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投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-10 15:01:14 (1698 ヒット)
さぁー!忙しくなりました。意見広告が出ますよ!  大木晴子
9日は、義父の食事を渡して直ぐに霞が関へ・・・。
「1・9外務省を人間の鎖で囲もう」の7時の回に参加するためです。
このイベントの言い出しっぺの一人に何時の西口でがんばっているNさんがいます。彼女は初めての行動にチラシを配り、いろいろ話を聞いて準備をしてきました。私は、一緒には行動できませんでしたが、その様子を拝見しながら「頑張ってね」といつも思っていました。

また9日は、意見広告賛同者の名簿と掲載の不可の確認作業日になり人手のない事務局は、大変でした。
西口で反戦意思表示に参加している皆さんは、今度の意見広告ではたくさんチラシを配って協力をしてくださいました。
昨夜の作業にも5名の参加、遅くまで細かい字と格闘しました。
今回の意見広告は、2紙に出る事が決まりました。
確定しているのは、北海道新聞、1月15日の掲載。
朝日新聞の掲載日は、まだ交渉中です。
6000人近い名簿を作り、デザイナーの鈴木一誌さんにお渡しするまでの作業はとても大変です。
事務局の皆さんが入力してきましたが、新聞に記事が掲載されてから物凄い賛同の数に、お身体の調子がすぐれない吉川勇一さんがここ何日かパソコンに向かい、最終原稿作りをしてくださっています。
ほんとうに頭が下がります。
私は、身近に井上澄夫さんはじめ事務局で頑張っている人たちにお会いすると、賛同者の皆さんの気持ちをいっぱい詰め込んで素晴らしい意思表示の「意見広告」が掲載されると日増しに感じています。
さぁー。「意見広告」が出ますよ。もう少しです。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-09 00:29:08 (3364 ヒット)


 ジローが我家にやってきた!(柴犬ジローの話・1)大木晴子

 1995年12月16日の朝は、少しいつもとは違っていました。
それは、我家に子犬が来る日だからです。
朝寝坊の連れ合いもこの日は、早起きでした。
毎年、この時期に行われるボロ市を知らせる花火の音まで我家にやって来る子を祝ってくれているように思えた日でした。

 私たちは、簡単な朝食を済ますと家から7〜8分の所にあるYさんの家に向かいました。
私はこの日の為に、可愛い黒猫のアップリケがあるエプロンを着て子犬を包む新しいタオルを抱えて、ドキドキしながら・・・。
「どちらの子が来るんだろう」と話ながら足はだんだん速くなっていました。
Yさんの家には、大きなハスキー犬の武蔵君、柴犬メグちゃんと二頭の子犬がいます。
この二頭は、この日まで1号、2号と呼ばれていました。
メグちゃんは、近所に住む柴犬元気君と恋をしてお母さんになりました。
彼女は、柴犬保存協会から来た犬で体重11キロ、キツネ顔をした犬で皆から「野生のメグ」と呼ばれていました。
出産後は、一度も散歩に出ず子育てをしてきました。
それは見事な子育てをしました。
Yさんが「1号は、我家で、2号を大木さんのお宅に」と。この時から10月9日深夜に生まれた1号は、テツ。
そして日が変り10月10日生まれの2号は(写真右、顔がシワシワの方)は、ジローと名付けられました。
二頭とも足が飼い主に似て太く「大きくなるわねー」と大笑いでした。
私と連れ合いは、Yさんにジローの「父さん」「母さん」になれたことを感謝し、楽しく育んでいきたいと気持ちを伝えました。
匂いの付いた「オシッコシート」を一枚いただいてタオルにジローを包み、抱くとその温もりがこれから訪れる幸せな時間を予感させてくれました。
家に着くと玄関の土間に頂いてきた「オシッコシート」でトイレを作り、「ジロー君、ここでオシッコをしましょうね」と
しっかりと匂いを嗅がせて家の中を自由にさせていました。いろいろ珍しいのかクンクンと散策を始めました。
暫くすると、走って玄関に飛んでいきました。
シートの上で手と足を目一杯広げてオシッコをしました。
それを見ていた私たちは、終わると直ぐにジローをコロコロ転がしながら「ジロー、最高!」「ジロー、えらかったね。」
「ジロー、おりこうさん」「母さん、嬉しい!」もういっぱい褒めちぎりました。
また散策を始めたり、眠ったりしていたジローが玄関で「キャン・キャン」と鳴き、私たちはビックリして飛んでいくとシートの上に
5センチぐらいの太い立派なウンチがあり、その前でジローは鳴いていました。
「ジロー君、教えてくれたの、えらかったね。トイレに流そうね。」私が流し終わるのを見とどけるとジローは安心してハウスの中で眠りました。
この日から一度もトイレの心配をしたことがありません。
私たちは、この事一つでも、しっかり育ててくれたメグお母さんは凄いと感謝しているのです。
ジローが我家にきたのは、生後2ヶ月目、人の子だと3〜4歳の年にあたるそうです。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-07 23:01:38 (1708 ヒット)
「明日も晴れー大木晴子のページ」少し模様替えをしました。
トップの大きなタイトル文字は、素敵だが繋がるまでに時間が
かかってとそんなお声を聞き、どうしたら良いのだろうと思案してきました。
いろいろ考えてトップの画面は、我家の柴犬ジローで始るように・・・。
タイトル文字とその名前の由来は画面右上、「明日も晴れ」を
クリックしていただくとお読みいただけます。
また左の「大木晴子のページ」をクリックしていただきますと
今まで掲載しておりました1969年5月8日の新宿の様子を
書いた文章が載っています。

