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投稿者 : seiko 投稿日時: 2007-11-05 01:46:07 (2016 ヒット)

(撮影者watan0さんと一緒に!ムキンポさんのサイトからお借りしました。)

2007年、霜月、一番はじめの意思表示を映像でご覧下さい。

撮影者: watan0さん

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=631152
JR新宿駅西口地下広場 1

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=631169
JR新宿駅西口地下広場 2

投稿者 : seiko 投稿日時: 2007-10-29 02:35:39 (1863 ヒット)

(私が立つ位置から見た広場)

雨にも負けず埼玉へ!新宿へ!!“怖い時代を作るベースになるようで”  大木晴子

台風の影響で朝から強い雨がそのなかを・・・
今月末で終わってしまう原爆の図丸木美術館 企画展
今日の反核反戦展 をみに埼玉の森林公園へ雲さんと向かいました。



高橋理加さんの「Black Rain」、
雲さんも子どもたちを見つめていました。
友だちの吉岡セイさんの「死の舞踏」、
以前にも拝見したことがある武田美通さんの
「靴を喰う兵士」(2003年制作)は
反戦のおもいを強く心に刻む作品の一つでした。
佐藤俊男さんの大きな意思表示も心に残りました。
「憲法第九条改悪を謀る 狂った“お坊ちゃんたち”」
作品をみながら来年はトライしようと雲さんが・・・
私も佐藤俊男さんの作品を拝見して「意思表示」の写真を
組んで何か試みてみたくなりました。
出品!出来るといいなぁ?。



今日は、美術館でお仕事をされている方のワンちゃんひかる君がいました。
可愛い眼をした優しい子でした。
優しい子と言えば会ってきました!
「虹」の絵の幼子に見つめられるその瞳と何時も
しっかりと向き合える私でいたとおもいました。

一段と強くなった雨、3時過ぎの電車で新宿へ向かいました。
あんみつを食べて元気を出して5時少し前から地上での意思表示を始めました。
ビッグイシューのMさんは、強い雨でお休みでした。
丁度いい骨休みになるなぁ?Mさん!


(ムキンポさん撮影)

今日は・・・・
東京国際映画祭で 「地下広場」 みて感動し、背中を押されたと言われて
『マガジン9条』 でお仕事をされているO田さんが立ちました。
「まず、日本から。」「まずにほんが」とプラカードを作り立ちました。
地上は、少し雨に濡れながら三人のスタンディングでした。

地下広場は雨に濡れないから良いなぁ?。
そうです、昔も始める頃そんなことを考えたなぁ?と敷き詰められた
丸いデザインのタイルを見ながらおもいました。
このタイルも見られるのはあとわずかでしょうね。
いま、張り替え中!寂しい光景が広がっています。



K島さんの力強い文字が立ちます。
隣は、Oさんです。
Oさんの 「辺野古 基地いらない」 はフォトアルバムに掲載しました。



地上から降りて広場に立ちます。
側で、今日は警察官も!立ちました!!



何時も辺野古支援で立たれる斉藤さんが
「今日は、用があって」と丁寧に立ち寄ってくださいました。



出先からと言われてAさんが私の辺野古支援のプラカードを持ち
Sさんと同じ柱で意思表示でした。
周りを電車がとまっているのでしょうかタクシーを待つ人で
囲まれていました。



今日は、警察官が多かった!
映画の「地下広場」ほどではありませんが多い日でした。
やっていますよ!荷物検査!!
「何処行くの」「家に帰るの」
大きなお世話だと思うのですが・・・若者は応えます。
「ヨドバシカメラ!」・・・・ってね。
何人目かの若者に「見せなくてもいいのよ」と言いに行くと
警察官は「ちょっとこっちへ」と言って若者を連れて行ってしまいました。
怖い時代を作るベースになるようでほんとうに見ていて怖い。



kiss-meさん、この方が立たれると広場が明るく、楽しくなります。
タイトルは「防衛利権」
ゴルフをしている人・・・誰だ!
あれぇ!ゴルフのクラブに三人の顔・・・誰だ!!


