3月20日でまるまる6年・・・イラク戦争 大木晴子
KY生さん の活字が並びました。
三人の思いは一つ!!
一冊300円の ビッグイシュー は160円が販売者の収入になります。
不況はここにも押し寄せています。
Mさんは、最近元気がありません。
お話を聞くとビッグイシューが売れなくなっているそうです。
温かい眼差しで買ってくださった皆さんも大変な状況になってきて
いるのかなぁ?と話されていました。
買ってください!いろいろ為になる読みでのある雑誌ですよ。
地上は、K島さん、雲さん、KY生さんそしてAさんが・・・。
Aさん、地下広場では「意見広告」を持って意思表示のUさんと並んで!
意見広告の締め切りも近づいていますね。
皆さん!5月3日に心を繋いで大きな声をあげましょう。
「定額給付金の一部を、意見広告賛同金に!」
あれぇ!ジローも ひっくり返って いますね。
先週、いらした 志村建世さん 続けて意思表示です。
良き先輩たちの背を見ながら歩める幸せを感じています。
雲さんの投稿を読み、直ぐには立てないけど様子を見に行こうと
思われた方々が広場に温かい目線をおくられていました。
私の映像を撮られたお二人もその方々のようでした。
「これなら私にも出来る」と思われて生活の場で意思表示ができるといいですね。
さぁ!3月20日は、イラク戦争が始まってまるまる6年です。
丁度、休日になりました。
WORLD PEACE NOW 3.20 があります。
平和は、育むものです。
ひとり、ひとりが・・・・。
(09-03-17・おおきせいこ)
(2009年2月ジュゴンの見える丘より撮影:大木晴子)
俳 句 余 想「梅が丘通信」琉球早春号(2009年2月25日)村雲 司
春の空特攻の道辿り飛ぶ
沖縄が近付くと日航機は南西諸島伝いに那覇へ向った。モニターに浮かぶその航空路を眺めながら、太平洋戦争末期に沖縄本島を囲む米艦隊に向った特別攻撃機のことを思った。白く輝くサンゴ礁が見えて那覇空港が近づく、あの時彼等にとって沖縄は何んだったか…。国を護るために飛んだのか、家族のために飛んだのか、沖縄の人々のために飛んだのか。
かけがえなきこの海の風光る
ジュゴンの絵本まで書いたのに、今までジュゴンの棲む海・辺野古の海に行くことが出来なかった。二月はじめ沖縄平和ツアーに誘われ、この機会を逃してはと心に決めて、二十数年振りに沖縄に出掛けることとなった。辺野古が近付くとバスからの景色が既視感に溢れる。何度も想像した町の様子に胸の鼓動が高まった。
春辺野古青の階調遥かなり
初日は辺野古の海を前にして、無言で立ち尽くすばかりだった。
翌日船で辺野古崎から大浦湾まで案内して貰う。浅瀬の緑色が沖に向って次第に青さを増して行く、その階調の変容が美しい。この海を壊すに値するものがある筈はないと確信させる美しさだ。とても凪いだ日で希少な青珊瑚さえも船上から目視することが出来た。
海壊し遺跡穢して基地春塵
が、一度顔を上げれば陸地には米軍基地キャンプ・シュワブがひとつの街のように広大な面積を占拠していた。眼を逸らしても逸らしきれないもの、それが沖縄の米軍基地だ。そして、その基地を更に強化して新基地を造ろうというのである。計画される二本の滑走路は大きく海にはみ出る。まず工事によって土泥が海に流れ込んで多くの珊瑚を失うことになるに違いない。珊瑚礁にだけ生える海草を食べるジュゴンもそれによって大半が死滅しよう。既に滑走路のための突堤造りが、環境調査も終らぬというのに始まっていた。その周辺の海は明らかに濁っている。この辺りの海岸には貨幣として使われた貝も出土しており、そうした調査もなされぬままに、巨大な工作機械が唸りを発して動き出している。
長閑かなる銃撃の音に花冷える
浜には米軍の演習音が絶え間なく響いていた。心に刺さるような銃撃音もあるが、多くはトントンと太鼓でも叩くように妙に朗らかに聞こえる。その朗らかさ、日常性が怖い。
陽炎に揺れて揺るがず辺野古浜