ホームページを訪ねてくださる方も昨夜までに、3491名になりました。
カウントは昨年の11月27日に付けました。同じアドレスの方は、
一年間の間はカウントをしませんので確実に新しく訪ねてくださって
いることがわかります。一番多かった日は、12月27日187名でした。
データーの詳しい分析は私にはわかりませんが、全てのアクセス
(ヒット数)は、93370回。そのヒットの正常なアクセス数
(ファイル数)が、78820回になりました。
たくさんの方々と繋がっているのだとこの数字を見て実感しています。
とても嬉しいです。これからも「お気に入り」にいれていただき
出会いを大切にしていけたらと願っています。
文章の最後に「コメント」と書かれたところがあります。
どうぞ、ご意見、ご感想など書き込んでください。

さぁ、9日から抗議行動が繰り広げられます。
イベントカレンダーをご覧下さい。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-04 04:20:39 (4290 ヒット)


2004年、最初の反戦意思表示。  大木晴子
1月3日の土曜日、今年も始りました。
用事を済ませて小田急前地上に5時30分。
もう雲さんが一人で立っていました。
戦闘機の数が増えているなぁーと雲さんのプラカードを
見ながら私も出しました「輝け!憲法9条」を。
そこへHさんがそして千代さんが一人二人と増えて6時に
地下広場へ移動する頃には7名の意思表示になりました。
今日、初めて参加されたご婦人はハンドバックに収まる位の可愛いプラカード。
この方は、このページのリンク集にある「私はイヤです」名古屋の
グループのホームページを訪ねられてそこのリンクにあった
「明日も晴れー大木晴子のページ」を見つけ西口へ。
「デモに持っていったこのプラカードを他ではなかなか出せなくて」と
言われ静かに立たれていました。
また、恵比寿や渋谷で行われている路上解放のデモでよく合う
若者二人も地上だけの飛び入り参加。
私が持っていたプラカードを持って少しの間でしたが意思表示。
とっても嬉しかった。また来てくださいね。
さぁ、新しい年!地下広場での意思表示が始りました。
広場の広告塔は、松井選手の大きな写真に替わりました。
手のひらを広げて前に伸びた手は、その前に立つ「自衛隊は行くな!」と言う
プラカードを応援しているように私にはそう見えました。
私は新年早々だし皆さん忙しいのでは、きっと、数人かなぁー参加者。
と考えて出かけてきましたが西口は元気です。
5本の柱に15人の思い思いの言葉がありました。
親子で「NO WAR」を持って立たれたOさん、
お子さんと会話が弾んでいました。
この広場での体験は冬休みのよい思い出になったのではないでしょうか。
お正月なのでと細井さんはよく似合うお着物で登場。
警備員さんに「今年もよろしく」と挨拶を。
暫くして、私の所に警備員さんがいらして
「素敵なお召し物の方から挨拶をされ時計が
狂ってしまいました。今日は少し早く立ちましたね。
まぁ、お正月だから」と言われて細井さん、
「私に直接言えばいいのに、極道の姐さんみたいで怖いのかしら」と一言。
「うーん。凄みは感じるよ」その調子で今年も頑張ろう。
今日、参加されたご婦人からメイルが届きました。
「立っている間ずっと「血まみれの鳩」が頭の中に響いていました。
何かしなければとんでもないことになる、と焦るばかりです。また立ちます。」
同じ思いでいる人たちがたくさんいるのではないでしょうか。
私のホームページは、初めて訪ねて下さる方々が毎日100名を超えています。
私自身、少し怖さを感じ、いま何をしなければいけないのかを考え、
神経を研ぎ澄まして平和への道を歩み続けたいと思います。
ご住職のFさんの「死ぬな!殺すな!戦うな!」の言葉が
印象に残った2004年最初の反戦意思表示でした。
(おおきせいこ)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆
9月にこのホームページを立ち上げてから70本近くの文章を
掲載してきました。項目がわかりやすくするためにメイン画面
(ジローが出ている)のアルバム写真の下(画面左)に
「明日も晴れトピック」を設けました。
クリックしていただくと「地下広場」「反戦平和」「エッセイ」
「ジローの話」に別れています。
いままで、なかなか間にエッセイとジローの話を入れる
タイミングがつかめず悩んでいましたが、これで頑張れそうです。
文章の最後にあります「コメント」に感想など入れていただけると
これからの力になります。書き込んでください。

