メイン つぶやき 哀悼「小田 実さん」・・・「1989年1月1日朝まで生 テレビ」映像も!8月4日告別式★07-08-21更新 | 投稿するにはまず登録を |
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seiko | 投稿日時: 2007/7/30 10:14 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
哀悼「小田 実さん」・・・「1989年1月1日朝まで生 テレビ」映像も!8月4日告別式★07-08-21更新 7月30日午前2時5分、小田実さんが亡くなられました。 吉川勇一さんから小田さんの様子を伝えてくださるメイルが届いています。 昨夜は、前の晩に徹夜をしていたので日付がかわって直ぐに休みました。 今朝、届いたメイルを読み、覚悟していたけど動揺しています。 あれも、これもと2002年に二度ベトナムへ小田さんとご一緒した旅の写真を見始めました。 (2002年 春 ベトナム 吉川勇一さんと) 連れ合いと私が撮った千枚近い写真からその思い出は鮮明になりました。 機会を見つけて掲載していきたいと思います。 小田さん、「言い出しっぺになれる勇気を!」たくさん たくさん 小田さんの背中を見ながら学びとることができました。 ありがとうございました。 (07-07-30・おおきせいこ) ★KY生さんが書いておられます。 「惜別、小田実さん」 http://green.ap.teacup.com/kysei2/205.html ★「東京新聞」 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007073002037096.html ★「Livedoorニュース」 http://news.livedoor.com/article/detail/2940418/ 【追悼】小田実さん死去。生前、パブリック・ジャーナリズムの方向性語る ★ この記事の下の方に、小田実さんの市民活動に関する PJニュース記事が掲載されています。 ★「申栄一日誌」小田実さん「死ぬ前に言っておきたいことがある」 http://blog.goo.ne.jp/ocean35910/e/2fecc925abb6575266bae646464dc2b0 ★ 一休庵さんのブログ 「何でも見てやろう」 小田実さん http://ikkyuan.exblog.jp/6592619 ★2007.7.31 佐藤弘弥さん 「日本の市民平和運動のシンボル」 http://www.st.rim.or.jp/~success/oda_ye.html ★BUNGAKU@モダン日本 「小田実さんの死を悼む―白墨で書かれた「民主・自由・軍事力…」 http://blogs.yahoo.co.jp/nonakajun/48580817.html ★ハートを撃て! 「ホナ、サイナラ、お元気で」 http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/20070730/ ★動画 「昭和64年1月1日朝まで生 テレビ」 http://youtube.com/watch?v=WjQE2QpEWAo ★もしもの老子さんのブログ 「小田実さんのこと」 http://qlove-1947.at.webry.info/200707/article_18.html 私は、さり気ない小田さんの穏やかな表情が好きでした。 きっと、時間が経つにつれて私の中で大きく思い出が 記憶されていくのでしょうね。 その時間を大切に積み重ねていきます。 (07-08-02・おおきせいこ) |
seiko | 投稿日時: 2007/7/30 19:59 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
告別式のご案内です。 告別式 2007年8月4日(土) 午後1時?3時
会場 東京・青山葬儀場 ◆ 電車をご利用の場合 ●東京メトロ千代田線「乃木坂駅」下車 5番出口 徒歩3分 ●東京メトロ銀座線・半蔵門線・都営地下鉄大江戸線 「青山1丁目駅」下車 南青山 5番出口 徒歩12分 ◆ バスをご利用の場合 ●都バス97番線(新宿駅西口――品川駅前)青山斎場下車 徒歩1分 喪主は玄順惠さん 主催 小田実氏告別式実行委員会 葬儀委員長は鶴見俊輔さんです。 実行委員:高村幸治さん(岩波書店)、富澤詳郎さん(新潮社)、中川進さん(大月書店)、坂元良江さん(テレビマンユニオン)、宮田鞠栄さん(文筆業)、玄香実さん(市民立法運動前事務局長)、古藤晃さん(古藤事務所) ★ 詳しくは、吉川勇一さんのサイト 「News」小田実さんの葬儀のご案内をご覧下さい。 http://www.jca.apc.org/~yyoffice/ ★ 葬儀委員会の主催ではありませんが、その諒解のもとに、 有志がデモを計画しています。 葬儀終了後、斎場から地下鉄「青山1丁目」駅付近まで、 15分ぐらいの距離を小田さんを追悼して行進をします。 追悼デモの総指揮は福富節男さんがなさいます。 |