まずこの海岸に座り込みを始めたのは、おじいおばあたちだった。人々を養い続けてくれた海。陸地が焼き尽くされた沖縄戦の後も命を支え生活を支えてくれたこの恩ある海を壊させまいと座ったのだ。以来十二年余が経つ。その一人、辺野古の心棒のような「嘉陽のおじい」の話しを聞いた。おじいは終始笑顔で希望を語り続けた。「負けるためにやってるんじゃない。みんなで幸せになりましょう」と笑いかける。その潮風に鍛えられた力強い表情に励まされた。
春眩しやがてジュゴンの群れる海
大浦湾を見下ろす高台に登った。「ジュゴンの見える丘」と呼ばれている。辺野古の餌場へと湾を横切って泳ぐ姿が、昔は多く見られた場所である。残念ながらその姿に会うことは出来なかったが、光り輝く海原は数十頭のジュゴンが群れ泳ぐようすをまざまざと目に浮かばせた。上陸用舟艇が珊瑚を踏みにじり、銃撃音が海にこだまするようなこの悪しき環境が排される日を思う。沖縄全体が自由交易区となり自然保護区となり、更に無防備地区となるなら、この丘も辺野古の町もアジアから訪れた人々の笑顔で満ち溢れるに違いない。
名護市の書店に「琉球自治州構想」という小冊子を見つけて購入した。米国と日本による複雑に絡む二重支配下でも、自立を摸索する情念は燃え続ける。
琉球の情念の緋や寒桜
まだ二十代の頃、沖縄復帰運動が大きく盛り上がっていた時、沖縄出身の友人に向って「沖縄は独立すればいいんだ」と軽々しく言って、烈火のごとく怒られたことを何時までも忘れることができない。「沖縄のために何かをやっている者以外に、そのことを口にすることは出来ない」と叱責された。今度の旅では、丁度寒緋桜が島中に咲いていた。濃い緋色でじっくりと俯き加減に咲く花の姿が目に焼きつく。ぱっと明るく咲いて、あっさりと散っていくソメイヨシノの軽薄さを思った。沖縄の犠牲に、尚も甘んじている自分の軽さに重なる。
春の虹「スペインレストラン・ハワイ」のある島
複雑な名前のレストランがあった。バスの中から眺めただけだが、直ぐにメモしたから多分間違いはないと思う。移住した人が帰って来て、ハワイで学び取ったスペイン料理の店を開いたということなのであろうか…。沖縄の地球上の位置はまさしく文化文明の交差点である。異文化が融け合って新たな文化が生まれる。琉球王国が五百年以上も続いた理由がそこにあると思う。しかし今、文化の交差点は米国と日本の支配の交差点と化している。
主亡き平島丸ひとり春の月
「ひさ坊」と愛称された船長の船が一隻だけ突堤に繋がれて揺れていた。船名は「平島丸」。辺野古崎の目と鼻の先に浮かぶ小島の名前である。それでも分かるようにこの海を愛して止まず、おじいおばあたちの抵抗を支えて来た船長だ。しかし、昨年病気で亡くなってしまった。他にも座り込みを続けたおじいやおばあの何人かが亡くなった。国家と対峙する抵抗は消耗戦である。税金に裏付けられた国家に勝つためには大きな犠牲が強いられる。
花時も樹林の奥の鉄茨
平和ツアーは辺野古を中心に島内で抵抗する様々な人たちを訪ねた。北部の高江には米軍ヘリ訓練地が六ヵ所も造られようとしていた。新たな鉄条網の広がりを許してはならない。そして何時か、島中から全ての鉄の茨を刈り取らなければならない。
俳句余想「梅が丘通信」冬の月号
(2009年2月辺野古で撮影:大木晴子)
『鈴木一誌・エッセイ』第二回
日本人の顔
写真家の荒木経惟さんが「日本人ノ顔プロジェクト」にとり組んでいる。日本全国のひとびとのポートレートを、各県ごとに荒木さんがひとりで撮り、さらに各県ごとの分厚い写真集にまとめていこうという計画だ。被写体は、ひとりもいれば、カップルや家族、あるいは幼い兄妹だけのケースもある。すでに『大阪ノ顔』(2002年)『福岡ノ顔』(03年)『鹿児島ノ顔』(03年)『石川ノ顔』(04年)『青森ノ顔』(06年、いずれも「日本人の顔プロジェクト」刊)と出版され、現在『佐賀ノ顔』が進行中だ。ほぼ一年に一冊のペースだから、四七都道府県すべてを撮り終わるのには、あと四〇年はかかる計算で、途方もなく遠大な計画なのだが、すでに撮り終えたショットを見るだけでも、二一世紀初頭の日本人がどんな顔で、いかなる家族観をもち、服装や持ち物などの嗜好がどうだったのかが伝わる、空前絶後の記録となることがわかる。
