この二編の文章は、「市民の意見30の会・東京」が発行しています
ニュース別冊号、「小田実さん追悼特集」号に掲載されたものです。
「フォークゲリラ開始の頃」 伊津信之介
オダマコトは、僕の考え方の父だ。
これは僕が勝手に思っていることだが、そのわけを話そう。
浪人2回目大学受験生が、何気なく参加した「べトナム戦争反対」のデモは楽しかった。
何回か参加する内に同世代の少年少女の新鮮な発想と行動に惹かれ、
高校時代からの友人とギターを持ってデモに加わるようになった。
それは関西の連中がやってきた事に触発された行動だった。
1968年の冬、大阪の坂本さんやピンクが東京のべ平連デモで
反戦フォークを唄いながら歩いた。
その後、新宿駅西口地下広場を通りがかって、「いいねぇ、梅田地下街よりいいかも」
ということで始めたのが、フォークゲリラ開始のエピソードだ。
中央集権的発想が当たり前の日本で、反戦運動が個人の自由と責任で広がり、
効果を生み出す事に心を奪われた。
今思い返せば、フラット・リンク・シェアという現代を象徴する動きを
先取りしたのが、オダテンの行動と思想だった。
それから約40年間の僕に、最も影響を与え、思考の原点にあったのは、
オダテンであり、ナイカクと呼んでいた30?40代のベ平連を支えた人々だった。
何か読むべき本がありますか?と小田さんに尋ねた時に、
ナットヘントフのジャズカントリーを読んだらいいと薦められた。
いつの間にか小田さんの語る内容は、僕の考えにとけ込んでいった。
もちろん小田さん以外にもいろいろな人たちの影響を受けたのが、
1968年から1970年頃の数年だった。
「論理と倫理を区別して考えないといけないよ」と言ってくれた人がいた。
この言葉は僕の思考回路の大事な分岐になっている。
ベトナム戦争反対だけの運動を始めた小田さんと同じ発想で、
新宿駅西口地下広場で反戦フォークを歌い始めた当時、歌い手の
パフォーマンスの良し悪しで立ち止まる人の数が変わった。
僕は人を立ち止ませることはできなかったが、仲間のゴリには人垣ができた。
そのパフォーマンスに相応しい人がいるようだと感じた。
小田さんもベトナム戦争反対のパフォーマンスに相応しい人だった。
それは既成の運動とは違う『発想』『スタイル』『パフォーマンス』であった。
1970年代後半から日本ではこんなパフォーマンスも受け入れられなくなった。
金もうけが全て。閉塞感に覆い尽くされ、息苦しい時代が今に続く。
1960年代末に小田さんたちに学んだ僕は、僕なりに考える、
考えこむ前に行動する、ことを模索してきた。
しかし新宿駅西口地下広場のフォークにまつわるさまざまな
出来事は、単純な思考を超えるものであった。
『効果』を高めることが『目的』といった判断をしてしまうことは危険だ。
人がたくさん集まることは、効果的で、目的達成に近づくという発想を僕は嫌ってきた。
その反面で効果を意識して考え、行動する自分がいつの間にか現れる。
僕も60才を迎えた。これからは、効果を考えない。
効果を考えてしまったら、そうでない選択を十分に模索する。
慎重になるという訳ではないが、目的のために功利的にならない自分をつくっていきたい。
(追悼デモに参加した伊津さん、小田さんの写真を持って胸には
「殺すな」マーク 撮影:大木晴子)
(伊津信之介 (いづ・しんのすけ)
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「小田さんの大きな手」 大木晴子
2002年の春と初夏、二度のベトナムは小田実さんと一緒の旅でした。
最初の旅でホーチミン市チョロン地区にある活気を感じる寺を訪ねました。
ここの神さまは雲に乗って自由に旅が出来るため遠い海でも人々を助ける
航海の安全の守り神と言われています。
(撮影:大木茂)
この寺で天井から渦を巻いて垂れ下がるお線香を小田さんは捧げ祈られた。
大きな手を頭の高さに挙げて祈られた。
小田さんは、世界を歩き悲惨な死をとげなければならなかった
多くの御霊と出会った方。
きっとあわせた大きな手に込められた平和への願いは・・・・
と私はその光景の中でシャッターを押しながら思っていました。
この旅でその大きな小田さんの手で私は背中を叩かれました。
話しの前後は覚えていないのですが、「何かこうなったらいいのになぁ?」
と希望を言うと「あんたがやればいい。」と言われて・・・・・
大きな手は、私の背中に痛みとそして優しい温もりを残し
それは何時しか勇気という力になって育っていきました。
ベトナムへ行った次の年、イラク戦争が始まる一ヶ月前から、
昔、フォークソングを歌ったあの新宿西口広場で反戦の意思表示を始めました。