seiko | 投稿日時: 2007/7/31 0:22 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
雲さんの中の小田実さん! (2002年の春ベトナム ホー・チミン) 西口で一緒に意思表示をしている雲さんから届きました。 この 講演会 に私も行くつもりでカレンダーに掲載していました。 すっかり忘れて当日の夜中に思い出して申し込みが 無理かなぁ?と諦めた会でした。 当日行けば良かったと雲さんの報告をお聞きして後悔しました。 小田さんに会いたかったなぁ?。(おおきせいこ) (2002年 春 ベトナム ソンミ村) ◐◐◐◐◐◐◐◐◐◐◐◐◐◐◐◐ 今年のはじめ、2月22日。 「小さな人間の位置から」と題する、 小田実さんの講演会のことを思い出しています。 その時、まず現在のベトナムの話を熱く語られました。 ベトナムの勝利は「惨勝」だった。 勝利の後に残ったのは、破壊され尽くした無惨な国土ばかりだった。 「それから僅か32年で普通の国へ復興を遂げた。 ベトナムの人々は凄い、たいしたものだ」と、 いとおしむように語られたのが印象に残っています。 小田さんの政治運動に関る起点が、まず「難死」する者に身を重ね、 思いやること、もっと言えば愛することにあったのではないかと、 私なりに感じた会でした。 その時はもう病気が進行していたのでしょうが、 あたたかくも睨みつけるような眼光は変わらず鋭いものでした。 「死ぬまで元気」だった小田実さん、ありがとう。さようなら。 ≪雲≫ |
seiko | 投稿日時: 2007/7/31 15:21 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
時事通信ホームページ<おくやみ>に掲載された談話。 <時事通信2007/07/30-11:23 小田実さん死去・談話>
◇時代と深くかかわる作家 文芸評論家の黒古一夫さんの話 根っからの作家で、いつも持ち歩いていたかばんには、市民運動の資料ではなく連載中や構想中の小説の資料がつまっていた。文学が文学の世界にとどまるのではなく、作家が生きている時代と深くかかわることで小説は成立するという信念を持った作家だった。登場人物の口を借りて政治論が出てくるが、それは人間の当たり前の生き方という前提があり、その根っこには「人間はみな平等である」という庶民感覚があった。 ◇エネルギッシュな言葉の達人 憲法学者の奥平康弘さんの話 エネルギッシュで発想が豊か、言葉の達人でもあった。一緒に呼び掛け人となった「9条の会」のスローガンなどもぱっと作ってしまう独特の才能を持っていた。性格は天真らんまんで人懐っこく、他人を引き付ける魅力があった。さまざまな運動を引っ張っていけたのは、彼のバイタリティーがあってこそだったと思う。最後は社会運動家ではなく小説家として自分がやってきたことをまとめてから死にたいとおっしゃっていた。(了) |
seiko | 投稿日時: 2007/7/31 15:40 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
<掲載記事> (2002年 ベトナム 戦争証跡博物館) <掲載記事> http://www.odamakoto.com/jp/Article/index.html 小田実さんのホームページからリンクさせていただきました。 http://www.odamakoto.com/jp/index.html |
seiko | 投稿日時: 2007/7/31 16:03 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
