自衛隊員の皆さんへ送ってください。 大木晴子
私がいまも大事に持っている投書記事を再度、掲載いたします。
たくさんの人に朗読し、聞いていただきました。
何度、読み直しても涙がこぼれます。
お知り合いに自衛隊員の方がいらしたらこのメッセージを送ってあげてください。いろいろな手段を使いイラクへ絶対行かせない!自分で出来る事、頑張りましょう。(おおきせいこ)
2003年7月22日朝日新聞朝刊、声の欄に掲載された大阪府にお住まいの西 貞則さんが書かれたものです。
(引用させていただきます)
「派遣命令なら帰っておいで」
自衛官の君がイラクに行くことになるのではないか。
もし、行けば、責任感の強い君のことだから、他の人よりも熱心に活動するだろう。
ひょっとしたら、アラビア語を学んでイラクの子どもたちと話せるようになるかも知れない。
が、僕は恐れるのだ。
君が街角で銃を突きつけられる場面を想像してしまう。
君はその時、どうする?
君や君の同僚は、正当防衛だから応戦するか?
しなかったら、君の命がなくなるかも知れない。
では、相手が子どもだったら、どうする?
米英によるイラク攻撃で家族を傷つけられたり失ったりした子どもが銃を向けたら、どうする?
恐らく、君や君の同僚は毎日、いろいろな場面を想像して悩んでいることと思う。
僕の何百倍も。君の家族も心配しておられるだろう。
もし、イラク派遣の命令が出たら、退職して帰っておいで。
君が死んだり傷ついたりするのもイヤだし、君がイラクの人たちを殺したり傷つけたりするのもイヤだ。
君は、外国に行き、そこで生活している人たちに銃を向けるために入隊したのではないもの。
僕も一緒に仕事を探すから、帰っておいで!
デモの話、ラジオの話そして新聞記事。 大木晴子
昨日24日、渋谷の宮下公園の集会とデモ「自衛隊はイラクへ行くな!殺すな!殺されるな!」は、寒さを感じる日でしたが
300人 ぐらいの人たちがそれぞれの思いを持ち参加されました。
落ち着いた司会者のリードでメッセージを語られた一人ひとりの言葉に皆聞き入りとても良い集会が行われました。
沖縄の状況そして連帯アピール、最近イラクを訪ねたHさんの報告では、新聞、テレビの報道がいかにアメリカよりの位置から見ているかがわかりました。その事を聞きながら「民衆側に立って写せ!と常に心がけカメラをまわした人たちに言い続けて映像を撮った『怒りをうたえ』の宮島義勇さんの言葉を思い出していました。
参加者の中に「明日も晴れを見て参加したの」とTさん夫妻が。
嬉しい!
デモはいつものようにNHK横を通り渋谷駅ハチ公前の大きな交差点を左に宮下公園に戻るコースでした。道行く人たちが昔のように直ぐに参加してくる事はありませんが、視線は変っています。とくに若い男の子の視線の中に変化が感じられました。
「おーい!一緒に声を出そう。君たちの直ぐ前にあることだよ」と何人かに声をかけて歩きました。
私は今日は、少し体調をくずし大きなプラカードを持つ元気がなくて軽いレインボーの旗をマントに「殺すな」バッジを着けて歩きました。
話がかわりますが、「明日、11月26日は何の日かご存知ですか」それは「新宿西口地下広場」の日です。
1966年11月26日、新宿西口広場ができた日だそうです。
それから3年後の「新宿フォークゲリラ」を取り上げてみようとニッポン放送「うえやなぎまさひこのサプライズ」という
月?金 午前8時半?11時までやっている番組で明日26日(水曜日)に現在の地下広場の様子など紹介するそうです。
9時、時報のあと、10分ほど「ちょっといい話」をするコーナーで放送です。
詩を詠んだり、話題の人を取り上げたり、
過去を振り返ったり、リスナーが、耳を澄まして、聞いてしまうようなちょっといい話を紹介するそうでいろいろ調べていくうちに「明日も晴れ」のページにたどり着いたとライターの方のお話でした。
生電話で話す話も出ていますがどうなることでしょう。ただ、最後に岡林信康さんの静かに歌い出す心に響く「友よ」を聞くことが出来ると思います。「最後に流す曲は何が良いですか」と聞かれこの「友よ」をお勧めしました。
流れるかなぁーお時間のある方は、聞いて下さいね。
