小松ミつさんを見つめて立った土曜日 大木晴子
3月27日は 小松ミつさん の命日に一番近い土曜日なりました。
小さな花束を持って新宿西口へ向かいました。
地上の意思表示は雲さんそしてKさんが「安保はいらない」と
声をかけながら 安保連絡会 のチラシを配ります。
「喜八ログ」 を書かれるNさんがビッグイシューを販売するMさんと話しながら立ちます。
今日はSさんが早い時間から立つことが出来ました。
地下広場に降りると珍しい方が訪ねてくださいました。
2005年の11月に放送された「特報首都圏」に西口の意思表示を
取り上げて番組を作ってくださったAさんが鹿児島からお仕事で
来られて地下広場に立ち寄ってくださったのです。
こつこつとご自分の想いを映像に平和を育むその姿勢は素晴らしいです。
はやく番組をみせていただきたいなぁ〜。
志村さんのご友人Oさんご夫妻が斎藤さんの柱で立ちました。
パソコンで作られたプラカードに
「出て行く先は自分で探しなさい!」
ほんとうに私もそう思います。
今日は、辺野古のポチ君は大阪から来ている男性が持って立ちました。
前日の首相官邸前でもお会いしました。
この日も このデモ に出て地下広場に来られました。
頑張っています!!
地上から立ったSさんは、 ツイッター用の写真 を撮っていた。
Sさんのプラカードを持っていたUさんは 丸木美術館支援 です。
Aさんが立ち、Kシスターが小松さんの横に立ちます。
行き交う人が見る。
見た人の中に足を止め、声をかけ、会話がうまれる。
志村さんが珍しく遅くにいらした。
会議に出られていたとか・・・・。
嬉しいなぁ〜。
私も記録に残すことが出来ました。
志村さんに撮って頂きました。
志村さん が書かれるブログは学べます!!
沖縄の皆さん!一緒に頑張りましょう!!
10-03-30(おおき せいこ)
『鈴木一誌・エッセイ』第6回
考えるための道具
水俣病のドキュメンタリーで知られる土本典昭監督が亡くなった(二〇〇八年六月二四日)。「肺ガンではないか」との診断があってから、ほぼ一か月半という早い旅立ちだった。肺ガンがすでに脊髄に転移していたようだ。水俣病の実相を記録し告発した土本さんは、人類の恩人なのだが、その恩人を病によって苦しめているのは、理不尽だと思えた。いっぽう、観客といういささか無責任な立場からは、土本さんがこの時代にいてくれてよかった、とつくづく思う。土本なる才能が、水俣病を撮っていなければ、と考えるとゾッとする。もしも〈天の配剤〉があるならば、水俣病に土本監督を、三里塚には小川紳介監督を割りふった配置に感嘆するほかない。そのふたりをガンが襲うのだから、〈天の配剤〉を恨みたくもなる。
これまでにも、水俣病に匹敵した公害病は数多くあったろうし、将来もありつづけるのだろうが、記録され描写され公開されなければ、その公害病は存在したことにならない。どれほど多くの公害病が、かたちの定まらなさをいいことに、隠蔽されてきたことだろうか。水俣病は、土本らの力によって可視化された。
講演のなかで土本さんが、四大公害事件と言われるものをふくめていろいろ公害病があったが、「水俣だけが突出していろんな表現にめぐまれている」【1】と語っている。なぜ水俣なのか。大きな理由として土本さんは、石牟礼道子さんの存在をあげる。人口三万数千人の水俣市によくぞ石牟礼さんがいてくれた、というわけだ。「あの方(石牟礼さん=筆者注)が存在したか、しなかったかでは、水俣の歴史ががらりと変わったんじゃないか」【1】。
〈天の配剤〉は、土本を水俣にテレビの仕事でおもむかせる。一九六五年ころだ。土本たちのクルーは、何気なく、庭先で日なたぼっこをしている母子をキャメラに収める。ここで問題がおこる。その子どもが胎児性水俣病だったため、母親は、「胎児性のわが子を盗み取りされたと理解し、その口惜しさもあって、思いのたけの罵声を」【2】土本に浴びせた。その非難の声は、「決してやわらぐことなく数分、いや十数分、つづいたであろうか」。「私はいつもこの日の出来事につれもどされ、それを避けるわけにはいかないのだ」【3】。
〈天の配剤〉は、土本をいったん「おでこをすりむいた男」【1】にする。土本は、いくら謝っても許してもらえなかった体験などをとおして、「撮れない水俣」を身体化していく。二十世紀の人類が〈自然〉に加えた重大な改変が、核と有機水銀だった。両者は、生命に与える影響が予測できない点でも共通している。ともに、〈見えない〉のだ。「不可視の“社会の病い”としての水俣病」【3】を可視化しようとすること自体が背理なのだが、その不可能さを掘り下げて生まれたのが、『水俣──患者さんとその世界』(七一年)である。努力と気迫が、可視的な傑作を生んだのだ。そんな表現者を、水俣や不知火海という風土が呼んだようにも思える。