新潮社・波 2006年1月号より・・・。 (2002年 ・ベトナムで楽しそうに写真を撮っている小田さんと吉岡さん) http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/423205.html 新潮社・波 2006年1月号より 小田の目に涙 小田 実『終らない旅』 吉岡 忍 私は小田実が泣くのを見たことがある。男泣きの号泣ではなく、涙ぐむという程度でもなく、彼は泣いた。ベトナム戦争が終わって数年後のことだ。ウランバートルで開催された文学者の国際会議に出たあと、二人で小型機に乗り、ゴビ砂漠のなかにある村まで足を伸ばしたときのことだった。 小田はそんなときも原稿用紙を広げ、当時愛用していたサインペンの太い文字で小説を書き続けていた。見渡すかぎりの砂漠と、夜になれば落ちてきそうな星の群れを見るほかにやることがない。夜寝る前、退屈した私は、彼が仕事に疲れた頃を見計らって部屋を訪ね、軽く一杯やることにしていた。 あるとき話は、ベトナム戦争とベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)のことになった。アメリカに留学し、ヨーロッパやアジアを貧乏旅行しながら日本にもどり、『何でも見てやろう』を書いてベストセラー作家になった彼が、なぜベトナム反戦運動を、それも市民運動という形でというか、形も何もない運動としてやることになったのか。 おかげで十八、九歳だった私自身は、小田や大江健三郎や開高健などの作家や、久野収や日高六郎や鶴見俊輔などの学者とデモもすれば、脱走してきた米兵らを匿い、ストックホルムまで逃がす地下活動までやることになった。とはいえ、面と向かって、あれは小田さん、そもそもどういうつもりだったのですか、と質問したことがない。作家や学者だろうと私のようなガキだろうと、一人ひとりが自分で考え、判断し、動く。まさに自己責任の覚悟。それが、その頃の市民運動の流儀だった。 その数カ月前だったと思う。鶴見俊輔が何かの新聞か雑誌で当時を振り返って、半ば冗談めかしながらではあったが、「私は小田の家来だった」という発言をしたことがある。鶴見は小田より十歳くらい年上だ。彼の真意は、日本で最初の市民運動はそのくらい先輩後輩の区別もなく、自由な運動空間だった、ということにあったのかもしれない。だが、簡潔にまとめられた字面だけを追えば、それは私にも違和感のある発言だった。 文字通りの漆黒の闇に包まれたゴビ砂漠。その闇の重さに押し潰されそうな簡素な宿で、小田がその鶴見の発言を持ちだしたときのことは、いまでも彼の言葉や口調とともに耳に残っている。彼は「おれの家来だったなんて、あの言い方はないだろう。おれは、おれたちは、そんなつもりでやってきたんじゃない。吉岡、おまえ、そんなふうに思ったことはないやろ? おれたちはみんな、平等でやってきたんじゃないか」 小田実が泣いたのは、そのあとだった。大柄で、のっしのっしと世界各地を歩きまわりもすれば、デモもし、仏頂面で黙り込みもすれば、強面の議論もする作家が、薄暗い電灯の下で本気で泣いていた。後にも先にも、彼の泣く姿はそのときしか見たことがない。ああ、この人は本気だったんだ、とそのとき私は思った。痛烈に思った。 まっとうなことを口にするのは難しくない。ひとつやふたつ、やってみせることもできる。だが、まっとうに生きること、生き続けることは誰にでもできることではない。 小田の新しい小説『終らない旅』を読みながら、何度も私はあのゴビ砂漠の夜を思い出した。米軍の空襲を受けて逃げまどった少年時代、ハーバード大学大学院留学当時の甘酸っぱい記憶、ニューヨークの雑踏の陰影、止むに止まれぬ思いで始めたベトナム反戦と脱走米兵支援の活動、それから四半世紀が過ぎて起きた阪神大震災と、二一世紀冒頭の世界を震わせた9・11同時多発テロ。小田はみずから生きてきた軌跡を、日本の市井の小市民と、アメリカのやはり普通の女との愛に重ねるように物語っていく。 ダイアローグ(対話)小説というものがあるかどうかは知らないが、二人が惹かれ合い、離れて暮らしながら年齢を重ね、偶然に、しかもベトナムで再会し、激しく抱き合い、やがて死んでいく物語に込められているのは、対等に語り合い、平等に愛し合うピュアな人間の姿である。それが、小田実を小田実たらしめている核心でもある。 (よしおか・しのぶ ノンフィクション作家) |
seiko | 投稿日時: 2007/8/5 2:38 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
