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     鎌田慧さんからのメッセージ。「ブログの読者の皆さんへ。」★都知事選、脱原発派は敗れたのか 鎌田慧氏が寄稿 朝日新聞デジタル記事。
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seiko
投稿日時: 2014/1/15 21:36
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
鎌田慧さんからのメッセージ。「ブログの読者の皆さんへ。」★都知事選、脱原発派は敗れたのか 鎌田慧氏が寄稿 朝日新聞デジタル記事。

(経産省前テントひろばで話される鎌田慧さん)

ご心配おかけしています。
ご心配の方々へおおくりくだされば、ありがたいです。
私は元気です。
いま、都知事選の一本化でがんばっています。
なんとしてでも、
脱原発で勝ちましょう。

ブログの読者の皆さんへ。

 これまで、ご愛読頂きましてありがとうござました。
 友人たちの支援をうけまして、「鎌田慧のブログ」を昨年半ばからひらいて参りました。
 ところが、わたしの担当の「ギリギリ日誌」をなかなか書くことができず、
 東京新聞に連載中の「本音のコラム」や雑誌に発表したエッセイや書評を掲載、
 さらには、ブログ編集者のfさんが、苦し紛れにそのときどきに、かつてわたしが書いたものから、
 その状況に合うものを拾いだして維持してきたのが実情でした。

 それでも、友人の橋本勝さんの意表を衝く批評的なマンガや岩手在住の増子義久さんの被災地報告など、
 評判のたかい寄稿があり、fさんのご努力もあって、着実に読者をふやしてまいりました。

 しかし、もともと、原稿の遅い私が、運動中心の生活に入ってしまったものですから、
 新たなブログをコンスタントに供給できず、マンネリ化がすすんできました。
 それで、この際ここでいったん休載といたしたいと決断しました。
 勝手ですが、何卒、ご了解下さい。

 これまでのご愛読をとてもうれしく思います。ありがとうございました。
 なお、東京新聞のコラムは、毎週火曜日、「こちら特報部」の欄で、鋭意連載中ですので、
 引き続きお読みいただければありがたいです。
 それでは御元気で。またお会いしましょう。
    2014年1月15日



http://nomorewar77.blog.fc2.com
鎌田慧ブログ〜その仲間たちが作る

14-01-15(おおき せいこ)
★昨年暮れから更新が無いブログを毎日訪ねて心配しているのは私だけでは無いと思い一昨日に鎌田さんへ電話をいたしました。
何かメッセージ書かれた方がと言うことでメイルが届きました。
掲載いたします。
ブログのお休みは寂しいですが、電話の向こうの鎌田さんは
脱原発でみんなで頑張りたい。何としても原発を軸に一つになってこれからの
先を見据えて頑張っておられる様子が伝わってきました。
沖縄の名護市長選、東京都知事選、頑張りましょう。
seiko
投稿日時: 2014/2/13 1:01
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
都知事選、脱原発派は敗れたのか 鎌田慧氏が寄稿 朝日新聞デジタル記事。

(写真は、経産省前テントひろばでの鎌田慧さん。撮影:大木晴子)

ここから朝日新聞デジタル記事です。

東京都知事選挙で脱原発を掲げる候補の一本化を呼びかけたルポライターの鎌田慧さんに選挙結果をどう受け止めたか、寄稿してもらった。
     ◇
 東京都知事選は結局、自民と公明の与党が支援した舛添要一氏が逃げ切ったかたちで当選を果たした。「原発ゼロ」を最大公約に掲げ、自民党の原発推進政権に歯止めをかけようとした細川護熙氏は敗れた。細川氏は起ち上がりの遅さを最後まで挽回(ばんかい)できなかった。
 街頭演説では、「原発ゼロで日本を再生しよう」と訴え続けた小泉純一郎氏と細川氏との元首相コンビが、圧倒的な人気をみせていた。どこでも千人を超す人垣ができた。
 それが票となって表れるなら、細川氏が舛添氏に圧勝していたはずだ。が、東京の地下深くに延びている、保守的な岩盤、自公の組織票を崩すことができなかった。
 今回の都知事選は、自公が舛添氏を支援し、共産、社民が宇都宮健児氏を推薦、細川氏は民主などが支援という三派鼎立(ていりつ)の構図だったが、民主を支えている連合東京は舛添氏を支援した。東電労組や電機メーカーなど原発関連産業の労組は、原発とその再稼働に賛成だから、労使一体となって、脱原発の「細川不支持」だった。
 都知事選は、米軍基地建設反対を掲げて当選した沖縄の名護市長選挙、同じ日にやはり自民の国会議員に支援された候補が敗北した福島県南相馬市長選挙に続いて、安倍政権のきわめて右派的な重要政策(原発推進、秘密保護法実施、集団的自衛権容認)にストップをかける、重要な選挙だった。
 細川氏と小泉氏は原発ゼロの経済効果を説くばかりではなく、政治の流れを変える、とも語った。保守派からの「安倍右傾化」批判でもあった。自民党から除名された舛添氏を、安倍首相が担いで選挙を戦ったのは、ほかに勝てそうな候補がいなかったからだ。
 舛添氏の公約は「東京世界一」「史上最高のオリンピック」というものだった。日本の将来よりも当面の利益を保証する、という公約が、原発依存と建設ブームに期待する大企業や、不況と失業に打ちひしがれている中小業者や若者たちの期待感を引きつけたのは事実だった。
 選挙戦がはじまったとき、細川選挙事務所にいってみると、運動員はいない、ビラはない。街宣車のマイクが小さい。指揮系統がはっきりしない。集まってきたボランティアは、仕事がなく、すごすご帰るありさまだった。「地上戦なしの空中戦」が、選挙責任者の方針だった、という。
 態勢を組み直されたのは、当初の運動責任者が一掃されてからである。そのときは、もうすでに一週間がすぎていた。つまり、「舛添が勝った」というより、細川選対の準備不足の敗北だった。
 せっかく、二人の元首相が、「原発を認めたのは無知だった。間違いだった」と公衆の面前で重大な告白をしても、宇都宮氏を推す共産、社民の陣営はかつての小泉政治を批判して聞く耳をもたず、共倒れとなった。日本の政治の未成熟さだった。
 原発が再稼働に向かおうとする前夜に、原発の危険性を叫び続けた細川氏の功績は大きい。経済もオリンピックも、もう一度原発の事故が起きればゼロである。
「原発ゼロでオリンピックを迎えよう」は、いまも有効な警世の叫びである。
     ◇
 かまたさとし 1938年青森県生まれ。ルポライター。早稲田大学を卒業後、業界紙、雑誌記者をへてフリーランスに。労働問題、公害など社会問題に取り組み、1970年代初めからは原子力発電の危険性を鋭く指摘してきた。著書に『自動車絶望工場』『日本の原発危険地帯』『六ケ所村の記録』など。

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