無料で荒木さんに自分もしくは家族を撮ってもらえるとあって、応募が多数集まり、「日本人ノ顔プロジェクト」のメンバーが、結果的におよそ四〇〇組を選ぶのだが、選ぶといっても容姿やスタイルによるのではなく、撮られるひとの住まいが県全域に、年齢や職業も適度に散ったほうがよいとの配慮からだ。
ブックデザインを手がけることもあって『石川』『青森』『佐賀』の撮影に立ちあったことがある。時期をずらしながら県内の三箇所で撮影することが多く、青森県では、弘前市、青森市、八戸市だった。百貨店の一区画や公民館などを借りて仮設のスタジオをこしらえ、朝から夜まで百数十組、のべ二百人以上をつぎからつぎに撮るのだが、荒木さんの撮影ぶりは実にていねいだ。どんなひとにも、フィルム二本を費やし、声をかけ、相手を笑わせながらシャッターを押していく。
子どもには「ボク、肩車でいいねー。おしっこすんなよ」と語りかけ、母子のゆるんでいく表情をフィルムに定着させていく撮影風景を見ながら、人間の顔はずいぶんと変わるもんだな、と感じる。大型カメラのシャッター音がガシャンガシャンと響き、荒木さんの声を受けとめている五?一〇分のあいだに、〈素顔〉がのぞいてくる。荒木さんはときおり、男性のネクタイを直したり、女性の髪をフワリとさせたり、絶妙な〈スキンシップ〉をする。この瞬間、ドラマチックに被写体の顔が輝く。自分が考えている〈自分〉の輪郭がほどけ、殻がゆるんでいく。
問題は、荒木さんという〈ハレ〉の力に拠らずに、自分で、日ごろの自分の顔をいかに輝かせることができるかだ。通勤電車から降りたつ男女の顔は仮面をかぶり、そういうわたしの顔も、相手からは無表情に映っているのだろう。
『佐賀ノ顔』撮影の帰り、夕刻の福岡空港で搭乗を待っていると、となりのロビーが騒がしい。飛行機の出発が遅れるらしい。やがて航空会社からアナウンスがある。一万円で、早い便を譲ってくれる客がいないかを尋ねている。当該便よりさらに一時間ほど遅い便があり、一時間でも早く帰着したい客の要求にこたえるために、航空会社は一万円を支払うというわけだ。スーパーマーケットで買い物をするときの数円のちがいは大きいが、一万円を差しだすと告げる空港では、なぜか大勢がひっそりとしている。ひとびとは〈飛行機に乗る〉顔を演じているのだろう。そして、早い便を譲る客もかならずいるにちがいない。「顔を撮りにきて、さいごは横っツラを万サツでひっぱたたく場面になっちゃったなぁ」と、荒木さんと顔を見あわせた。 グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)
「私が出会った沖縄の人たち」09年2月 撮影:大木晴子
『鈴木一誌・エッセイ』第一回
「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』NO105(2007年12月発行)に
掲載されたエッセイを筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
09-03-12(おおき せいこ)
日本人の顔
写真家の荒木経惟さんが「日本人ノ顔プロジェクト」にとり組んでいる。日本全国のひとびとのポートレートを、各県ごとに荒木さんがひとりで撮り、さらに各県ごとの分厚い写真集にまとめていこうという計画だ。被写体は、ひとりもいれば、カップルや家族、あるいは幼い兄妹だけのケースもある。すでに『大阪ノ顔』(2002年)『福岡ノ顔』(03年)『鹿児島ノ顔』(03年)『石川ノ顔』(04年)『青森ノ顔』(06年、いずれも「日本人の顔プロジェクト」刊)と出版され、現在『佐賀ノ顔』が進行中だ。ほぼ一年に一冊のペースだから、四七都道府県すべてを撮り終わるのには、あと四〇年はかかる計算で、途方もなく遠大な計画なのだが、すでに撮り終えたショットを見るだけでも、二一世紀初頭の日本人がどんな顔で、いかなる家族観をもち、服装や持ち物などの嗜好がどうだったのかが伝わる、空前絶後の記録となることがわかる。
