エッセイ
エッセイ : 「主張する」 大木 茂
「主張する」 大木 茂
2001年秋、EU統合直前のスペインを旅した。南部のバレンシアに宿泊した晩、大衆食堂でいささか粗野ではあるが安くてうまい地元の料理とワインを楽しんで宿に戻る途中、写真の青年に出会った。
歩道に座り込み、前にプラコップを置き、物乞いをしている。何やら主張を掲げているのだがスペイン語の分からない僕には残念ながら内容が理解できない。
昨今、我が国では街頭で物乞いをする人たちを見ることは稀になったが世界中の国々ではまだまだ多くの物を乞う人々を見かける。それだけ富の分配が片寄っている証拠でもあるわけだ。僕自身は格別の宗教観も無く、無差別に施しをする考えもないので基本的には冷たく無視するしかないと考えている。しかし、アジアやアフリカの圧倒的な貧富の差の中で次々と差し出される弱々しい手には何とも言えぬ後ろめたさと無力感を抱かざるを得ないのも事実だ。
比較的豊かだと思われているヨーロッパでも紙コップやカンからを差し出されることがよくある。しかしこの地域の人たちはキリスト教宗教観に裏打ちされているからだろうか粗末な紙切れであっても何らかの意思表示をしている姿を多く見かける。「私は物乞いをしているが、これこれこういうわけで仕方なくやっているのだ、さあ援助してくれ」といった具合だ。
この写真の青年もきちんとした姿勢で座り道行く人々に誠実に訴えるものを感じて好感が持てた。その風貌が僕の友人の一人に似ていることもあって「写真を撮らせてくれ」と片言のスペイン語と身振りで伝えると、当然のように彼はコップを指す。僕は指を一本立てて100ペセタ(80円弱)。彼は指二本。それならばヤメタ!と立ちかけると、彼は慌てて指一本、で交渉成立。このあたりはマーケットでのやり取りと似ていてなんともおかしかった。
カシャカシャと数カット撮り、ポケットをまさぐってコインを1つコップに放り込む。破顔一笑、青年の表情が変わった。コップをのぞき込むと、なんと、形は似ていたが一回り大きな500ペセタ硬貨を入れてしまったのだ。まさかおつりをくれとも言えずあきらめるほかはない、まぁいいか。
人々の前に身を曝して意思表示し主張をする。大変なことだと思う。500でも足りなかったかもしれない。
(おおき しげる・フリーランスで写真撮影)
これは「市民の意見30の会・東京」ニュース84号に掲載された写真と文章です。
「あなたと意思表示をされている皆さんにエールをおくらせてもらうよ」と言って見せてくれた写真と文章を私はとっても気に入っています。(おおき せいこ)
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