新宿西口地下広場通信03-10-18 大木晴子
二十分前にY子さんと広場に行くと「あれー何時も私が立っている柱だけ電気が消えている!」二人で同時に「何でぇー」と・・・・。
そうか、私のホームページを読んだの!ステンドグラスを生かして作ると書いたから・・・・。
近くにいた警備員の人に質問しました。
「何で、あの柱だけ電気を消しているの」と私。
「電源を切っているんです」と警備員。
「ホームページを読んだから」と私。
「・・・・・・・・」警備員。
今日は、二月からずっと立っていた柱を離れ、他の所に移動しました。
頭の中で昔歌った反戦フォークの一節が浮かんできました。
「うた」という曲の3番に
今はもう眠っている間に作られたワナを
知らないふりしている時ではない
血のふきでる声で知らせなければならない
陰謀で世界は埋まっている 陰謀で世界は埋まっている
三十数年前に歌ったうたが、今もそう思える世の中に寂しさを感じ電気を消す、消さないなんていう事にエネルギーを使っている時ではないでしょう。
もっと、考えなければいけないこと、この広場にあるでしょう。
私は、広告塔がいけないとは言わない。しかし、今の広場の広告塔は酷すぎる。
それは、とにかく何でもいいから作ったとしか言い様のない広告だからです。
広場には、本当にたくさんの人が行き来し、子どももたくさん通ります。
もし、この広告が五月に出した「意見広告」のように心を動かすデザインで
誰もが一度は立ち止まり「良いねぇー」と思えるようなものならまだ許せます。
いい加減なやり方に腹がたつのです。
これから育っていく若い人たちに与える影響は大きいはずです。
知らず知らずのうちに慣れていく怖さを知ってほしいのです。
今日の反戦意思表示は23名、23のメッセージが広場にありました。
違った!私は、裏にも表にもそれから光を生かして見ていただいた「殺すな」
そして、ミニレインボーの旗をつけた我家のジローの写真も広場で視線を集めました。
そして、Y子さんが素晴らしかった。彼女は暫く来れなかったのですが先週の私の通信を読み直ぐにメイルで「今週は行きますよ、西口。わたしも新兵器を準備しようと時間と戦っています。「そっちがその気ならうけてたとうじゃないの」って気分です」と・・・・。
Y子さんは、寺山修司(前衛芸術家)の世界。包帯をクルクルと顔に巻き、手には「戦争ハ地獄」と赤い字。(フォトアルバムを見てください)
恵比寿のデモで「ほんとうに、久振りに良いデモに参加したわ」と言っていた
Tさんもセロハンを使い意思表示でした。
小田マサノリさんは、昨夜のドラム缶を持って現れました。一瞬、警備員の顔が引きつるのを見逃しません・・・私。
小田さんはいろんな人と会話をしながら、素敵な時間を作られていました。
フォトアルバムで紹介している「爽やかな笑顔」の女性も参加、彼女の持っている旗をつるす長い棒とチリンチリンと鳴らしている物がいけないと警備員からの忠告でした。「来週もするようでしたら警察に管理してもらいます」
今週の西口地下広場でした。
11時過ぎ関西空港にいる細井明美さんから電話が入りました。細井さんはイラクにたくさんの思いが込められあつまったカンパを持って今夜出発です。
皆さん、彼女の旅が実り多い時間になり、無事に帰国出来るように祈って下さいね。(おおきせいこ)
私が参加したデモ!03-10-18 大木晴子
17日、ブッシュ来日に合わせて、各地で反ブッシュ行動が行われました。
東京でも社会文化会館に集まり日比谷までデモをした「フォーラム平和・人権・環境/戦争反対、有事を作るな!市民緊急行動/日本消費者連盟/原子力資料情報室/ATTAC JAPAN 」主催のデモ参加者は1000人。(参加した友人から報告)
私の参加したデモは、恵比寿で集合でした。恵比寿駅で友を待つ間、A4で作った「殺すな」のプラカードを持って西口改札口に立っていました。ここでも「殺すな」の文字は、一瞥していただきました。
