむずかしい。
失業率がとても高く、技能を必要としない単純労働にしかつけていない。職業訓練所があれば、技能を身につけて働けるようになる。これは、そんなに資金を使わずにできて、大変役に立つことだ。
菜穂子はこれをやろうとしていた。
菜穂子はイラクのことを話しながら泣いていたが、我々は泣かない。なぜか?
我々の涙は、この35年でもう涸れてしまった。
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共に祈り、一つの歌を歌いましょう
心配しないで、あなたのやり方で祈ればいいのです
あなたの国の言葉でうたってください
どこにいようと祈り、歌を歌うことはできます
私たちはそれを感じ取るでしょう
古(いにしえ)の文明の発祥地であった国は
炎に包まれています
イラクはあなたの思い、あなたの歌、あなたの手を
必要としています
そのときイラクの人々は苦しみを終わらせることができます
そして広島の人々は深い眠りにつくでしょう
花をたずさえたあなたの手をさしのべてください
その花をイラクに持って帰り、恐怖におののき、
未来に希望の持てないバグダッドの子どもたちに手渡します
かわいい顔をした子どもたちの目からあふれる涙を
その手でぬぐってやってください
花は両親の墓に手向けられるでしょう
毎晩あなたの子どもにするキスを
私たちのかわいい子どもたちに分けてください
一度でいいから
父親のキスがどんなものかを実感させてやりたいのです
自宅にいるときも私たちと共にいてください
そして世界中に平和が訪れるように
みんなで一緒に歌を歌いましょう
イフサン・アリ・スレイマン
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とてもいい集会でした。スレイマンさんは今年9月1日にストリートチルドレンのための施設を開設する予定です。
高遠さんの活動に改めて心うたれました。
本当に、元気になってよかった。
また活動されるようになってよかった、と思いました。
イラク支援ネットワーク(仮称 アラブ・ホープ・ネット)の立ち上げが呼びかけられました。
(一枝通信・7月22日)
★今発売中の『婦人公論』に高遠さんが手記を寄せています。