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     哀悼「小田 実さん」・・・「1989年1月1日朝まで生 テレビ」映像も!8月4日告別式★07-08-21更新
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投稿者 スレッド
seiko
投稿日時: 2007/7/31 16:03
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
新潮社・波 2006年1月号より・・・。

(2002年 ・ベトナムで楽しそうに写真を撮っている小田さんと吉岡さん)

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/423205.html
新潮社・波 2006年1月号より

小田の目に涙

小田 実『終らない旅』 吉岡 忍


 私は小田実が泣くのを見たことがある。男泣きの号泣ではなく、涙ぐむという程度でもなく、彼は泣いた。ベトナム戦争が終わって数年後のことだ。ウランバートルで開催された文学者の国際会議に出たあと、二人で小型機に乗り、ゴビ砂漠のなかにある村まで足を伸ばしたときのことだった。
 小田はそんなときも原稿用紙を広げ、当時愛用していたサインペンの太い文字で小説を書き続けていた。見渡すかぎりの砂漠と、夜になれば落ちてきそうな星の群れを見るほかにやることがない。夜寝る前、退屈した私は、彼が仕事に疲れた頃を見計らって部屋を訪ね、軽く一杯やることにしていた。
 あるとき話は、ベトナム戦争とベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)のことになった。アメリカに留学し、ヨーロッパやアジアを貧乏旅行しながら日本にもどり、『何でも見てやろう』を書いてベストセラー作家になった彼が、なぜベトナム反戦運動を、それも市民運動という形でというか、形も何もない運動としてやることになったのか。
 おかげで十八、九歳だった私自身は、小田や大江健三郎や開高健などの作家や、久野収や日高六郎や鶴見俊輔などの学者とデモもすれば、脱走してきた米兵らを匿い、ストックホルムまで逃がす地下活動までやることになった。とはいえ、面と向かって、あれは小田さん、そもそもどういうつもりだったのですか、と質問したことがない。作家や学者だろうと私のようなガキだろうと、一人ひとりが自分で考え、判断し、動く。まさに自己責任の覚悟。それが、その頃の市民運動の流儀だった。
 その数カ月前だったと思う。鶴見俊輔が何かの新聞か雑誌で当時を振り返って、半ば冗談めかしながらではあったが、「私は小田の家来だった」という発言をしたことがある。鶴見は小田より十歳くらい年上だ。彼の真意は、日本で最初の市民運動はそのくらい先輩後輩の区別もなく、自由な運動空間だった、ということにあったのかもしれない。だが、簡潔にまとめられた字面だけを追えば、それは私にも違和感のある発言だった。
 文字通りの漆黒の闇に包まれたゴビ砂漠。その闇の重さに押し潰されそうな簡素な宿で、小田がその鶴見の発言を持ちだしたときのことは、いまでも彼の言葉や口調とともに耳に残っている。彼は「おれの家来だったなんて、あの言い方はないだろう。おれは、おれたちは、そんなつもりでやってきたんじゃない。吉岡、おまえ、そんなふうに思ったことはないやろ? おれたちはみんな、平等でやってきたんじゃないか」
 小田実が泣いたのは、そのあとだった。大柄で、のっしのっしと世界各地を歩きまわりもすれば、デモもし、仏頂面で黙り込みもすれば、強面の議論もする作家が、薄暗い電灯の下で本気で泣いていた。後にも先にも、彼の泣く姿はそのときしか見たことがない。ああ、この人は本気だったんだ、とそのとき私は思った。痛烈に思った。
 まっとうなことを口にするのは難しくない。ひとつやふたつ、やってみせることもできる。だが、まっとうに生きること、生き続けることは誰にでもできることではない。
 小田の新しい小説『終らない旅』を読みながら、何度も私はあのゴビ砂漠の夜を思い出した。米軍の空襲を受けて逃げまどった少年時代、ハーバード大学大学院留学当時の甘酸っぱい記憶、ニューヨークの雑踏の陰影、止むに止まれぬ思いで始めたベトナム反戦と脱走米兵支援の活動、それから四半世紀が過ぎて起きた阪神大震災と、二一世紀冒頭の世界を震わせた9・11同時多発テロ。小田はみずから生きてきた軌跡を、日本の市井の小市民と、アメリカのやはり普通の女との愛に重ねるように物語っていく。
 ダイアローグ(対話)小説というものがあるかどうかは知らないが、二人が惹かれ合い、離れて暮らしながら年齢を重ね、偶然に、しかもベトナムで再会し、激しく抱き合い、やがて死んでいく物語に込められているのは、対等に語り合い、平等に愛し合うピュアな人間の姿である。それが、小田実を小田実たらしめている核心でもある。

(よしおか・しのぶ ノンフィクション作家)
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題名 投稿者 日時
   哀悼「小田 実さん」・・・「1989年1月1日朝まで生 テレビ」映像も!8月4日告別式★07-08-21更新 seiko 2007/7/30 10:14
     告別式のご案内です。 seiko 2007/7/30 19:59
       雲さんの中の小田実さん! seiko 2007/7/31 0:22
         時事通信ホームページ<おくやみ>に掲載された談話。 seiko 2007/7/31 15:21
           <掲載記事> seiko 2007/7/31 15:40
           » 新潮社・波 2006年1月号より・・・。 seiko 2007/7/31 16:03
               8月4日(土)告別式そして500人で追悼デモ! seiko 2007/8/5 2:38
                 吉川勇一さんの弔辞・旧ベ平連運動のホームページ seiko 2007/8/5 13:58
                   小田実さんのことを書かれたブログやページです。 seiko 2007/8/21 21:03

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