(ムキンポさんのサイトからお借りしました)

私の新しい歳のスタートの日です。
明るく、楽しく、大らかに、元気な背中でいたいなぁ?。
(07-10-29・おおきせいこ)
seiko@seiko-jiro.net

投稿者 : seiko 投稿日時: 2007-10-22 00:46:24 (1661 ヒット)


ふたりと7人!国際反戦デー前日の土曜日!  大木晴子

皆さん?!今週号から100円値上がりしましたよ!!
ビッグイシューは、300円になりました。
販売している人たちの手に160円!
「高くなって離れて行く人が・・・」不安を抱えながら
新価格がスタートしました。
皆さん?、買ってくださいね。
時々、友だちにプレゼントして、読者を増やしてください!!



地上は、雲さんとふたりでした。
写真は、Mさんに撮っていただきました。



6時、地下広場に降りてもしばらくふたりでした。
珍しい土曜日になりました。



斉藤さんが立ちます。



K島さん、K松さんが立ちます。



Sさんも立ちます。
広告塔が、プラカードをひきたてます。



今週は、忘れません。
しっかり撮りました。
Kシスターが立ちます。



広場には、立ち止まり見つめる眼があります。



可愛い眼もあります。
国際反戦デー前日の土曜日
手のひらにのるくらいの小さな
ワンちゃんと出会いました。
(07-10-22・おおきせいこ)
seiko@seiko-jiro.net

投稿者 : seiko 投稿日時: 2007-10-14 01:52:28 (1538 ヒット)


育み方・・・土曜日の様子!        大木晴子

チャードルを身につけた親子
そして男の子がふたり・・・
母親は小さな赤ちゃんを抱いていた。
私が地下街から地上に階段を上がると
この親子と出会った。
写真の幼児がひいている大きな鞄を
赤ちゃんを抱きながら下に下ろそうと
しているところでした。
「私が持ちましょう」と声をかけた。
言葉がわからなかったようだが
態度と雰囲気でおもいは伝わり
家族で嬉しそうな顔でした。
4人の子どもといるこの母親は
静かで穏やかな様子に何かほっとする
そんな気持ちになりました。



地上の意思表示は、雲さんそしてTさんと三人でした。
さぁ、地下広場には何人立たれるのでしょうか。















写真は、10人、私をいれて11人、いいえ!
一人写すのを忘れました。
Kシスターが何時ものように「非戦」「平和」の
プラカードを持たれて元気に立ちました。
12名の声が「地下広場」に・・・・。



私のことば・・・・

無感心・無感動
そんな大人の
生き方を見つめる眼
子どもたちは!!
私たちの背を見ています。
(07-10-14・おおきせいこ)
seiko@seiko-jiro.net

投稿者 : seiko 投稿日時: 2007-10-11 23:32:39 (2669 ヒット)


