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     「吉本隆明さんを悼む」
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seiko
投稿日時: 2012/3/23 0:05
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
「吉本隆明さんを悼む」

(左手前から吉本隆明さん・吉本さんのお連れ合い・中上健次さんそして後ろ中央に三上治さん)

吉本隆明さんを悼む    三上 治
                              
 いつかはこんな日があるのだろうとは覚悟はしていた。また、何度も想像したこともある。吉本さん<さようなら>と声にならない声で呟いてみても、声は深く沈んでいくだけである。道を歩いていても吉本さんのことが自然に浮かんできてかれこれ考えてしまっている。ありし日の吉本さんの表情や声も自然に浮かんできて言葉にならぬ言葉で語りかけている。これからもこんな状態が続くのだろう。吉本さんから受けた恩恵や影響を今の僕には判断できない。僕が考えられることよりもはるかに大きいことは疑いないが、今は感謝の気持ちと失ったものの大きさに呆然としている。

 僕が友人と吉本さんをはじめて訪ねたのは1960年の9月か10月のことだった。正確な日は定かではないが、まだ、安保闘争の余燼の残る日だった。あれからもう50年の歳月が過ぎるが僕は何度吉本さんを訪ねたことだろう。ある時は何人かの友人と。ある時は一人で。ある時は恋人と。また、昂る気分を抱えて、また、暗い気分にうちひしがれながら。けれども、いつも。吉本さんは優しく接してくれた。吉本さんはこちらの気持ちを察して対応してくれた。奥さんと一緒に玄関まで見送られると僕は自然に元気になっていた。そんな一齣々々が思い出される度に、自然にこみ上げてくるものを押しとどめられないでいる。
 僕は高校生のころから太宰治が好きだった。そして吉本さんと太宰は僕の中ではいつも重なっていた。だから、吉本さんも太宰が好きだと聞いた時は嬉しかった。確か、1960年代の初めの方のことだったと思うが吉本さんは太宰から聞いたとされる「男の本質は優しさ(マザーシップ)だ」と言う言葉を紹介していた。これは吉本さんそのものだと思った。誰も吉本さんに接したときの印象でもあったと思う。1980年代の半ばも過ぎたころに、中上健次と一緒に吉本さんのうちに出掛け三人で24時間集会をやろうという話を持って行った。僕も似た事を考えていたのだが、発案は中上健次だった。これは「今、吉本隆明25時」として寺田倉庫で開かれた。この集会で吉本さんは『大阪しぐれ』の一番を歌った。中上健次が二番を、都はるみが三番を歌った。中上健次が休業中の都はるみを歌手として復帰させることを目論んでの「日本歌謡コーナー」でのことだった。吉本さんは初めから教えておいてくれたら、練習でもしてきたのにと照れくさそうに小声で言った。これはもうむかしのことだが昨日のことのように思う。僕は今日もまた明日も明後日も吉本さんのことを思い出すだろう。
とても<さようなら>なんて言えない。これが今の僕の精一杯の言葉である。


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★「ほぼ日刊イトイ新聞―吉本隆明」
http://www.1101.com/yoshimototakaaki/
ここの「※糸井重里が3月16日の午後、書いたこと。」を訪ねてください。

★finalventさんの「極東ブログ 」
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/03/post-1cb1.html

12-03-21(おおき せいこ)
★吉本隆明さんには、お会いしたことがありませんが、何故かお名前はずっとむかしから
記憶に刻まれて素敵な方!と思っていました。
亡くなった五つ違いの兄がたくさんの吉本隆明さんの本を読んでいました。
掲載させて頂いた写真もそしてお亡くなりになられてからいろいろな機会に
拝見する写真も邪念の無い素敵な表情をされています。
三上治さんにお話を伺い、吉本隆明さんのその優しいお人柄に「会いたかったなぁ〜」と想いました。
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