メイン つぶやき 『一矢 』 荒井 康裕さんの文章を掲載します。 | 投稿するにはまず登録を |
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seiko | 投稿日時: 2018/11/13 14:07 |
管理人 登録日: 2003/9/21 居住地: 投稿: 3623 |
『一矢 』 荒井 康裕さんの文章を掲載します。 『一矢 』 荒井 康裕 安倍辞めろ! 玉城反戦候補に沖縄知事選で完敗しようが、辺野古新米軍基地建設工事を再開した。先ず、叫ばないではいられない。 事は9月27日、横浜での中学同窓会。もう60年以上、京都に居る私だが、横浜生まれ。同窓会は今年最後、とのことで参加を決めていた。64年前、一学年4クラス計200人の中学卒業生名簿の中から28人が集まった。 前日の夜行バスで京都を発って翌日 受付へ着くなり「荒井さん、乾杯の音頭をお願いします」と言われてしまった。めずらしい人物が京都からやって来る、既に決められていた。とてもそんな柄ではない、と断ったが駄目だった。円テーブル3卓、くじ引きで全員着席すると 同窓会長?氏が「今年はSさんが表彰(だったか叙勲だったか)されました」とSさんにマイクを手渡す。未だ開会されてない。Sさんの話、ちゃんと聞き取らなかったが、民生委員とか福祉関係事業に長年従事され、といった功労で表彰(叙勲)され「陛下が私の席から◯メートルの所に居られた」うんぬんだった。 司会者の出番はその後だった。「ではこれから横浜市立◯◯中学校 第◯◯年度◯◯期◯◯会 第◯回 同窓会を始めます。荒井さん、乾杯の音頭をお願いします」。とんでもないところに来てしまった。日本社会悪の元凶は天皇制にあり、と心得ている自分が天皇に叙勲された御本人のスピーチ直後に乾杯の音頭を勤める! しかしもう後に退けない。左にビールコップ、右にマイクを手にしたら先程のSさんの“挨拶”が蘇み返った。蛮勇が湧いた。 「今日はのっけから、天皇が出て来ました。それで今日は9月27日ですが73年前の今日、天皇が初めてマッカーサーをGHQに訪ねて行った日なんですね。以来 日本はアメリカに頭が上がらず了いで73年後の今日迄来ています。私達はもう79〜80歳、お互い体は平等に衰えて行きますが、気持ちは元気に生きて行きましょう。乾杯しましょう、カンパーイ!」 全員同時発声、とは行かなかったが、のっけから演じられた“雲井の一幕”に抗して跳んだ乾杯の場、やってのけられた。京都を発つ前、座右書『市民の暦』(鶴見俊輔・吉川勇一・小田実 共同編集、1973年朝日新聞社刊)の9月27日欄に当たっていた成果だった。 やがて各人自己紹介の段取りに。私はもう乾杯をやらせて頂いたから次のかたに、と遠慮したが再びマイクを握ることに。当日気遅れしていて遠慮勝ちだったのだ。この13年間外出時に、新聞紙一面大に『アカン戦争』と墨書きしたボードを終始手離さないのに、その日に限って受付の時、会場隅の手荷物置き場テーブルに置いたままだった。ところが自己紹介のマイクに向かうと、なんとボードがいつの間にか自分の傍らにあるではないか。勇躍! ボードを皆に向けて掲げた。「これは今日のために持って来たのではありません、一年365日外出時に持参しています。裏はこうです。(「アカン原発」)。昨年3月2日 新幹線構内で これを当局にストップされ、約30分後 不透明紙とガムテープでぐるぐるがんじがらめになって返されて来ました。もう日本はこうした物さえ自由に持ち歩けない社会になっています。」 ボードを私の傍らに移してくれていたのは誰だったか知らない。感謝! この数年来、同窓会通知が届くと返信用のメッセージ欄にその年々の思いを率直に認めて投函して来た。今年は「8月15日靖国神社へ向かって行けました」と。そうした積み重ねの効果もあずかっていたのだろうか。それはともかく、自分から皆に見せたのではなく、謂わば人に促されるようにして日頃の思いを示せたのだった。ところで、乾杯音頭・自己紹介2回、自分の言葉はあの席で皆にどう受けとられていたのだろう。座が進んでSさんがテーブルを離れて私の傍らへ。察してみた。まさかSさんは私の言を天皇制批判などとは解す筈など無く、全く逆にSさんへの祝辞(内心羨望・やっかみ・憧憬・嫉妬etcを秘めた)と誤解して聞いていたんだ、と。そこで「良かったですね。(宮場には)燕尾服など着て行かれたのですか」挨拶代わりに言うと、待ってました、内懐から燕尾服、和服姿の夫婦直立写真が取り出された。 9月27日、64年前の中学卒業生28人による最後の同窓会だった。記念撮影で流石にボードは掲げられなかった。また二次会、カラオケなどはどうやら無いようだった。そして最後。私がもしSさんの立場だったら、の想いは拭えない。ある日突然、宮内庁から通知が来る、この度 貴殿は◯◯の労により勲◯◯◯◯賞を授与されることと相成りました に就き・・・といった拝授招待状が私に舞い込んだ、としたらだ。 AA 74・10・2 (AAとはAfter Atom。ヒロシマデイを元年とする核暦。)』』 http://seiko-jiro.net/modules/myalbum/photo.php?lid=594 http://seiko-jiro.net/modules/myalbum/photo.php?lid=432 2018・11・13(おおき せいこ) 大木晴子 http://www.seiko-jiro.net https://www.facebook.com/seiko.ohki https://twitter.com/kuronekoroku 荒井さんに初めてお会いしたのは 小田実さん、吉川勇一さんたちとベトナムに行った2002年の春!2度目の旅で関西から参加されておられました。 その後 ページも訪ねて下さり西口のスタンディングが2003年2月に始まり上京されると土曜日の意思表示に立たれて「ぼるが」で飲んだりしています。黙々と京都駅に立たれて何時もプラカードを掲げている優しい方です。 |
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» 『一矢 』 荒井 康裕さんの文章を掲載します。 | seiko | 2018/11/13 14:07 |
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