土本さんから聞いたことばだ。「運動しているときは撮るな。撮るときは運動するな」。その発言の背後には、映画は見られたあとで、観客ひとりずつのなかで運動がおこればよい、との信念がある。だとすれば、映画は、見ようとする観客がいなければ、いまだ不可視のままだということになる。土本さんの座右の銘を引いておこう。
「映画は、考えるための道具である」
1=『映像を記録する 『水俣──患者さんとその世界』』人文研ブックレット5,中央大学人文科学研究所、一九九七年)
2=(土本典昭『わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録』ちくまぶっくす、一九七九年)
3=(土本典昭『水俣映画遍歴 記録なければ事実なし』新曜社、一九八八年)
グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)
(上下とも2010年1月沖縄にて撮影:大木晴子)
『鈴木一誌・エッセイ』第五回
『鈴木一誌・エッセイ』第四回
『鈴木一誌・エッセイ』第三回
『鈴木一誌・エッセイ』第二回
『鈴木一誌・エッセイ』第一回
「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』NO109(2008年08月発行)に
掲載されたエッセイを筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
10-03-25(おおき せいこ)
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基地は何処にもいらない!武力で平和はつくれない!と思う人は
3月26日(金)は首相官邸前行動!
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いつまで闘いは続くのだろう。 大木晴子
3月20日のWPNの会場で福島瑞穂さんが辺野古の安次富浩さんと
話しをしながらしっかりと握手をしました。
社民党!福島さん!!頑張りましょう一緒に!!
私たち平和を育む人たちは見つめていますよ。
安次富さんもジュゴンと一緒に歩きました。
この日は、白猫ちゃんも歩きました。
我が家の黒猫ろく に会わせたかったなぁ〜。
白いと言えば、天使さんも桃色ゲリラの 増山麗奈さん たちと元気にあるいていました。
麗奈さんから 『桃色のジャンヌ・ダルク』 の前売り券を買いました。
27日から公開ですね。
デモの後は、安次富さんに集会に出られないけど意思表示で頑張りますと告げて新宿へSさんと向かいました。
雲さん、K島さんが立ち・・・・・Sさんも立ち始めます。
デモ会場で「もうやめよう!日米安保条約ーいらない5つの理由」と書かれた
安保連絡会 のチラシを配っていたKさんもチラシを配り始めていました。
WPNのデモを一緒に歩いた新宿のS田さんもKさんの後ろで意思表示!!
みんな、沖縄が正念場をむかえている時、黙っていられない!!
きっといろいろなところで心を痛めている人がたくさんいる!!
日本語や経済やマーケティング等を勉強していRさんが声をかけてくれました。
メイルをいただき大学で国際関係を勉強したから、国際平和に興味があると・・・・。
また、声をかけてくださいね。
とてもきれいな日本語を話されていました。
山本英夫さんの写真展
FUTENMA −沖縄と向き合い、基地撤去を迫る−
2010年4月13日(火)〜4月18日(日)
時間 11:00〜19:00(最終日18:00)
会場 PAOギャラリー TEL&fax 03-5389-5573
(JR総武線・都営地下鉄大江戸線 東中野駅下車2分)
★改札を出て山手通りを横断し、マクドナルドの左側コンビニ隣ビル
10-03-22(おおき せいこ)
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基地は何処にもいらない!武力で平和はつくれない!と思う人は
3月26日(金)は首相官邸前行動!
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シスターも立った!暖かな土曜日 大木晴子
10-03-15(おおき せいこ)
地下広場は動物園!八年目に入った弥生月!! 大木晴子
少し疲れ気味です。
この週は、写真だけ!!
10-03-08(おおき せいこ)