隣にいた若い娘さんが気にしているようなので「これ、気になりますか?」と声をかけてお話をしました。
会場の恵比寿公園(駅から5分ぐらい)に着く間、正装の機動隊、もう見て直ぐわかる私服の警察の皆さんが、表現が難しいのですが「もう、うじゃ・うじゃ」。
公園に入ると「わぁー、いい気がする」と思いました。
個が生きているそう感じる、伸びやかな大らかな集まりがそこにありました。
西口で何時も一緒の皆さんに、「私のレシピ」で紹介したおにぎりを楽しく食べていただきました。
凄いですよ!西口組は、10人参加でした。総勢、200人ぐらいでしたからその割合は、やっぱり凄いですよね。
集会では、各グループ参加者が意思表示。その中で車イスで参加の皆さんのアピールには、頭が下がりました。昼間、皆さんは羽田空港のロビーで横断幕を出し、ブッシュ来日を反対し、戦争反対の意思表示をしたと報告されました。
私は、警備の厳しい何をするかわからない人たちに囲まれてのデモなので3台の車イス参加の皆さんと歩こうと決めました。
さぁーデモが始まります。西口でいつも素敵な意思表示をされている小田マサノリさんは、今日はこれを持って参加でした。
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Sparta/8012/no_oil_more_beat.gif
小田さんはこう言われています。「17日に予定されているブッシュ来日反対デモには、「アブラと戦争の商人」であるブッシュにからめて、空っぽのオイル缶でつくった、このドラムを持って参加します」と・・・・。
その響きは、沿道の建物の窓に人々を引きつけました。ほんとうにたくさんの人が見て、賛同のVサインを手を振っていただきました。
「10・17 来日反対!反ブッシュ行動へ!」のデモは、六本木の街まで元気に行進しました。
「明日、新宿で」と声をかけ、皆さんの顔を見ました。
長い時間、歩いたのにみんな元気で爽やかな笑顔でした。
地下広場で見る笑顔でした。
さぁー、今日は西口です。明朝までには、「西口通信」を掲載しますので
また、訪ねてください。(おおきせいこ)
17日、ブッシュ来日に合わせて、各地で反ブッシュ行動が行われました。
東京でも社会文化会館に集まり日比谷までデモをした「フォーラム平和・人権・環境/戦争反対、有事を作るな!市民緊急行動/日本消費者連盟/原子力資料情報室/ATTAC JAPAN 」主催のデモ参加者は1000人。(参加した友人から報告)
私の参加したデモは、恵比寿で集合でした。恵比寿駅で友を待つ間、A4で作った「殺すな」のプラカードを持って西口改札口に立っていました。ここでも「殺すな」の文字は、一瞥していただきました。
隣にいた若い娘さんが気にしているようなので「これ、気になりますか?」と声をかけてお話をしました。
会場の恵比寿公園(駅から5分ぐらい)に着く間、正装の機動隊、もう見て直ぐわかる私服の警察の皆さんが、表現が難しいのですが「もう、うじゃ・うじゃ」。
公園に入ると「わぁー、いい気がする」と思いました。
個が生きているそう感じる、伸びやかな大らかな集まりがそこにありました。
西口で何時も一緒の皆さんに、「私のレシピ」で紹介したおにぎりを楽しく食べていただきました。
凄いですよ!西口組は、10人参加でした。総勢、200人ぐらいでしたからその割合は、やっぱり凄いですよね。
集会では、各グループ参加者が意思表示。その中で車イスで参加の皆さんのアピールには、頭が下がりました。昼間、皆さんは羽田空港のロビーで横断幕を出し、ブッシュ来日を反対し、戦争反対の意思表示をしたと報告されました。
私は、警備の厳しい何をするかわからない人たちに囲まれてのデモなので3台の車イス参加の皆さんと歩こうと決めました。
さぁーデモが始まります。西口でいつも素敵な意思表示をされている小田マサノリさんは、今日はこれを持って参加でした。
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Sparta/8012/no_oil_more_beat.gif