8月4日(土)告別式そして500人で追悼デモ! 毎日新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070804-00000064-mai-soci <小田実さん>葬儀に800人 冥福祈る 朝日新聞ホームページからは、消えました。 タイトルは、『「ウィ・シャル・オーバーカム」 小田実さん追悼デモ』でした。 東京新聞の『平和求めた小田さんしのぶ 東京で告別式と追悼デモ』の記事は 読めなくなりましたが、下記のサイトは読むことが出来ます。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007080502038700.html 反戦遺志継ぎ 喪服デモ行進 小田実さん告別式 (写真撮影・大木茂) 8月4日、東京は太陽がいっぱいの暑い日になりました。 葬儀委員長の鶴見俊輔さん、優しい穏やかな表情で到着されました。 葬儀では、小田さんがこれまで歩まれた時がそれは大きく、 世界中に素晴らしい繋がりを築かれて来られたことを心に 刻むことができました。 私が感じていた小田さんが、語られる皆さんの言葉の中で ひとつ、ひとつ活きてドキ、ドキと鼓動と共に身体の中を流れました。 小田さんに語りかける言葉と献花、穏やかで優しい眼差しが あふれたお別れの時間でした。 デモ行進で一緒に歩く小田さんの遺影を見て 皆さん「いいお顔ですね。」とカメラで小田さんと 向き合って語りかけるようにシャッターを押されていました。 (この写真は、 フォトアルバム に掲載しました。 ご自由におつかいください。) 会葬者800人 デモには、三分の二ぐらいの方が参加されたようです。 私は一番前で小田さんの遺影を持たせていただいていたので 全体がつかめませんでした。 正式に人数も数えていません。 でも、「昔とった杵柄!」600人だねと言う人。 「久しぶりに気持ちの良いデモ行進だった」 参加した皆さんの想いでした。 解散地点の公園の日陰でミニ集会がありました。 私も「明日も晴れ」ニュースのコーナーに掲載した 吉岡忍さんの 「小田実さんを悼む」 を読んでくださいと 伝えました。そして、今日のこの気持ちをこれからの 日常の生活の中で活かして自分で出来ることを していきましょうと話しました。 この葬儀の為に来日されたベルリン工科大学の教授の オイゲンさんや吉川勇一さんがはなされました。 オイゲンさんは、私の友人とこの後に新宿西口地下広場を 訪ねてくださいました。(これから書くニュースに書きます) 懐かしい顔がたくさんその中にありました。 山口文憲さん もそのお一人です。 文化国家・平和憲法への思いが託された名前の由来の話を 思い出しました。 山口文憲さんの 著書 です。 (07-08-05・おおきせいこ) |
seiko | 投稿日時: 2007/8/5 13:58 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
吉川勇一さんの弔辞・旧ベ平連運動のホームページ 旧ベ平連運動のホームページの「ニュース」欄 http://www.jca.apc.org/beheiren/486OdaMakotoSougiDai1pou.htm 486. 小田実さんの葬儀の第一報。(2007/08/05掲載 ) 吉川勇一さんの弔辞は、「最近文献」に掲載されています。 http://www.jca.apc.org/~yyoffice/ 79 小田実さん葬儀での弔辞(全文) |
seiko | 投稿日時: 2007/8/21 21:03 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
小田実さんのことを書かれたブログやページです。 (きっと、こんなお顔をして天国からみているかなぁ?) ★佐藤弘弥さんの記事(JanJan) http://www.news.janjan.jp/government/0708/0707310156/1.php 「平和運動の旗手小田実氏逝く」 ★「保坂展人のどこどこ日記」 http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/ed4689494740a8981d8d41af4c4b2251 「さようなら、小田実さん・追悼デモ」 ★随想 吉祥寺の森から http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/51181544.html 「小田実」 ★天木直人さんのブログから http://www.amakiblog.com/archives/2007/08/02/ 「小田実の言葉」 |
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