西口通信
西口通信 : 「新宿西口地下広場」が新聞記事に載って!
10月3日は、市民の意見30の会・東京のニュース発送日でした。ニュースに掲載されている西口通信です。今日の地下広場の様子や今朝から始めたK公園での反戦意思表示は、次のメッセージでお伝えいたします。
「新宿西口地下広場」が新聞記事に載って! 大木晴子
9月15日、地下広場でいつも持っている「殺すな」のプラカードを掲げイスラエル大使館へ「パレスチナ人を殺すな」と30人の仲間と声を上げてきました。
この抗議行動の知らせをもらった時に、直ぐ思いました。
今年の春、社会の目がイラクに向いている時に、イスラエル政府はパレスチナ西岸地区を囲い込む壁をつくってしまいました。その為に、遠回りをして病院にいかねばならくて、何人もの子どもたちが亡くなった話を・・・・。
いま、あっちを向いても「殺すな」、こっちを向いても「殺すな』と叫ばなければならない世の中に心が痛みます。
新宿西口地下広場の様子が8月18日の朝日新聞に掲載され、いろいろな反応が出てきました。記事が出た夜に、携帯にメイルが入りました。短い文章の中に思いがいっぱい詰まったその言葉は、「大木さんがしてくださっている行為に感謝しています、ありがとう。」でした。
二人の男の子を育てている彼女は、今まで反戦運動など無縁の人。でも、今の社会情勢の中で不安でたまらないのではないでしょうか。
戦争がいつ起こってもおかしくないような歩みをはじめてしまった日本に不安を感じ始めたのだと思います。
私はこのメイルを読んだ時、地下広場に立った事「良かった」と思いました。
柴犬ジローと街を歩くと、いろいろな方と以前に増してお話しをする機会に恵まれています。「オレ、学生運動してたんだ。」と輝いた顔で話す花屋さん。
何時も仲良くしている近所の仲間は「同じ気持ち持っているのよ。
戦争反対だしでも何をしていいかわからないまま来ちゃって」と語り始めました。
私は嬉しい。「無理をしなくてもいい。今の自分に出来る事をしてね。優しい眼差しで頑張っている人を見ていてくれるだけでもいいのよ」と心の中で思いました。
1969年、新宿西口地下広場が終わった後、私は教育の場に立ちたいと考えて保育学校へ。学業を終え幼稚園に就職が決まると十五歳違いの一番上の兄からお金では買う事の出来ない素敵なプレゼントをもらいました。
「晴子 驕るなよ。教え育むという事は、親指と人さし指をピッタリあわせた時に出来るほんのわずかなすき間ぐらいなものだ。現象面だけでやったつもりになるなよ。結果は、十年、十五年先に見えるものだ。謙虚な気持ちを持って頑張れ」と。
その兄が記事を見て便りをくれました。
「不景気が続くとだれもがいらいらし、それに便乗して妄動する人が出てきます。何時の時代でも同じです。そのような中で良心の灯をともし続ける人たちがいることを嬉しく思い、その内の一人が晴子であればなおさらです」と。
みんな、みんな思っている。戦争はイヤ! いまの日本は、どうなってるの!
さあ、自分に出来ることさがしましょう。歩みを止めないで。同じ思いを持っている人がきっと側にいる。一緒に声をあげましょう。
(おおき・せいこ、市民の意見30の会・東京事務局)
「新宿西口地下広場」が新聞記事に載って! 大木晴子
9月15日、地下広場でいつも持っている「殺すな」のプラカードを掲げイスラエル大使館へ「パレスチナ人を殺すな」と30人の仲間と声を上げてきました。
この抗議行動の知らせをもらった時に、直ぐ思いました。
今年の春、社会の目がイラクに向いている時に、イスラエル政府はパレスチナ西岸地区を囲い込む壁をつくってしまいました。その為に、遠回りをして病院にいかねばならくて、何人もの子どもたちが亡くなった話を・・・・。
いま、あっちを向いても「殺すな」、こっちを向いても「殺すな』と叫ばなければならない世の中に心が痛みます。
新宿西口地下広場の様子が8月18日の朝日新聞に掲載され、いろいろな反応が出てきました。記事が出た夜に、携帯にメイルが入りました。短い文章の中に思いがいっぱい詰まったその言葉は、「大木さんがしてくださっている行為に感謝しています、ありがとう。」でした。
二人の男の子を育てている彼女は、今まで反戦運動など無縁の人。でも、今の社会情勢の中で不安でたまらないのではないでしょうか。
戦争がいつ起こってもおかしくないような歩みをはじめてしまった日本に不安を感じ始めたのだと思います。
私はこのメイルを読んだ時、地下広場に立った事「良かった」と思いました。
柴犬ジローと街を歩くと、いろいろな方と以前に増してお話しをする機会に恵まれています。「オレ、学生運動してたんだ。」と輝いた顔で話す花屋さん。
何時も仲良くしている近所の仲間は「同じ気持ち持っているのよ。
戦争反対だしでも何をしていいかわからないまま来ちゃって」と語り始めました。
私は嬉しい。「無理をしなくてもいい。今の自分に出来る事をしてね。優しい眼差しで頑張っている人を見ていてくれるだけでもいいのよ」と心の中で思いました。
1969年、新宿西口地下広場が終わった後、私は教育の場に立ちたいと考えて保育学校へ。学業を終え幼稚園に就職が決まると十五歳違いの一番上の兄からお金では買う事の出来ない素敵なプレゼントをもらいました。
「晴子 驕るなよ。教え育むという事は、親指と人さし指をピッタリあわせた時に出来るほんのわずかなすき間ぐらいなものだ。現象面だけでやったつもりになるなよ。結果は、十年、十五年先に見えるものだ。謙虚な気持ちを持って頑張れ」と。
その兄が記事を見て便りをくれました。
「不景気が続くとだれもがいらいらし、それに便乗して妄動する人が出てきます。何時の時代でも同じです。そのような中で良心の灯をともし続ける人たちがいることを嬉しく思い、その内の一人が晴子であればなおさらです」と。
みんな、みんな思っている。戦争はイヤ! いまの日本は、どうなってるの!
さあ、自分に出来ることさがしましょう。歩みを止めないで。同じ思いを持っている人がきっと側にいる。一緒に声をあげましょう。
(おおき・せいこ、市民の意見30の会・東京事務局)
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