この二編の文章は、「市民の意見30の会・東京」が発行しています
ニュース別冊号、「小田実さん追悼特集」号に掲載されたものです。

「フォークゲリラ開始の頃」        伊津信之介

 オダマコトは、僕の考え方の父だ。
これは僕が勝手に思っていることだが、そのわけを話そう。
浪人2回目大学受験生が、何気なく参加した「べトナム戦争反対」のデモは楽しかった。
何回か参加する内に同世代の少年少女の新鮮な発想と行動に惹かれ、
高校時代からの友人とギターを持ってデモに加わるようになった。
それは関西の連中がやってきた事に触発された行動だった。
1968年の冬、大阪の坂本さんやピンクが東京のべ平連デモで
反戦フォークを唄いながら歩いた。
その後、新宿駅西口地下広場を通りがかって、「いいねぇ、梅田地下街よりいいかも」
ということで始めたのが、フォークゲリラ開始のエピソードだ。
 中央集権的発想が当たり前の日本で、反戦運動が個人の自由と責任で広がり、
効果を生み出す事に心を奪われた。
今思い返せば、フラット・リンク・シェアという現代を象徴する動きを
先取りしたのが、オダテンの行動と思想だった。
それから約40年間の僕に、最も影響を与え、思考の原点にあったのは、
オダテンであり、ナイカクと呼んでいた30?40代のベ平連を支えた人々だった。
何か読むべき本がありますか?と小田さんに尋ねた時に、
ナットヘントフのジャズカントリーを読んだらいいと薦められた。
いつの間にか小田さんの語る内容は、僕の考えにとけ込んでいった。
もちろん小田さん以外にもいろいろな人たちの影響を受けたのが、
1968年から1970年頃の数年だった。
「論理と倫理を区別して考えないといけないよ」と言ってくれた人がいた。
この言葉は僕の思考回路の大事な分岐になっている。
ベトナム戦争反対だけの運動を始めた小田さんと同じ発想で、
新宿駅西口地下広場で反戦フォークを歌い始めた当時、歌い手の
パフォーマンスの良し悪しで立ち止まる人の数が変わった。
僕は人を立ち止ませることはできなかったが、仲間のゴリには人垣ができた。
そのパフォーマンスに相応しい人がいるようだと感じた。
小田さんもベトナム戦争反対のパフォーマンスに相応しい人だった。
それは既成の運動とは違う『発想』『スタイル』『パフォーマンス』であった。
1970年代後半から日本ではこんなパフォーマンスも受け入れられなくなった。
金もうけが全て。閉塞感に覆い尽くされ、息苦しい時代が今に続く。
1960年代末に小田さんたちに学んだ僕は、僕なりに考える、
考えこむ前に行動する、ことを模索してきた。
しかし新宿駅西口地下広場のフォークにまつわるさまざまな
出来事は、単純な思考を超えるものであった。
『効果』を高めることが『目的』といった判断をしてしまうことは危険だ。
人がたくさん集まることは、効果的で、目的達成に近づくという発想を僕は嫌ってきた。
その反面で効果を意識して考え、行動する自分がいつの間にか現れる。
僕も60才を迎えた。これからは、効果を考えない。
効果を考えてしまったら、そうでない選択を十分に模索する。
慎重になるという訳ではないが、目的のために功利的にならない自分をつくっていきたい。


(追悼デモに参加した伊津さん、小田さんの写真を持って胸には
「殺すな」マーク 撮影:大木晴子)
伊津信之介 (いづ・しんのすけ)

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「小田さんの大きな手」 大木晴子

2002年の春と初夏、二度のベトナムは小田実さんと一緒の旅でした。
最初の旅でホーチミン市チョロン地区にある活気を感じる寺を訪ねました。
ここの神さまは雲に乗って自由に旅が出来るため遠い海でも人々を助ける
航海の安全の守り神と言われています。


(撮影:大木茂)

この寺で天井から渦を巻いて垂れ下がるお線香を小田さんは捧げ祈られた。

大きな手を頭の高さに挙げて祈られた。

小田さんは、世界を歩き悲惨な死をとげなければならなかった
多くの御霊と出会った方。
きっとあわせた大きな手に込められた平和への願いは・・・・
と私はその光景の中でシャッターを押しながら思っていました。

この旅でその大きな小田さんの手で私は背中を叩かれました。
話しの前後は覚えていないのですが、「何かこうなったらいいのになぁ?」
と希望を言うと「あんたがやればいい。」と言われて・・・・・
大きな手は、私の背中に痛みとそして優しい温もりを残し
それは何時しか勇気という力になって育っていきました。

ベトナムへ行った次の年、イラク戦争が始まる一ヶ月前から、
昔、フォークソングを歌ったあの新宿西口広場で反戦の意思表示を始めました。
今年、五年目に入りました。
毎週土曜日、10人?20人弱の人たちが立ち続けています。
私はホームページでその様子を書き続けています。
これからは、もっと小田さんの大きな手の温もりを感じながら
平和を育んでいきたいと思います。
(おおき・せいこ)
seiko@seiko-jiro.net


(2002年の春、小田さんと行ったベトナムで
偶然に伊津さんと出会いました。撮影:大木茂)

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