最後に紹介記事です。
今日の朝日新聞と毎日新聞に掲載され、心を留めて読んだものです。
11月25日朝刊(朝日新聞・東京12版・11面)
「ポリティカ にっぽん」を書かれている早野 透さん(本社コラムニスト)の「マクナマラの悔恨に学びたい」です。
何度も停戦の機会があったのに逃し、ベトナム人は300万人が死にアメリカは5万8千人の兵士が死んで撤退するという大失敗をしたのか、国防長官だったマクナマラが30年の沈黙を破って告白した反省の書、「マクナマラ回顧録?ベトナムの悲劇と教訓」(共同通信社)を再度読まれて記事を書かれておられます。
最後の所で「わが自衛隊派遣も「このまま行かなければテロに屈することになる」などと単純に考えたくない。アメリカへの義理だけでなく日本の貢献のあり方を原点から素直に議論し直したい。マクナマラの痛恨の教訓に学びたい。」と書かれた言葉に同じ思いです。ベトナム戦争の体験から学ぶ事、反戦運動も同じように思い返してみようと思いました。
11月25日朝刊(毎日新聞・東京11版・4面)
「記者の目」佐藤千矢子(北米総局)さんが書かれた「米の本音 見据え議論を」サブタイトルに「逃げの姿勢は矛盾噴出」
内容は書きません。新聞を探して読んで下さい。とても良い内容です、是非お読みくださいね。(おおきせいこ)
昨日24日、渋谷の宮下公園の集会とデモ「自衛隊はイラクへ行くな!殺すな!殺されるな!」は、寒さを感じる日でしたが
300人 ぐらいの人たちがそれぞれの思いを持ち参加されました。
落ち着いた司会者のリードでメッセージを語られた一人ひとりの言葉に皆聞き入りとても良い集会が行われました。
沖縄の状況そして連帯アピール、最近イラクを訪ねたHさんの報告では、新聞、テレビの報道がいかにアメリカよりの位置から見ているかがわかりました。その事を聞きながら「民衆側に立って写せ!と常に心がけカメラをまわした人たちに言い続けて映像を撮った『怒りをうたえ』の宮島義勇さんの言葉を思い出していました。
参加者の中に「明日も晴れを見て参加したの」とTさん夫妻が。
嬉しい!
デモはいつものようにNHK横を通り渋谷駅ハチ公前の大きな交差点を左に宮下公園に戻るコースでした。道行く人たちが昔のように直ぐに参加してくる事はありませんが、視線は変っています。とくに若い男の子の視線の中に変化が感じられました。
「おーい!一緒に声を出そう。君たちの直ぐ前にあることだよ」と何人かに声をかけて歩きました。
私は今日は、少し体調をくずし大きなプラカードを持つ元気がなくて軽いレインボーの旗をマントに「殺すな」バッジを着けて歩きました。
話がかわりますが、「明日、11月26日は何の日かご存知ですか」それは「新宿西口地下広場」の日です。
1966年11月26日、新宿西口広場ができた日だそうです。
それから3年後の「新宿フォークゲリラ」を取り上げてみようとニッポン放送「うえやなぎまさひこのサプライズ」という
月?金 午前8時半?11時までやっている番組で明日26日(水曜日)に現在の地下広場の様子など紹介するそうです。
9時、時報のあと、10分ほど「ちょっといい話」をするコーナーで放送です。
詩を詠んだり、話題の人を取り上げたり、
過去を振り返ったり、リスナーが、耳を澄まして、聞いてしまうようなちょっといい話を紹介するそうでいろいろ調べていくうちに「明日も晴れ」のページにたどり着いたとライターの方のお話でした。
生電話で話す話も出ていますがどうなることでしょう。ただ、最後に岡林信康さんの静かに歌い出す心に響く「友よ」を聞くことが出来ると思います。「最後に流す曲は何が良いですか」と聞かれこの「友よ」をお勧めしました。
流れるかなぁーお時間のある方は、聞いて下さいね。
最後に紹介記事です。
今日の朝日新聞と毎日新聞に掲載され、心を留めて読んだものです。
11月25日朝刊(朝日新聞・東京12版・11面)
「ポリティカ にっぽん」を書かれている早野 透さん(本社コラムニスト)の「マクナマラの悔恨に学びたい」です。