小田さんはこう言われています。「17日に予定されているブッシュ来日反対デモには、「アブラと戦争の商人」であるブッシュにからめて、空っぽのオイル缶でつくった、このドラムを持って参加します」と・・・・。
その響きは、沿道の建物の窓に人々を引きつけました。ほんとうにたくさんの人が見て、賛同のVサインを手を振っていただきました。
「10・17 来日反対!反ブッシュ行動へ!」のデモは、六本木の街まで元気に行進しました。
「明日、新宿で」と声をかけ、皆さんの顔を見ました。
長い時間、歩いたのにみんな元気で爽やかな笑顔でした。
地下広場で見る笑顔でした。
さぁー、今日は西口です。明朝までには、「西口通信」を掲載しますので
また、訪ねてください。(おおきせいこ)
12人でデモ、警備の警察官は5名。 大木晴子
毎月、15日にデモを行っている「アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」に参加するため出かけました。
少し時間があったので途中下車して新宿西口地下広場へ、広告塔のサイズ測ってきました。
床から52センチの所からライトがついています。広告の入っていない下の方を利用してみてはいかがですか。一つの柱に4面。一つの大きさは、縦50センチ、横幅118センチです。
私は明日、作業日と決めて何か作ってみます。皆さんも頑張って!!
さぁー、デモの話に戻ります。
吉祥寺駅南口からすぐの所にある武蔵野公会堂前に集まり、デモが始まりました。
出発時は、11名の優しい可愛いデモ行進です。
吉祥寺駅から三鷹駅までの4キロを約一時間かけて歩きます。
吉祥寺駅付近は人出も多く、西口でも目立っているレインボー旗がデモを盛上げていました。
最初の大きな交差点近くで飲み屋さんのご主人が私たちが通り過ぎるまで手をたたいて応援。
マンションの部屋からご夫婦仲良く見ていらしたので私は大きな声で「戦争反対でしたら意思表示してください」と言うと手を振って応えてくれました。
途中で「アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」のKさんが「会議で遅くなった」と自転車を飛ばして参加、これで12名になりました。
車の中から「頑張ろう」の声、私は「クラクションを鳴らして」と応え、走り出す車から優しく「ブーブー」とクラクションが・・・。
通り過ぎるバスの乗客は、私たちの旗やプラカードを良く見ていました。
警備の警察官は4名が交通整理、1名が先頭車両に乗ってデモ隊を誘導していました。
歩道からデモに参加する人はいませんでしたが街の皆さんの眼差しは温かく感じました。
これは、「アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」の皆さんが長い時間をかけて積み重ねていらしたからですね。
伝わっているのです。参加者みんなの気持ちが沿道の人たちに、それがよくわかりました。
西口もそしてジローと始めた駒沢公園での反戦意思表示も時間をかけて頑張れば、きっと伝えることが出来るとこの優しいデモに参加して教わりました。
「アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」の皆さん、また参加します。
(おおきせいこ)
毎月、15日にデモを行っている「アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」に参加するため出かけました。
少し時間があったので途中下車して新宿西口地下広場へ、広告塔のサイズ測ってきました。
床から52センチの所からライトがついています。広告の入っていない下の方を利用してみてはいかがですか。一つの柱に4面。一つの大きさは、縦50センチ、横幅118センチです。
私は明日、作業日と決めて何か作ってみます。皆さんも頑張って!!
