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     7月20日は「五十日・・・ごとうび」
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投稿者 スレッド
ゲスト
投稿日時: 2011/7/22 8:51
Re: 入院して投与できない理由。
そのような医療姿勢で間違いが起こらなければいいですが・・・。

今日、久しぶりにこれから長野へ行きます。明日白樺湖の高原で甥の結婚式があるので。ぎっくり腰も何とか大丈夫。

長野といえば、晴子さん、あれ、待っていてくださいね。忙しいスケジュールですがなんとかガンバリます
seiko
投稿日時: 2011/7/21 23:32
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
入院して投与できない理由。


marilynさん、何時もありがとう。
21日の午後11時になります。
ジローは、穏やかな息をしながら寝ています。
時々、夢をみているような仕草で身体をぴくぴくさせたり。
呼びかけても反応はないのですが・・・・。
今夜も添い寝しながら過ごします。

抗がん剤の投与は、入院しながら受けたいと希望を出していましたが
入院に関して決められた枠みたいなものがあって病院としては、
私が投与している高額な薬を使うと利益が上がらないようです。
その為、外来で受けるかたちをとっているようです。
ほんとうに多いですよ。
通院治療センターというカーテンで仕切られた小さな部屋で投与を受けるのですが、
次から次と患者さんが点滴をされています。
私みたいに、ゆっくり入れてほしいなんて言っていられない状態です。
始まる前に飲む薬に眠くなるものが入っていてツイッターのつぶやきも出来なくなっちゃう!!
でも、今の私には休養タイムです。

ジローを見ていると命って凄いと思います。
ジローには、周りのいろいろなこと伝わっているような気がします。
何時も耳を立て、鼻を動かし、手のひらを握ると握り返します。
先代次郎の最後のときを思い出しながらジローと過ごしています。
「ジローの母さんになれて幸せ。ありがとう!」と言っています。
今日は、近所のUさんが農家の方から枝豆を買ってきてくれました。
ほんとうは、明日の約束でしたが今日買いに行ってくれました。
ジローにもゆっくり会ってくれました。
彼女は、先代次郎が亡くなるときに一緒にいてくれた友人の一人です。
「ジロー、良かったね。」
11-07-21(おおき せいこ)
ゲスト
投稿日時: 2011/7/21 9:55
Re: 7月20日は「五十日・・・ごとうび」
晴子さん、3回目の投与、大変でしたね。それにしても抗がん剤は高額なのですね・・。どのくらいかでも戻ってこないのでしょうか?(なぜ前回よりいつも値上がりするのですか??)

小泉さんが改革した医療制度は本当に患者さんにも医療者側にも首を締め付けています。手術をしても一定の日数が経てば、まだ回復していない高齢者でも、病院を追い出されます。病院の収入にならず赤字が増えてしまう仕組みだから。どうしてこんな改革をみな受け入れているのでしょう・・・?「改革」ってほんとは響きがいいはずなのに。  

病気との闘いは不安で気が滅入ります・・どうか、がんばってくださいね。・・・としか言えなくてごめんなさい。

そして今日はいいお話を読ませていただきました。30年前から「晴子さんらしい」“五十日”のお話でした。すごい魂!と感銘しきり。
三人の写真もいつも愛おしく感動しながら見ています。ジローくんをみんな心配して見守っている様子がいつも伝わってきます。ジローくん、まだまだがんばってほしい。ジローくんも晴子さんを心配しているんですよね。ろくもゆきちゃんもみんな同じ気持ちで。




seiko
投稿日時: 2011/7/20 22:48
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
7月20日は「五十日・・・ごとうび」

(2011年7月20日の子どもたち)

7月20日は、「五十日・・・ごとうび」
五十日は・・・・
5日、10日、15日、20日、25日、そして月末日を指す言葉。
給与などがほとんどの企業で五十日に設定されていたりする。
そのため金融機関の窓口が混みあったり企業のなどの車により道路が渋滞したりする。
そんなとき「今日は、五十日だね。」なんて言ったりしている。

7月20日の五十日には、いろいろな思い出がある。
33歳で亡くなった姪の命日、先代次郎の誕生日、そして私が仮免許のテストを受けた日、
その記憶は今でも情景を再現できるほど鮮明に私の中に残っている。
もう、30年近く経ったいまでも・・・・。

あの日は、天気が良くて暑い日でした。
二子玉川近くにあった自動車の教習所から教官の運転で受験者が同乗して試験コースへ向かいました。

目的地に着くと私の前の番号の方が運転席に、教官が横に座り次に受ける私が一人で後ろに乗りテストは始まりました。
ミスをすると車が止められて試験が終わると人づてに聞いていた。
暫く走って教官の大声で車は停止した「ここは、何キロだ!」と言う声に運転者も私も心臓が飛び出るようなドキドキを体感した。
教官の運転でスタート地点に戻り私が運転席に着いた。
後ろには、若い細い男性が乗った。
車は、いろいろな道を通り順調に走った。
ところが、30キロ制限の細い道に入った。
私の車の後ろには、大型のダンプカーがぴったりついて走っていた。
私は「そうか、今日は五十日だ!みんな忙しいんだなぁ〜。悪いなぁ〜とろとろ走って!!」と思いながら運転をしていた。
バックミラーを見るとダンプのお兄ちゃんが困ったと言う顔をしていた。
私は直ぐに安全な位置で追い越させた方が良いと判断してしまった。
暫くして左へウインカーを出してダンプを追い越させた。
このとき「何で!!こんな所でウインカーを出すのか!!!」とさっきより大きな声が車の中で響いた。
「終わりだなぁ〜」と思った私は、車を止めて教官に言った。
「今日は、五十日で、後ろのダンプの運転手さんがとても困った顔をされていたので、安全を確認して追い越してもらいました。」
このとき、後ろの席からカタカタと音がしていた。
見ると後ろの青年が震えて歯をカタカタ鳴らしていた。
「ゴメン!」と心の中で謝った。
すると、「運転を続けなさい。」と教官が言った。

全員のテストが終わり教習所へ戻り結果を待った。
結果は、私一人が合格だった。
教官に「落ちたと思っていました。」と言うと・・・
「五十日まで考えられて運転出来れば大丈夫だろう。」と笑顔で応えてくれた。
忘れられない五十日の想い出。


(2011年7月20日の老犬ジローと柴犬ゆき)
11-07-20(おおき せいこ)
★このページを書いたのは、リツキサンの投与をしているときに思い出したからです。
外来で受ける投与は、だんだんはやく入れるようになってきました。
だんだんその理由がわかり、代金が今度は9万円で少しのお釣りの理由もわかりました。
前回よりまた上がりました。
やっぱり、医療制度は患者の為にも一生懸命頑張る医療機関の為にも無理があるような気がしてきた。
このままの医療体制だとお金のない人は必要な診察が受けられない!
福島の子どもたちそして、いろいろな食べ物よる内部被爆によって起こるであろう病の検査や治療を
考えるときに、その問題を速やかに考えてほしいなぁ〜と思いました。
「福島にまだいなければならない子どもたち!!何時、何処にいたかを詳しく毎日日記に書くことをしてね。」
きっと、何か身体に異変が起きたときに役にたつと思うから・・・。
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