投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-02 15:03:13 (1740 ヒット)


水仙の花に元気をもらい、2004年歩き出します。大木晴子

おめでとうなんて言う気になれない
2004年の幕明けですが・・・。
でも、大木さんのような平和を紡ぐ
人の群れに励まされた一年でした。
☆☆☆☆☆
清楚で美しい水仙の花と一緒に富田林市
から届いたメッセージです。
昨年、手術した兄からはA4で8ページの
「ドキュメント ボクの『胃ガン』体験」が
送られてきました。その最後には、“平和を
守ることの大変さ、大切さについて“
こう書かれていました。
☆☆☆☆☆
入院期間中の最大の政治的話題は総選挙と
自衛隊のイラク派遣問題であった。ボクの
所属するゆきわりそうグループは、昭和
62年7月設立以来今日まで、憲法に保障
された思想信条の自由を守り、組織として
政治的立場を明確にすることは無かったし、
今後ともないことを断言できる。しかし、
戦争に反対し平和を守る活動は、ニューヨーク
のカーネギーホールでの「今、私たち21世紀
の平和のために歌う第九コンサート」に象徴され
るように、ささやかながら持続的に取り組んできた
課題だ。その理由は単純明快。戦争は新たな障害者
を生み出すことになるし、戦時には歴史的に極端な
障害者差別が行われてきたからだ。「テロリズム」を
米国の公式文書に定義されている通り「政治的、
宗教的、あるいはイデオロギー的目的を達成するため、
暴力の威嚇を計算して使用すること。これは、脅迫、
強制、恐怖をしみこませることによって行われる」
とするならばアメリカこそ、第二次世界大戦後
ほとんど間断なく、もっともな「大義名分(アメリカ的
民主化という政治的目的達成の)」を掲げ、22カ国以上
と戦争を続けてきた世界最大のテロリズム国家であることは
小学生でも理解できることだ。何でそのことを学者や文学者
たちは、マスコミ関係者は、政治家たちは声を大にして名言
しないのか。
ボクの入院中の最大関心事は胃ガンにはなく、そのことにあった。
それなのにコイズミは、相変わらずブッシュ親分にひたすら
媚びへつらうことしか出来ないでいる。恥ずかしくてたまらない
日々であった。・・・・と。
☆☆☆☆☆
私は、この兄と昔、紀伊国屋ホールなどで
行われていた文化人の講演などを
一緒に聞きにいきました。
兄が勧めてくれた本もたくさん読みました。
2004年、心根を一緒に歩める幸せに感謝。
(おおきせいこ)

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