さぁー、デモの話に戻ります。
吉祥寺駅南口からすぐの所にある武蔵野公会堂前に集まり、デモが始まりました。
出発時は、11名の優しい可愛いデモ行進です。
吉祥寺駅から三鷹駅までの4キロを約一時間かけて歩きます。
吉祥寺駅付近は人出も多く、西口でも目立っているレインボー旗がデモを盛上げていました。
最初の大きな交差点近くで飲み屋さんのご主人が私たちが通り過ぎるまで手をたたいて応援。
マンションの部屋からご夫婦仲良く見ていらしたので私は大きな声で「戦争反対でしたら意思表示してください」と言うと手を振って応えてくれました。
途中で「アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」のKさんが「会議で遅くなった」と自転車を飛ばして参加、これで12名になりました。
車の中から「頑張ろう」の声、私は「クラクションを鳴らして」と応え、走り出す車から優しく「ブーブー」とクラクションが・・・。
通り過ぎるバスの乗客は、私たちの旗やプラカードを良く見ていました。
警備の警察官は4名が交通整理、1名が先頭車両に乗ってデモ隊を誘導していました。
歩道からデモに参加する人はいませんでしたが街の皆さんの眼差しは温かく感じました。
これは、「アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」の皆さんが長い時間をかけて積み重ねていらしたからですね。
伝わっているのです。参加者みんなの気持ちが沿道の人たちに、それがよくわかりました。
西口もそしてジローと始めた駒沢公園での反戦意思表示も時間をかけて頑張れば、きっと伝えることが出来るとこの優しいデモに参加して教わりました。
「アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」の皆さん、また参加します。
(おおきせいこ)
「お知らせしたい。感動メイルです。」 大木晴子
小田マサノリさん(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所非常勤研究員。民族学専攻。)が書かれたメイルの一部を掲載いたします。小田さんが言われる言葉に向き合っていただきたいからです。いま、一人ひとりが真剣に考えなくては、そう強く思うからです。
いま、イタリアの街に、はためくレインボー(PEACE・PACA)旗が日本のデモで西口広場で広がりを見せています。我家の窓にも何時も虹が見えす。
旗のお話です。
(ここから、小田さんのメッセージです)
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
"ひとりひとりが自分で自分の旗をつくること"これが、いまだ実現されていない「民主々義」の「原点」の風景のように思います。
「原点が実現されていない」というのは、なにか矛盾したことのようにも聞こえますが、「原点」というものを僕は単なる起源ではなく、何度もそこに回帰してゆき、また、そのつど、とりもどしてゆく場所だと考えています。
そして民主主義の理想形態とされる「直接民主主義」が「現実的な不可能事」としていまだ実現されていないように、その「原点」もまだ実現されてないように思うのです。
とりわけ、今年の春から夏にかけて国会で起こったことを考える時、
「直接民主主義」というものを忘却した(あるいは忘れたふりをしてる)、
いまの「議会制民主主義」をもとに物事を考えたり行動するのではなく、
その前提であり、原点であるはずの「直接民主主義」の可能性と
その未来を、もういっぺん夢想するということから始めなおさなければ
ならないのかもしれないなんてことを、いま、思いはじめています。
自由国際大学の創設に関わったヨゼフ・ボイスというドイツの芸術家は、
71年に「国民投票による直接民主主義のための組織」という運動をはじめ、
その翌年に開かれた国際現代美術展では、なんと100日間ものあいだ、
来場者を相手に、その実現にむけてのプランや夢を語りあいました。
このボイスの行動には、今でもたいへん勇気づけられますが、
実はこのボイスの運動の一年前に、花森安治は「暮しの手帖」に
こう書いていました。
さて、ぼくらは もう一度、
倉庫や物置きや机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている<民主々義>を
探しだしてきて 錆びをおとし
部品を集め しっかり組み立てる。
<民主々義>の<民>は、庶民の民だ。
ぼくらの暮しをなにより第一にするということだ。