何度も停戦の機会があったのに逃し、ベトナム人は300万人が死にアメリカは5万8千人の兵士が死んで撤退するという大失敗をしたのか、国防長官だったマクナマラが30年の沈黙を破って告白した反省の書、「マクナマラ回顧録?ベトナムの悲劇と教訓」(共同通信社)を再度読まれて記事を書かれておられます。
最後の所で「わが自衛隊派遣も「このまま行かなければテロに屈することになる」などと単純に考えたくない。アメリカへの義理だけでなく日本の貢献のあり方を原点から素直に議論し直したい。マクナマラの痛恨の教訓に学びたい。」と書かれた言葉に同じ思いです。ベトナム戦争の体験から学ぶ事、反戦運動も同じように思い返してみようと思いました。
11月25日朝刊(毎日新聞・東京11版・4面)
「記者の目」佐藤千矢子(北米総局)さんが書かれた「米の本音 見据え議論を」サブタイトルに「逃げの姿勢は矛盾噴出」
内容は書きません。新聞を探して読んで下さい。とても良い内容です、是非お読みくださいね。(おおきせいこ)
一人ひとりが生き生きと! 大木晴子
十一月も後半になり、年の瀬の街に彩りを添えるポインセチアやシクラメンの鮮やかな赤い色が目立ち始めました。
私は西口に行く前に懐かしい街を歩き「人とのつき合い方」で書いた母との思いでの豆腐屋さんの前を通ってきました。
店の入り口の方向が変っていましたが深い水槽も大きな包丁も昔のまま使われていました。昔お店にいたおばさんは、少し腰が曲がっておられましたがその笑顔に記憶が戻り懐かしい時間を過ごしました。
この心地の良い街にある病院に兄は入院しています。
彼が幼ない時からよく知っているこの病院を選び、自分を委ねたのが私には良くわかります。院長になられた幼なじみの先生のその優しい澄んだ眼差しに全てをお任せ出来たのだと思います。
術後二日目、煙草をよく吸っていた人なのでタンを切るのに苦労をしていました。でも彼は努力家なのでいろいろ学習しながら頑張っています。「これから、西口に行ってくるね」と言う私を笑で送りだしてくれました。
三十分早く新宿に着いたので地上でと思い小田急前に行くとHさんが「子どもは『お国』のためにあるんじゃない!」教育基本法改悪反対集会のビラを一人で配っておられました。イベントカレンダーに掲載。
もう三十分も立たれていると聞き、凄いなぁーと感激。
そこへ百合の花の少女も参加、地上での意思表示が始まりました。
直ぐにKさんと難民の眼のプラカードの方が参加し道行く人の視線を捕らえはじめました。立ち止まり戦争の時の事を話していかれる方、何か考えてしまったとわかる表情で通り過ぎる人に「頑張ろう」と心の中で私は叫びます。
さぁ六時、地下広場での開始時間です。
直ぐに「大木さんですか」と声をかけて下さった方は、なんと仙台から参加です。上京するので是非この機会にと嬉しいです。彼女が今日の為に拵えたメッセージは「占領NO!平和にくらしたい ただそれだけなのです」本当にそうです。みんなの気持ちですよね。
素直な言葉は人の心にうつります。これからも仙台と東京距離は離れていても心は繋がっています。一緒に頑張って歩んでいきましょう。
今日は、警備員さんがなかなか声をかけてくれません。
私がいつも会話を書くのがまずいのでしょうか。
と言う事は、このホームページを見ているのかなぁー。
会話が無いのは寂しいと思っていたところに細井さんが登場です。
そこへ警備員さんが来て細井さんが「こんにちは」と挨拶をして持ってきたアラブの民族衣装を着たので「ああ、気分が悪くなった」と「大木さん、あそこのお面は注意してください」と言って去りました。
そう今日は、ダメダメと言われた花を持って頑張る少女、お面の小泉さん、やっぱり着たいとレインボーの旗をマントで現れたIさんの三人が同じ柱に立ちました。
警備員さん、もう一言。細井さんに「あそこの目立つ人達の柱に行ったら」と。
あっ、そうですやっぱりこのホームページを見ている。
だって私たちが警備員さんの名前がわからないので「おじさん」と呼んでいます。
すると「おじさん、おじさんと呼ばないでください。私が小学校六年の時、あなたは一年生なんだからあまり年がちがわないでしょう」と言われました。
これって私のメッセージ「ありがとう」を読んで私の年を知っている証拠ですよね。
