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     2013年8月17日(土)朝日新聞 夕刊の記事。★西口の10年目が・・・・。
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投稿者 スレッド
seiko
投稿日時: 2013/8/18 2:17
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
2013年8月17日(土)朝日新聞 夕刊の記事。★西口の10年目が・・・・。


「無言の訴え、新宿で10年 毎週土曜に反戦のカード抱え」

 人が波のように行き交う東京・新宿駅の西口地下広場。毎週土曜の夕方、「反戦」のプラカードを持ってじっと立つ人がいる――。2003年8月、記者は夕刊社会面に記事を書いた。10年後の土曜、同じ場所にその人たちはいた。
 東京の最高気温が37度を超えた10日。「戦争のできる国になってしまう!」と書かれたカードを抱え、前と同じように帽子をかぶった大木晴子さん(64)が現れた。元は幼稚園の先生。ここにたたずむこと、もう500回ほどになる。
 イラク戦争が迫っていた03年2月、この場所での意思表示を呼びかけた。どんなメッセージか、来るか来ないかは自由。それでも絶えたことがなく、最も少なかった台風の日に2人、多い週は20人以上が立つ。
 午後5時から地上で、6時から1時間は地下で。地下には演説やビラ配りを禁じる表示がある。だから無言で立つ。
 10日も最後は15人ほどになった。
 一番若いのは、「オスプレイいらない」と書いた幕を持つ那覇市の白井麻衣子さん(32)。本土の人に伝えなければと考え、上京の機会に、伝え聞いた新宿西口に初めて来た。
 千葉県佐倉市の鈴木香織さん(56)も、米軍ヘリ墜落を伝える沖縄の新聞を広げていた。3年前に失業し、それまでの通勤路に立つようになった。
 「いくつか市民運動を経験したが、組織に入るとみな同じ意見ばかり。こうやって、通り過ぎる無関心な人たちに訴えかけるのが、原点だと思えた」
 「原発再稼働反対」を掲げていた東京都八王子市の木村雅英さん(65)は、大木さんとともに10年前から立っている。木村さんにあえて「意味はあるんですか」と尋ねてみた。
 「1分間に10人は目をちらりと向け、2、3人はうなずいてゆく。3・11のあと特に増えました」。反対の人、同意する人、時々は話しかけてくる人もいる。10年前、「正義の味方ごっこなんかするな」と言っていた長男が、最近は「オヤジは間違ってないかもな」と言うという。
 イラクへの自衛隊の派遣は08年に終わった。民主党政権になり、通行人の関心は沖縄の基地問題に集まった。2年前から、反原発のプラカードも加わった。この夏は「憲法を変えるな」が目立つ。
 大木さんはこの場所にこだわりがある。20歳だった1969年、ベトナム反戦を訴える若者たちが毎週土曜、大勢集まって歌い、通行人と議論した。やがて警察が排除に乗り出し、騒ぎはわずか半年で終わった。
 「言いたいことがあれば一人でもやってきて、誰かとつながれる。『広場』の大切さを伝え続けたい」と大木さんは話した。
 きょう17日夕も、広場には誰かが立つ。【石橋英昭】

13-08-18(おおき せいこ)

旧ベ平連サイト に石橋英昭記者が最初に書いてくださった西口の記事が掲載されています。
あれから、10年が経ちます。石橋さんは、5年目の節目の時、大阪の支局におられましたが、
後輩の方に声をかけてくださり記事 が掲載されました。
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