ぼくらの暮しと企業の利益とがぶつかったら
企業を倒すということだ
ぼくらの暮しと政府の考え方がぶつかったら
政府を倒すということだ
それがほんとうの<民主々義>だ。
[中略]
ぼくらはぼくらの旗を立てる。
ぼくらの旗は借りてきた旗ではない。
ぼくらの旗の色は、
赤ではない 黒ではない
もちろん 白ではない
黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗はこじき旗だ
ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた
暮しの旗だ
ぼくらは家ごとに その旗を
もの干し台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての
ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後へひかない
花森安治「一銭五厘の旗」
こんなふうに花森が描いてみせた「民主々義」のはじまりの風景=原点に、
僕はすっかりとり憑かれてしまい、これまでに何枚も自分の旗をつくり、
また、共感できる旗を集めてきました。その中には「殺すな」の旗や
「美学連」の旗、また「声なき声」の旗もあります。そして、いつか
それがぼろぼろになった時、その布端布(はぎれ)つぎ合わせて、
自分のこじき旗をつくろうと思っています。
僕の夢(想)は、みんなが、それぞれ色もちがえば、かたちもちがう、
世界でただ一本きりのいろんな旗を立てて歩き、なおかつ、
自分で自分の太鼓をたたき、踊らされるのではなく、自分が出した音で踊る、
そういうデモなのです。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/publication/hanamoriyasuji.html
★ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
小田マサノリさんは、花森安治について下記の本、雑誌にお書きになっています。私もみんな読んでみたいと思います。
これから、掲載されるINAX出版の「議会制民主主義の終わりと狂い咲き国会サンダーロード」『10+1』第33号 (来年1月刊行予定)を楽しみにしています。小田さんの文章から、私はいつも勇気と元気をたくさんいただいています。皆さんも是非読んで一緒に元気になりましょう。
若い、皆さん読んでくださいね。
★西口にも関係しています。INAX出版 『10+1』に書かれている「都市ノ民族誌」シリーズの前回は、「東京フォークゲリラ・ノーリターンズ」(別称=昭和残響伝)でした。(おおきせいこ)
「見よぼくら四人称複数イルコモンズの旗」
『現代思想』2003年2月号 青土社
「殺すなを殺すな?憲法第九条は破壊されたのではない、
恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」
「市民の意見30の会・東京ニュース」78号
(リンクに市民の意見30の会・東京が入りました)
「花森安治と暮しの抵抗」
「図書新聞」2003年7月5日号
「前略、花森安治さま」
『暮しの手帖・別冊保存版?』(12月刊行予定)
「議会制民主主義の終わりと狂い咲き国会サンダーロード」
『10+1』第33号 (来年1月刊行予定)
小田マサノリさん(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所非常勤研究員。民族学専攻。)が書かれたメイルの一部を掲載いたします。小田さんが言われる言葉に向き合っていただきたいからです。いま、一人ひとりが真剣に考えなくては、そう強く思うからです。
いま、イタリアの街に、はためくレインボー(PEACE・PACA)旗が日本のデモで西口広場で広がりを見せています。我家の窓にも何時も虹が見えす。
旗のお話です。
(ここから、小田さんのメッセージです)
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
"ひとりひとりが自分で自分の旗をつくること"これが、いまだ実現されていない「民主々義」の「原点」の風景のように思います。
「原点が実現されていない」というのは、なにか矛盾したことのようにも聞こえますが、「原点」というものを僕は単なる起源ではなく、何度もそこに回帰してゆき、また、そのつど、とりもどしてゆく場所だと考えています。
そして民主主義の理想形態とされる「直接民主主義」が「現実的な不可能事」としていまだ実現されていないように、その「原点」もまだ実現されてないように思うのです。