でも読んでくれて嬉しい!これからも頑張って書きます。
我家にポインセチアやシクラメンに負けない素敵な花が大阪から届きました。
いつも、西口を?腓靴討い泙垢藩イ靴ぅ瓮奪察璽犬鮟颪い徳?辰討?世気い泙后A播┐奮┝蟷罎魏爾気詈?竜せ?繊∪掌?念貊錣飽媚徂充┐任后
24日は、デモです。「自衛隊はイラクに行くな!殺すな!殺されるな!」13:00渋谷・宮下公園(イベントカレンダーに詳しく)
皆さん、参加してください。家族やお友達に声をかけて下さいね。
(おおきせいこ)
自衛隊を派遣したら、これは東京! 大木晴子
今日も痛ましい記事でいっぱい。
トルコの都市、イスタンブール「英総領事館へ自爆テロ」の写真がどの新聞も大きな写真入りで報道されています。
メイルでもオーストラリアに住むかたから入りました。
★「朝はニュース番組がないオーストラリア。
今ネットに繋いでガーディアンを開けたら、イスタンブールのビル爆破の写真が目に飛び込んで来ました。
そして、自衛隊を派遣したら、これは東京です。」
その通りです。
また細井さんからは、
★「今日、講演先でクルドの人に会いました。トルコのクルド人です。彼にこう云われました。
「日本の難民キャンプに行ったことがありますか?」私はドキッとしました。
「イラクの難民は自由があるからまだいいです。日本にいる難民は自由がまったくありません」彼は収容所に3回も入っていました。またもう一人のクルド人は3年4ヶ月収容所にいたそうです。
外国へ行くのもいいですが日本にいる難民のことも考えてくださいと。心が痛みました。
最近は特に(小泉政権になってから)警察の監視が厳しくなってき
たようです。どうにかしなければ・・・。と
★私も胸がいたくなりました。正直言ってわからなかった。
そうですよね。
映像で見る他国の難民の方たちと違い、日本は隔離されていて私たちには、どんな生活をされているのか訴えをおこされた一部の方いがいは知ることが出来ないのですから。
でも、見なければ自分の住んでいるこの日本、知らないことだらけなのかも知れません。
昨日は、長い一日を私は過ごしました。
胃ガンになってしまった兄の手術が、無事おわりました。
手術を待つ間に兄が病室に持ってきていた本を見ると岩波新書「対テロ戦争」とイスラム世界・「革命免疫」そして、何度も読み返した事が表紙でわかる「9・11アメリカに報復する資格はない」チョムスキーでした。
福祉の世界で一番弱い立場におかれている人たちと一緒にいつも笑顔を絶えせず「ゆきわりそう」の牧場や田畑で汗を流し、自分たちの手で拵えた作物をみんなで感謝して食べる。さりげない、当たり前の事を大切にして生きる、驕らず自分が心地の良いと思うことを素直に言葉にも行動にも出せる兄を私は大好きです。
今日、ゆきわりそうの人たちは、作った夕食を全部こぼしてしまったり、ご飯を炊くスイッチを入れ忘れたりとハプニング続きだったとうかがいました。みんな兄の事が心配で何処かボーッとしてしまったそうです。この話を聞き、元気になってもう一仕事しなくてはだめだよ「良ちゃん」とまだ麻酔が覚めない兄に心の中で叫んできました。
まだまだ私たちにやらなければいけないこといっぱいあるからね。
(おおきせいこ)
今日も痛ましい記事でいっぱい。
トルコの都市、イスタンブール「英総領事館へ自爆テロ」の写真がどの新聞も大きな写真入りで報道されています。
メイルでもオーストラリアに住むかたから入りました。
★「朝はニュース番組がないオーストラリア。
今ネットに繋いでガーディアンを開けたら、イスタンブールのビル爆破の写真が目に飛び込んで来ました。
そして、自衛隊を派遣したら、これは東京です。」
その通りです。
また細井さんからは、
★「今日、講演先でクルドの人に会いました。トルコのクルド人です。彼にこう云われました。
「日本の難民キャンプに行ったことがありますか?」私はドキッとしました。
「イラクの難民は自由があるからまだいいです。日本にいる難民は自由がまったくありません」彼は収容所に3回も入っていました。またもう一人のクルド人は3年4ヶ月収容所にいたそうです。
外国へ行くのもいいですが日本にいる難民のことも考えてくださいと。心が痛みました。
