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     私の相棒!ホンダのN1・・・福島・東北の旅!
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投稿者 スレッド
seiko
投稿日時: 2013/9/22 21:49
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
私の相棒!ホンダのN1・・・福島・東北の旅!


私の相棒です。
昨年の終わり頃からまた車に乗り始めました。
10年振りの運転でしたが、「好きなんだなぁ〜」と思えました。
赤い車は、元気が出るわよ!と何人もの友人から聞かされていました。
犬の顔のようなN1に出会えて元気を貰っています。
2011年、東北の震災そして福島の原発事故と哀しく重苦しさに打ちのめされたその時期、
私は病気になり何も手伝うことが出来ない日々を過ごしていました。
原発の惨事後は、子どもたちや若者たちの健康を心配しました。
血液内科で検査等受けながら気持ちは何時も福島にありました。
7月のリツキサン投与の頃は、元気になったら連れ合いの写真集を持って訪ねたい!東北の街を・・・・と考えていました。
きっと、懐かしい蒸気機関車に出会えたらいろいろな思い出を再度記憶に刻んで頂くことが出来るのではと思いました。



22日、朝6時半に家を出て高速を走り福島に入りました。
常磐自動車道は、広野で終わり!
もう何年かかっているの!
気合いが入っていませんね。
お金はどんな使われ方をしてるのでしょうか。
東北自動車道も同じようです。
私も遠回り、遠回りで南相馬へ来ました。
真剣に生活に密な道路の復旧をお願いしたいです。



宿の近くの幼稚園の線量計です。



南相馬にある「カリタス原町ベース」を訪ねました。
http://jlmm.net/ctvc/
facebookの繋がりもあり、ページで地域のお年寄り方々と「茶和会」をされていることを知りました。
一冊!「汽罐車」をお届けしました。
外でと考えていましたが、美味しい夕食をボランティアの皆さんとご一緒させて頂きました。
長い一日でしたが、元気になった気がします。
明日は、一番上の兄とその素敵な家族に会いに行きます。
道は、高速が途切れ途切れのようで、6号線で行こうと思います。
(2013・9・22 南相馬から!おおきせいこ)
seiko
投稿日時: 2013/9/23 5:01
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
Re: 私の相棒!ホンダのN1・・・福島・東北の旅!★CTVC「カリタス原町ベース」!


CTVCは、カトリック東京ボランティアセンターの略です。
CTVCカリタス原町ベース長の畠中 ちあきさんに、今回お世話になりました。

宿に着いて、地図を調べて歩ける距離と確認して街に出ました。
「カリタス原町ベース」に電話を入れるとどなたも出られなくて
今日は終わられたのかと半分諦めかけていました。
でも、カトリックの教会と伺っていたので街の教会を宿で聞き、
近くに教会幼稚園があることがわかりました。
牧師さんに伺えばきっと分かるだろうし、写真集も届けて頂けると思いました。
宿から5〜6分の所にある教会と付属の幼稚園入り口には、
ソーラーパネルを使った「線量計」が設置されていました。
高い!ですね。

牧師館を訪ねましたが、お留守でした。
困った!!!
もう一度、「カリタス原町ベース」に電話を!
ほっ!ちあきさんが出てくださいました。
道を教えていただき、街の空気を感じながらゆっくり歩きました。
前日に転んで打ったところが痛み出しています。
年齢が高いから仕方がありませんね!
いろいろなところが支えあって大事に至らなかったことがわかり、指一本一本に感謝しています。
こうして、旅に出られたのですから。

「カリタス原町ベース」は、宿泊も出来るようになっていて全国からたくさん方がここを訪れています。
「今日は少ないのよ!」
と言われましたが、15人近くの方々が復興の為に汗を流されておられました。

食事の前に、二階の部屋で一日を振り返り報告する時間にも参加させて頂きました。
「希望の牧場」へお手伝いに行かれた女性の話。この日は連休もあってたくさんの人たちが来ていたそうです。
とりわけ5人の男子大学生が牛の角切りなど奮闘した話もありました。
除染作業を手伝った若者、秋田から来られたと言う男性の話。
みんな、写真をみたり、ブログ等で読んでいた内容なので心に響きました。

継続することは大変なこと。
ずっと、続けてこられた皆さんに感謝しました。
忘れないこと、諦めないこと、そして今の自分に何が出来るだろうと考えること。

今度の旅は、オリンピックが東京に決まったときに決心しました。
定期的に福島を訪ねようと。
日帰りでもいい!
私の見た福島の現状をつぶやきたいと思った。
「汚染ピック」はダメだから!
安倍さんの公言した「お言葉」を果たして頂く為にも!
福島の文字が飛び交う現状を作り出せたらと思うのです。