無料で荒木さんに自分もしくは家族を撮ってもらえるとあって、応募が多数集まり、「日本人ノ顔プロジェクト」のメンバーが、結果的におよそ四〇〇組を選ぶのだが、選ぶといっても容姿やスタイルによるのではなく、撮られるひとの住まいが県全域に、年齢や職業も適度に散ったほうがよいとの配慮からだ。
ブックデザインを手がけることもあって『石川』『青森』『佐賀』の撮影に立ちあったことがある。時期をずらしながら県内の三箇所で撮影することが多く、青森県では、弘前市、青森市、八戸市だった。百貨店の一区画や公民館などを借りて仮設のスタジオをこしらえ、朝から夜まで百数十組、のべ二百人以上をつぎからつぎに撮るのだが、荒木さんの撮影ぶりは実にていねいだ。どんなひとにも、フィルム二本を費やし、声をかけ、相手を笑わせながらシャッターを押していく。
子どもには「ボク、肩車でいいねー。おしっこすんなよ」と語りかけ、母子のゆるんでいく表情をフィルムに定着させていく撮影風景を見ながら、人間の顔はずいぶんと変わるもんだな、と感じる。大型カメラのシャッター音がガシャンガシャンと響き、荒木さんの声を受けとめている五?一〇分のあいだに、〈素顔〉がのぞいてくる。荒木さんはときおり、男性のネクタイを直したり、女性の髪をフワリとさせたり、絶妙な〈スキンシップ〉をする。この瞬間、ドラマチックに被写体の顔が輝く。自分が考えている〈自分〉の輪郭がほどけ、殻がゆるんでいく。
問題は、荒木さんという〈ハレ〉の力に拠らずに、自分で、日ごろの自分の顔をいかに輝かせることができるかだ。通勤電車から降りたつ男女の顔は仮面をかぶり、そういうわたしの顔も、相手からは無表情に映っているのだろう。
『佐賀ノ顔』撮影の帰り、夕刻の福岡空港で搭乗を待っていると、となりのロビーが騒がしい。飛行機の出発が遅れるらしい。やがて航空会社からアナウンスがある。一万円で、早い便を譲ってくれる客がいないかを尋ねている。当該便よりさらに一時間ほど遅い便があり、一時間でも早く帰着したい客の要求にこたえるために、航空会社は一万円を支払うというわけだ。スーパーマーケットで買い物をするときの数円のちがいは大きいが、一万円を差しだすと告げる空港では、なぜか大勢がひっそりとしている。ひとびとは〈飛行機に乗る〉顔を演じているのだろう。そして、早い便を譲る客もかならずいるにちがいない。「顔を撮りにきて、さいごは横っツラを万サツでひっぱたたく場面になっちゃったなぁ」と、荒木さんと顔を見あわせた。 グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)
「私が出会った沖縄の人たち」09年2月 撮影:大木晴子
『鈴木一誌・エッセイ』第一回
「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』NO105(2007年12月発行)に
掲載されたエッセイを筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
09-03-12(おおき せいこ)
朝日新聞の「声」を読んで!弥生月最初の土曜日 大木晴子
新しいパソコンになってiPhotoがいろいろ出来るので
少し写真を大きく掲載していきます。
7日の土曜日は、朝日新聞に掲載された雲さん の投稿を
読んでたくさんの人が参加した意思表示なりました。
5時からの地上は、5人で始まりました。
以前、ベトナムの旅でご一緒した 荒井さん は、可愛いかすみ草の花をつけたプラカードを京都からそのまま持って来られました。
京都駅!一人で立ち始めた意思表示!いまは5人になったと嬉しそうに話されていました。
地下広場に立つと 志村建世さん はじめ次々に雲さんを訪ねて来られた皆さんが・・・・。
大学時代の後輩でいらした女性の方も!