とりわけ、今年の春から夏にかけて国会で起こったことを考える時、
「直接民主主義」というものを忘却した(あるいは忘れたふりをしてる)、
いまの「議会制民主主義」をもとに物事を考えたり行動するのではなく、
その前提であり、原点であるはずの「直接民主主義」の可能性と
その未来を、もういっぺん夢想するということから始めなおさなければ
ならないのかもしれないなんてことを、いま、思いはじめています。
自由国際大学の創設に関わったヨゼフ・ボイスというドイツの芸術家は、
71年に「国民投票による直接民主主義のための組織」という運動をはじめ、
その翌年に開かれた国際現代美術展では、なんと100日間ものあいだ、
来場者を相手に、その実現にむけてのプランや夢を語りあいました。
このボイスの行動には、今でもたいへん勇気づけられますが、
実はこのボイスの運動の一年前に、花森安治は「暮しの手帖」に
こう書いていました。
さて、ぼくらは もう一度、
倉庫や物置きや机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている<民主々義>を
探しだしてきて 錆びをおとし
部品を集め しっかり組み立てる。
<民主々義>の<民>は、庶民の民だ。
ぼくらの暮しをなにより第一にするということだ。
ぼくらの暮しと企業の利益とがぶつかったら
企業を倒すということだ
ぼくらの暮しと政府の考え方がぶつかったら
政府を倒すということだ
それがほんとうの<民主々義>だ。
[中略]
ぼくらはぼくらの旗を立てる。
ぼくらの旗は借りてきた旗ではない。
ぼくらの旗の色は、
赤ではない 黒ではない
もちろん 白ではない
黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗はこじき旗だ
ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた
暮しの旗だ
ぼくらは家ごとに その旗を
もの干し台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての
ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後へひかない
花森安治「一銭五厘の旗」
こんなふうに花森が描いてみせた「民主々義」のはじまりの風景=原点に、
僕はすっかりとり憑かれてしまい、これまでに何枚も自分の旗をつくり、
また、共感できる旗を集めてきました。その中には「殺すな」の旗や
「美学連」の旗、また「声なき声」の旗もあります。そして、いつか
それがぼろぼろになった時、その布端布(はぎれ)つぎ合わせて、
自分のこじき旗をつくろうと思っています。
僕の夢(想)は、みんなが、それぞれ色もちがえば、かたちもちがう、
世界でただ一本きりのいろんな旗を立てて歩き、なおかつ、
自分で自分の太鼓をたたき、踊らされるのではなく、自分が出した音で踊る、
そういうデモなのです。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/publication/hanamoriyasuji.html
★ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
小田マサノリさんは、花森安治について下記の本、雑誌にお書きになっています。私もみんな読んでみたいと思います。
これから、掲載されるINAX出版の「議会制民主主義の終わりと狂い咲き国会サンダーロード」『10+1』第33号 (来年1月刊行予定)を楽しみにしています。小田さんの文章から、私はいつも勇気と元気をたくさんいただいています。皆さんも是非読んで一緒に元気になりましょう。
若い、皆さん読んでくださいね。
★西口にも関係しています。INAX出版 『10+1』に書かれている「都市ノ民族誌」シリーズの前回は、「東京フォークゲリラ・ノーリターンズ」(別称=昭和残響伝)でした。(おおきせいこ)
「見よぼくら四人称複数イルコモンズの旗」
『現代思想』2003年2月号 青土社
「殺すなを殺すな?憲法第九条は破壊されたのではない、
恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」
「市民の意見30の会・東京ニュース」78号
(リンクに市民の意見30の会・東京が入りました)
「花森安治と暮しの抵抗」
「図書新聞」2003年7月5日号
「前略、花森安治さま」
『暮しの手帖・別冊保存版?』(12月刊行予定)
