~10時10分
|
ドキュメンタリー映画「旅する映写機」上映時間105分 11月30日(土)〜12月20日(金) 東京「ポレポレ東中野」 http://www.mmjp.or.jp/pole2/ タイムテーブル 10:10(一日、一回)
「旅する映写機」公式HP http://www.eishaki.com/index.do?cmd=display HPから予告編を観るとぜったいに観に行こうと思う。
「旅する映写機」facebook https://www.facebook.com/eishaki
森田恵子監督のブログ「春の海 ひねもすのたり のたりかな」 http://harunoumi.blog.so-net.ne.jp/2013-09-27
★西口で一緒にスタンディングをしている雲さんが試写でご覧になりました。 「素敵な映画だった!」と感想をいただきましたので掲載いたします。
「旅する映写機」はカタカタと気持ちよく心を揺すりました。
時代の進展によって失われて行くものの多くは、遠からず人々の記憶からも 消え去って行きます。しかし、その幾つかは強く残り続けます。たとえばこの 映画の追い続ける映写機。映画館の客席の一番後ろの闇の中に、四角く輝く映 写の窓。その奥から微かに響き出るカタカタという音は、その時代を生きた者 の心に強く残っています。 有用性を失った後も、人々の心を掴んで離さないもの。それは、ひとつの場 所で多くの人たちが感動を共有する体験だったことに原因するのではないでし ょうか。たとえば汽笛を高鳴らせて走る機関車もそうです。機関車は沿線の人々 がその汽笛の音聞き、力強く走る姿を眺めて励まされる生活の中で、映画は村 や町の中心にある映画館で、ともに感動を共有していたのです。地方では、村 芝居の小屋が映画館と共用されていました。まさにコミュニティーの中心に存 在していたのです。 この映画が辿る、今もなお映写機が生き残る場所には、映写機での映画を守 ろうとする人々が、コミュニティーを作り出しています。そしてそれは、単に 映画を観るためのものでなく、より人間的に生きるためのコミュニティーであ るように感じました。どの村や町にも映画館(小屋)があった時代は、そこに 暖かな共同体があったのではないでしょうか。 ここまで私が書いたことを、この映画は一言もナレーションで語ったりはしません。映写機を訪ねる旅の中で、インターネット社会が失い続けている大切 なものに、じわじわと気づかせ、自然体で映写機の映画を楽しむ人たちの姿が 元気を分けてくれる映画です。 高知の大心劇場の館主の言葉が心に残りました。「田舎だから出来ないとか、 田舎だから出来るとかっていうのは嫌なんだよ」。時代のせいにして、失ったも のの大きさを忘れようとしている自分に気づき、はっとさせられました。 ハンセン病の施設で、外部からの数少ない窓口の一つとして、映写機が存在 していた歴史を知ることが出来たことも、この映画からの大きな収穫でした。 直ぐにもう一度見たくなる映画です。そういえば昔の映画館は入れ替えなし でしたね。 ≪雲≫
|