街を歩くと寂しい。
家に明かりがともるけど、寂しい。
窓から生活の音が聞こえて来るけど何故!
店を閉めたことがわかる家々。
重苦しいものにつぶされそうになる。
生活の匂いが、子どもを見たのは宿の女の子だけ。
ほっとする気持ちとやりきれない寂しさ。
(2013・9・23 おおきせいこ)
★日付が変わる前に寝たのは久しぶり、夜中に目が覚めてしまいました。
seiko
投稿日時: 2013/9/23 17:52
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
Re: 私の相棒!ホンダのN1・・・福島・東北の旅!★仙台で記憶に残すこと。

(江古田の家の前に畑を借りていました。仙台で学んでいる兄が戻った時に一枚!良夫兄さんも一緒です。)

南相馬から二時間半!仙台の宿泊先近くで500キロ!
よく走りました。
いまは、兄の家です。
一日、のんびり話をしています。
私の知らなかった昔の話し。
兄家族が先日行った気仙沼、志津川を訪ねた話し。

明日の陸前高田行きは、兄が一緒に行ってくれることになりました。
帰りは、志津川を訪ねて知人に線香を手向けてきます。
(2013・9・23  おおきせいこ)
seiko
投稿日時: 2013/9/25 6:19
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
Re: 私の相棒!ホンダのN1・・・福島・東北の旅!★兄と陸前高田へ。



陸前高田へ着くと何も無くなった広い土地を見ながら想いにふけっている兄を見て
昨夜聞いた教え子の子どもさんが二人亡くなられたところだから気持ちが伝わってきました。




今は、レプリカになった一本松を訪ねました。
松の所までは、少し歩くので足が弱ってきた兄は駐車場で待ってもらい1人で行ってきました。
松は、側にあったユースホステルの建物に守られたようです。
くねっと曲がった建物と添うように立っていました。



樹の先端には、避雷針がついていました。
何も無くなった平らなところです。
必要だなぁ〜と思いました。





次に志津川へ。
ここでも兄は、東北大生だったころ家庭教師をしていました。
ここ志津川で病院をされていた方の息子さんをみていました。
私も小さいころに遊んだことがあるその方のお子さんも津波に。
何とも切ない訪問でした。



たくさんの子どもたちが亡くなった大川小学校です。
現場に来て思いました。
何故、裏に直ぐに登れる山があるのに!
水に近い橋の方へ。
ここは、しっかりと残した方がいい。
苦しくても、どんなに辛くても逃げてはダメだ!
過去の出来事を常に考えて学ばなければ哀しみは繰り返されてしまう。




(2013・9・25 おおき せいこ)
★今、朝の7時です。
9時頃には仙台を出て東京へ向かいます。
のんびり走ります。
昨日まで830キロ走っていますから東京へ着く頃は
1200キロぐらいでしょうか。
大らかに頑張ります!!
seiko
投稿日時: 2013/9/29 23:35
管理人
登録日: 2003/9/21
居住地:
投稿: 3623
私の相棒!ホンダのN1・・・福島・東北の旅!★1200キロ!一人で運転してきました!


このホンダのN1は、優れもの!
車の好きな連れ合いは、「つまらない車!」といろいろ言いますが、
燃費もいい!長めの信号はエンジン休んでおとなしい!
高速も安定していて運転しやすいです。

5月の旧ベ平連の仲間たちが集まる「忍野パティー」で「この車を買いたいと思っているんだぁ〜」と言う友人は、
運転席に座りいろいろ見て「僕もこの赤と黒のツートンにしよう!」と決めた方がいました。
先日お会いしたら「買ったよ!晴子ちゃんと同じ赤を!」と言って秋の「忍野パーティー」で並べて写真を撮ろう!と言うことになっています。

これからは、ときどき思い立っては福島へ走らせたいと思います。
どんな形で支援が出来るかまだわかりませんが、忘れない!諦めない!
しっかりと命を守る叫びをあげていきたいです。
時には、友人たちと行けるといいなぁ〜。
「汚染ピック」反対だから、福島そして東北各地の復興が先だから!
自分流に出来ることをしていきたい。
日常、一つや二つ悩み事や苦しいことを抱えているのでは・・・・。
私は最近、「素直じゃ無いとか従順で無くなった」とか言われるのですが、
やっとこの一年で強い言葉も言えるようになった。
それでいいと思えるようになった。
私が旅から帰った9月25日は、ベトナムのミィさんが我が家に来て一年が経った日でした。
日本語学校の休みで沖縄へ一人旅に出ている彼女から「一年が経ちましたありがとうございます。」とメイルが届いた。
他人が一年側にいる生活・・・やっぱり我慢することも。
身体がしんどく辛いときも多かった。
でも、自分なりに闘った!
あと、半年!彼女には宣言した。
「言いたいこと言うからね」・・・と。
ベトナムの生活に戻る努力もしてほしい。
彼女の母親に約束した一年は過ぎたが、あと半年の時間も健康だけは守ってあげたいと思う。
13-09-29(おおき せいこ)
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