「議会制民主主義の終わりと狂い咲き国会サンダーロード」
『10+1』第33号 (来年1月刊行予定)
この文章は、五月に出した意見広告の「事務局だより」に書いたものです。
新しく「自衛隊のイラク派遣と憲法改悪に反対し、戦争への非協力を宣言する意見広告」が始まりました。(リンクの所に意見広告運動ホームページが載っています)私も自分で出来る事を探し、この運動を広めていきたいと思います。事務局だよりを読み返し、再度掲載いたします。
「戦争は 終わっていない。」
私が丁度一年半前に「ベトナム戦争枯葉剤被害?いまだ癒されない傷あと」と
いうビデオに登場する子ども達に会った時に最初に出た言葉です。
戦争の傷痕はずっとずっと続きます。
その子供たちのいる施設は各国の援助で運営されていました。
アメリカは何をしてくれたのだろう。この子ども達に・・・。
十数年前にも同じように「戦争は 終わっていない。」と強く感じた出来事が
ありました。それは「核を考える」というテーマで広島の宇品港から旅が始まるピースボートに乗ってベラウに行ったときです。
私は1914年第1次世界大戦で日本軍が占領した事が今でもわかる
ペレリュー島に行きました。錆びた大砲、戦車がそのまま放置されていて
兵隊さんがかぶっていた粗末なカブトがあちこちに置かれていました。
車でお生い茂った樹木の中を行くと、茂みの中からふらっと軍服姿の人が
横切っていくような錯覚を覚えたのをいまでも鮮明に記憶しています。
その島にあるオレンジビーチと呼ばれている砂浜に行った時です。
この浜は、1944年の9月にアメリカ軍が上陸した所です。
浜辺で一緒に旅していた富山から参加していた男性が煙草を置き線香を
手向けていました。
私は横に座りお話を伺いました。
彼は、数年前まで新聞記者をしていました。自分の受け持ち区域に住んでいる歳をとられたご婦人から託されたこと、一人息子を失った母親が永い時間を
空しい思いで過ごさなければならない現実を肌で感じ「戦争は・・・・」と
胸が痛くなりました。
戦争で親を失ったイラクの子供たち!
アメリカの勝手な戦争で子どもを失ったイラクの人たち!
これから、ずっとずっと苦しみ、悲しみが続くことを思うと息が止まりそうに
なります。いま、私に出きることもっと考えるからね。って写真で見る子ども
達に話しかけ、「戦争は終わっていない。」と思うのです。
(おおきせいこ)
新しく「自衛隊のイラク派遣と憲法改悪に反対し、戦争への非協力を宣言する意見広告」が始まりました。(リンクの所に意見広告運動ホームページが載っています)私も自分で出来る事を探し、この運動を広めていきたいと思います。事務局だよりを読み返し、再度掲載いたします。
「戦争は 終わっていない。」
私が丁度一年半前に「ベトナム戦争枯葉剤被害?いまだ癒されない傷あと」と
いうビデオに登場する子ども達に会った時に最初に出た言葉です。
戦争の傷痕はずっとずっと続きます。
その子供たちのいる施設は各国の援助で運営されていました。
アメリカは何をしてくれたのだろう。この子ども達に・・・。
十数年前にも同じように「戦争は 終わっていない。」と強く感じた出来事が
ありました。それは「核を考える」というテーマで広島の宇品港から旅が始まるピースボートに乗ってベラウに行ったときです。
私は1914年第1次世界大戦で日本軍が占領した事が今でもわかる
ペレリュー島に行きました。錆びた大砲、戦車がそのまま放置されていて
兵隊さんがかぶっていた粗末なカブトがあちこちに置かれていました。
車でお生い茂った樹木の中を行くと、茂みの中からふらっと軍服姿の人が
横切っていくような錯覚を覚えたのをいまでも鮮明に記憶しています。
その島にあるオレンジビーチと呼ばれている砂浜に行った時です。
この浜は、1944年の9月にアメリカ軍が上陸した所です。
浜辺で一緒に旅していた富山から参加していた男性が煙草を置き線香を
手向けていました。
私は横に座りお話を伺いました。
彼は、数年前まで新聞記者をしていました。自分の受け持ち区域に住んでいる歳をとられたご婦人から託されたこと、一人息子を失った母親が永い時間を
空しい思いで過ごさなければならない現実を肌で感じ「戦争は・・・・」と
胸が痛くなりました。
戦争で親を失ったイラクの子供たち!
アメリカの勝手な戦争で子どもを失ったイラクの人たち!
これから、ずっとずっと苦しみ、悲しみが続くことを思うと息が止まりそうに
なります。いま、私に出きることもっと考えるからね。って写真で見る子ども
達に話しかけ、「戦争は終わっていない。」と思うのです。
(おおきせいこ)