1969年5月8日新宿駅西口地下広場
 


 私は赤いビニールケースに入ったギターを抱え新宿駅の西口地下広場に通じる階段を降りていた。
一九六九年五月八日土曜日。西口地下広場は、いつもと違っていた。
前の週に広場を通路に変えてしまった国家権力は暴力で若者達を追い散らした。
その事は、テレビや新聞で報道された。
「何があるんだ」「警察のやった事はおかしい」と、様々な思いの人々がこの日広場に集まった。
 私は、たくさん人がくるだろうと予測はしていたが、あまりの多さに体が震えた。
 ギターを抱えた数人の仲間と改札口を出ると、人々の動きは私達と同じ方向に流れ始めた。
交番に近い角柱を背に私達は、ギターを弾き反戦フォークソングを歌い始めた。
すると、みんなは池に石を落とした時に出来る波紋のように座り始めた。広場は人でうまった。
歌声は、だんだん大きくなっていった。輪のまわりでは、話し合いをする人のかたまりが幾つもできていた。
通路は広場にもどり、人々は生き生きと語り始めた。
 そして、数ヶ月後「立ち止まらないでください」のアナンスの声と共に広場から歌声は消えてしまった。
あれから三十四年、私は昨年ベトナムを訪ねる旅で知り合った友人の一人と
新宿西口地下広場で反戦の意思表示をする事を決め、毎週土曜日に立ち始めました。
このページを訪ねて下さった皆さんに!
この「明日も晴れー大木晴子のページ」は、市民運動や新宿西口地下広場の事だけでなく
我家の柴犬ジローと歩む中から、生活の場から思いを語る事ができればと願っています。
地下広場で反戦・平和の意思表示をするのと同じく
戦争のことなど生活の場でふれることがなかった人たちにも見ていただき
いま「自分にできること」を考える一歩にしていただければ嬉しいです。
(おおきせいこ)03-10-22


私は「戦場のフォトグラファー・ジェームズ・ナクトウェイ」の映画の中、ナクトウェイが、「もしみんなが、
リン化剤の粉が子供の顔にどんな影響を与えるか、たったひとつの銃弾が当たることでどれだけの説明しがたい
痛みを生むか、ギザギザな榴散弾の破片ひとつがどうやって人の脚を吹き飛ばすのかを、一度でいいから自分の
目で見ることができたなら、と思うことがある。もし誰もが、自分の目で、恐怖と悲嘆をただの一度でいいから
見ることができたらなら、何千人どころか、たったひとりの人間でさえ、戦場に立たせる理由などないと理解
できるだろう。」と言った言葉が忘れられない。
いま、私たちは神経を研ぎ澄まして想像しなければいけないのではないでしょうか。
それが出来ればきっと一歩を歩き出せる 平和に続く一歩を・・・
私はそう信じています。(おおきせいこ)


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