最近は特に(小泉政権になってから)警察の監視が厳しくなってき
たようです。どうにかしなければ・・・。と
★私も胸がいたくなりました。正直言ってわからなかった。
そうですよね。
映像で見る他国の難民の方たちと違い、日本は隔離されていて私たちには、どんな生活をされているのか訴えをおこされた一部の方いがいは知ることが出来ないのですから。
でも、見なければ自分の住んでいるこの日本、知らないことだらけなのかも知れません。
昨日は、長い一日を私は過ごしました。
胃ガンになってしまった兄の手術が、無事おわりました。
手術を待つ間に兄が病室に持ってきていた本を見ると岩波新書「対テロ戦争」とイスラム世界・「革命免疫」そして、何度も読み返した事が表紙でわかる「9・11アメリカに報復する資格はない」チョムスキーでした。
福祉の世界で一番弱い立場におかれている人たちと一緒にいつも笑顔を絶えせず「ゆきわりそう」の牧場や田畑で汗を流し、自分たちの手で拵えた作物をみんなで感謝して食べる。さりげない、当たり前の事を大切にして生きる、驕らず自分が心地の良いと思うことを素直に言葉にも行動にも出せる兄を私は大好きです。
今日、ゆきわりそうの人たちは、作った夕食を全部こぼしてしまったり、ご飯を炊くスイッチを入れ忘れたりとハプニング続きだったとうかがいました。みんな兄の事が心配で何処かボーッとしてしまったそうです。この話を聞き、元気になってもう一仕事しなくてはだめだよ「良ちゃん」とまだ麻酔が覚めない兄に心の中で叫んできました。
まだまだ私たちにやらなければいけないこといっぱいあるからね。
(おおきせいこ)
松井やよりさんに見つめられ! 大木晴子
http://www.jca.apc.org/video-juku/matsui.htm
松井やよりさんの一周忌がもうすぐです。
私は、松井やよりさんと直接お話をしたことはありません。
集会や毎年八月十五日の渋谷で遠くからお話を聞かせていただくだけでした。
でも亡くなられてからとっても近くにいてくださり何時も励ましていただいているような気がするのです。
どうしてかと言うとそれは、一匹の猫と食器洗い器が松井さんのお宅から我家にやって来たからです。
新宿でH井さんと反戦意思表示をするようになって暫くした頃に、松井さんの側でお仕事をしていたH井さんは、「松井さんの遺品を整理して皆さんに「女たちの戦争と平和資料館」設立の為に品物を買っていただくの」私は「もし、猫があったら取っておいて、私が買わせていただくから」と頼んでいました。次の土曜日に「晴子さん、あったわよ!猫。松井さんが猫を持っているなんて珍しいのよ。」と木彫りの写真の猫が我家の仲間になりました。
ちょつと話がそれますが、私は猫を集めています。結婚してからずっとです。
家中の猫の置物・写真・絵など数えると五百は越えています。
結婚して猫を飼いたいと思いました。でも動物があまり好きではない義母は、猫の写真を見ただけで駄目なのがわかり諦めて先代の次郎を飼うことにしたのです。
それ以来、猫は置物になりました。
今は、庭に来る野良猫ちゃん達と仲良しで時々ですが猫の母さんもしています。
こうして松井さんの側で過ごしていた木彫りの猫は、私のパソコンのスイッチの横でいつも見つめていてくれるようになったのです。弱気になると何だか「駄目よ!頑張れるでしょう」と声をかけてもらえるようで心強く大切にしているのです。名前は、よりちゃんと名付けました。
また、わたしが夕食後、パソコンにスイッチを入れる時は、台所でチャプチャプと我家の食器が気持ち良く洗われている音がして、いつも助かりますと感謝して文章を書き始めます。
この食器洗い器は、五月に出した意見広告の仕事をH井さんとしている時に松井さんの食器洗い器の貰い手が無いというお話を聞き、我家にいただく事にしました。こうして、猫と食器洗い器に助けられホームページを立ち上げてから忙しくなった私は、松井さんに見つめられて頑張ることが出来るのです。
松井さんが、残されたたくさんの素晴らしい運動は多くの人たちに受け継がれてこれからも力を合わせて歩まれることでしょう。
(03-11-19おおきせいこ)