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反戦・平和
反戦・平和 : 市民の意見 小田実さん追悼特集号から・・・「フォークゲリラ開始の頃」伊津信之介・「小田さんの大きな手」大木晴子
投稿者 : seiko 投稿日時: 2007-10-11 23:32:39 (2588 ヒット)


この二編の文章は、「市民の意見30の会・東京」が発行しています
ニュース別冊号、「小田実さん追悼特集」号に掲載されたものです。

「フォークゲリラ開始の頃」        伊津信之介

 オダマコトは、僕の考え方の父だ。
これは僕が勝手に思っていることだが、そのわけを話そう。
浪人2回目大学受験生が、何気なく参加した「べトナム戦争反対」のデモは楽しかった。
何回か参加する内に同世代の少年少女の新鮮な発想と行動に惹かれ、
高校時代からの友人とギターを持ってデモに加わるようになった。
それは関西の連中がやってきた事に触発された行動だった。
1968年の冬、大阪の坂本さんやピンクが東京のべ平連デモで
反戦フォークを唄いながら歩いた。
その後、新宿駅西口地下広場を通りがかって、「いいねぇ、梅田地下街よりいいかも」
ということで始めたのが、フォークゲリラ開始のエピソードだ。
 中央集権的発想が当たり前の日本で、反戦運動が個人の自由と責任で広がり、
効果を生み出す事に心を奪われた。
今思い返せば、フラット・リンク・シェアという現代を象徴する動きを
先取りしたのが、オダテンの行動と思想だった。
それから約40年間の僕に、最も影響を与え、思考の原点にあったのは、
オダテンであり、ナイカクと呼んでいた30?40代のベ平連を支えた人々だった。
何か読むべき本がありますか?と小田さんに尋ねた時に、
ナットヘントフのジャズカントリーを読んだらいいと薦められた。
いつの間にか小田さんの語る内容は、僕の考えにとけ込んでいった。
もちろん小田さん以外にもいろいろな人たちの影響を受けたのが、
1968年から1970年頃の数年だった。
「論理と倫理を区別して考えないといけないよ」と言ってくれた人がいた。
この言葉は僕の思考回路の大事な分岐になっている。
ベトナム戦争反対だけの運動を始めた小田さんと同じ発想で、
新宿駅西口地下広場で反戦フォークを歌い始めた当時、歌い手の
パフォーマンスの良し悪しで立ち止まる人の数が変わった。
僕は人を立ち止ませることはできなかったが、仲間のゴリには人垣ができた。
そのパフォーマンスに相応しい人がいるようだと感じた。
小田さんもベトナム戦争反対のパフォーマンスに相応しい人だった。
それは既成の運動とは違う『発想』『スタイル』『パフォーマンス』であった。
1970年代後半から日本ではこんなパフォーマンスも受け入れられなくなった。
金もうけが全て。閉塞感に覆い尽くされ、息苦しい時代が今に続く。
1960年代末に小田さんたちに学んだ僕は、僕なりに考える、
考えこむ前に行動する、ことを模索してきた。
しかし新宿駅西口地下広場のフォークにまつわるさまざまな
出来事は、単純な思考を超えるものであった。
『効果』を高めることが『目的』といった判断をしてしまうことは危険だ。
人がたくさん集まることは、効果的で、目的達成に近づくという発想を僕は嫌ってきた。
その反面で効果を意識して考え、行動する自分がいつの間にか現れる。
僕も60才を迎えた。これからは、効果を考えない。
効果を考えてしまったら、そうでない選択を十分に模索する。
慎重になるという訳ではないが、目的のために功利的にならない自分をつくっていきたい。


(追悼デモに参加した伊津さん、小田さんの写真を持って胸には
「殺すな」マーク 撮影:大木晴子)
伊津信之介 (いづ・しんのすけ)

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「小田さんの大きな手」 大木晴子

2002年の春と初夏、二度のベトナムは小田実さんと一緒の旅でした。
最初の旅でホーチミン市チョロン地区にある活気を感じる寺を訪ねました。
ここの神さまは雲に乗って自由に旅が出来るため遠い海でも人々を助ける
航海の安全の守り神と言われています。


(撮影:大木茂)

この寺で天井から渦を巻いて垂れ下がるお線香を小田さんは捧げ祈られた。

大きな手を頭の高さに挙げて祈られた。

小田さんは、世界を歩き悲惨な死をとげなければならなかった
多くの御霊と出会った方。
きっとあわせた大きな手に込められた平和への願いは・・・・
と私はその光景の中でシャッターを押しながら思っていました。

この旅でその大きな小田さんの手で私は背中を叩かれました。
話しの前後は覚えていないのですが、「何かこうなったらいいのになぁ?」
と希望を言うと「あんたがやればいい。」と言われて・・・・・
大きな手は、私の背中に痛みとそして優しい温もりを残し
それは何時しか勇気という力になって育っていきました。

ベトナムへ行った次の年、イラク戦争が始まる一ヶ月前から、
昔、フォークソングを歌ったあの新宿西口広場で反戦の意思表示を始めました。
今年、五年目に入りました。
毎週土曜日、10人?20人弱の人たちが立ち続けています。
私はホームページでその様子を書き続けています。
これからは、もっと小田さんの大きな手の温もりを感じながら
平和を育んでいきたいと思います。
(おおき・せいこ)
seiko@seiko-jiro.net


(2002年の春、小田さんと行ったベトナムで
偶然に伊津さんと出会いました。撮影:大木茂)

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