「ブーゲンビリアのきちきち日記」 を書いている小牧さんは、
「市民の意見30 の会・東京 」 のニュースを持って意思表示でした。
このニュースの中には、私のこのページのタイトルデザインを考えて
作ってくださったデザイナーの 鈴木一誌さん がエッセイを書かれています。
この次の号で10回目になります。
私のページで掲載が始まりました。もうすぐ二回目を!お楽しみに!!
K島さんが・・・・。
Aさんが・・・・。
隣の荒井さんと話されいる方も投稿を読まれた方だったようです。
斎藤 明さんが・・・・
「大木さん!顔を大きく写してね」と念をおされて!気合いを入れて一枚!!
斎藤さんの隣では一番ご高齢のKシスターが立たれています。
2月21日の土曜日に立たれたTKさん と一緒に。
仕事の途中で意思表示に!だから私のプラカードを持って!
小牧さんに撮っていただきました。
慌てていたのでバンダナの旗が裏返しでしたね!
今度は、志村建世さんとご一緒に!
雲さんと話されている方が、朝日新聞「声」を担当された方です。
OさんとTさんの旗が美しい地下広場でした。
今日は出会いの多い日でした。
Tさんもご友人の方が通られて久しぶりの再会を喜ばれていました。
行き交う人の眼が止まります。
迫力のあるkiss-meさんの言葉に・・・・・。
Sさんは、今日も仕事が忙しくて7時になってから到着でした。
でも「ぼるが」での辺野古ツアー写真スライドショーには間に合いました。
沖縄で闘う人、支援する人、素敵な表情の皆さんをみてほっとします。
毎日、「この人!何をかんがえているのだろうか」とすっきりしない人たちの
顔を見なければならない社会情勢に「もう!うんざり!!」と思っている人
多いと思うなぁ?。
一人の少女の幸せも考えてあげられないこの日本は・・・どうなっているの!
私に環境やお金のゆとりがあったらその少女をあずかって強くたくましく
大らかにともに歩み酷い人たちを見返して彼女に心の勝利!を
温かく優しい生活をプレゼントしてあげたいと我が家で言い続けている。
国の面子で強引に強制送還!冗談じゃない!!
少女の心をこんなに傷つけて・・・どうしてくれるの!!
何にも出来ない自分が辛いなぁ?。
13日の金曜日に入管まで行こうかなぁ?。
「平和のバンダナ」をあげたいなぁ?。
(09-03-10・おおきせいこ)
見つめる眼が優しいなぁ? 立つ人も行き交う人も 大木晴子
(私の写真は、ビッグイシューを販売しているMさんに撮っていただきました)
如月が終わる日は、ちょうど土曜日でした。
K島さん、雲さん、そして私のプラカードと言葉が繋がって
面白いほど見ていかれました。
そして、Oさん、Aさんが来られました。
Oさんからは、菜園でとれた大根で漬けた 沢庵 を頂きました。
地下広場には、K島さんの側にいつも 小松ミつさん がおられます。
工事中の壁の前で雲さんが立ちます。
警視庁のポスターがたくさん貼られていますが負けていませんね。
集会や仕事で立てない方が多かったようで久しぶりの一桁!
コンサートに行かれる前に地上に寄って写真を撮ってくださった
ムキンポさん を入れて8名でした。
でも、Oさんの旗が明るく元気でした!
「第8期市民意見広告運動」 主催で渋谷の「東京ウィメンズプラザ」3月7日(土)に
映画「アメリカばんざい」の上映と監督と若い世代とのトークが行なわれます。
意見広告運動で頑張るUさん、今週も頑張っています。
「ジローの殺すな」のプラカードを持ってAさんも元気です。
ご高齢のKシスターが立ちます。
平和への想いを願いをこの言葉に込めて。
(09-03-03・おおきせいこ)