今年、五年目に入りました。
毎週土曜日、10人?20人弱の人たちが立ち続けています。
私はホームページでその様子を書き続けています。
これからは、もっと小田さんの大きな手の温もりを感じながら
平和を育んでいきたいと思います。
(おおき・せいこ)
seiko@seiko-jiro.net
(2002年の春、小田さんと行ったベトナムで
偶然に伊津さんと出会いました。撮影:大木茂)
小田実さんが活きた!素敵な神無月最初の土曜日! 大木晴子
池袋の 豊島区民センター で行なわれた集会から
急いで新宿へ雲さんと向かいました。
15分ほど休憩をとって5時にビッグイシューを販売する
Mさんの隣で立ち始めました。
会に参加していたK島さん、小牧みどりさん、Aさんが次々に立ち始めます。
辺野古支援、 沖縄県民大会 に参加したTさんも会議に行く前に
地上だけと言われてたたれました。
そしてKさんが辺野古支援のチラシをくばります。
声をかけてくださる方もおられます。
集会で沖縄・辺野古へたくさんカンパをしていただきました。
そのカンパ箱を足下に置くと隣に立つMさんがそして今日は
沖縄出身のホームレスの男性が先週私が差し上げた布のポシェットから
財布を出して「少しだけ」と言われてカンパ箱の中に・・・・。
貴重品は身につけていたほうが良いので軽いポシェットをとおもい、
お渡しした物を大切に使っていただいて感激でした、
ご自分も大変なのに沖縄の皆さんのことを心配されて心を繋げた
行動に心が温かくなりました。
西口の金額は少ないものですがその中に込められた想いは
大きくそして温かさがいっぱい詰まっています。
カンパは合わせて、37596円になりました。
”皆さん!ありがとうございました”
8日に送金をいたしました。
会計報告は 辺野古支援カンパ報告ページ に掲載しています。
さぁ、6時地下広場で意思表示が始まります。
今日は、とてもきれいな意思表示で広場が明るくなりました。
Oさん、手づくりの辺野古支援です。
可愛い魚が泳ぎ、沖縄をイメージ出来る花がプリントされている布で
「辺野古 基地 いらない」と力強くその文字は柱の明かりと一緒に
行き交う人々にメッセージを送り続けました。
K島さんと小牧みどりさんです。
小牧さんは、私の丸木美術館支援のプラカードを!!
「沖縄の海を米軍基地に渡すな」
Tさんの言葉がひびきます。
久しぶりに立たれた kiss-meさん は
もちろん、ビルマのことを思って立たれます。
今日の広場は露骨な荷物検査!
えっ!警察官が手を入れて見ている!!
私は嫌!これって断ること出来ますよ!!
KシスターがK松さんがそしてAさんが立っています。
声をかけてくれた男性は、8月4日の 小田さんの追悼デモ 後の
集会で私が伝えた西口のスタンディングの話しを忘れないで
声をかけてくださいました。
皆さん、とても感動して嬉しそうな顔をされていました。
嬉しいことは、続きます。
京都から来られた 荒井さん がまた立たれました。
月一回の意思表示は、場所をかえて二カ所でなさっていると言われて
持つプラカードにも、花を一輪さすところがついていました。
おもいを重ねて努力しておられるんだなぁ?と学ばせていただきました。
荒井さんの横には、レインボーのKさん、大きなプラカードを持つ
Kさんがいます。
Sさんが何時も立つ柱には、托鉢をされているお坊さんが立ちました。
Sさんは、その前の柱で向き合って意思表示になりました。
「テロ特措法」と言えば、10月23日に 国会前ヒューマンチェーン があります。
スケジュールに入れてくださいね!!
私は、プラカードのジローを連れて行こう!!
神無月最初の土曜日は、小田実さんが私の中で活きた日になりました。
多分、これからも・・・・・。
(07-10-08・おおきせいこ)
seiko@seiko-jiro.net
自分を見つめた!長月最後の土曜日 大木晴子
忙しい土曜日になりました。
先ずは、ジローとゆきが元気がない!!
散歩は、はじめは二頭で出かけたがリズムが合わずに
一度戻り、ひとりずつ出かけることに。
ジローが歩かない!何時もの倍も時間がかかりました。
この時点で、今日出かけたかった集会等をあきらめました。
電話が鳴って 玉電の写真展 に
雨宮剛さん が来てくださったとラルーから・・。
難民問題でお知り合いになった雨宮さんは、学生の頃に
大橋に住まわれていてこの玉電に乗って通われていたそうです。
懐かしいお話をたくさん聞かせていただきました。
今日は、何時もより多い荷物を持って新宿へ出かけました。
先週、沖縄出身のホームレスの方が夏服しかないのでスボンが
ほしいと言われ、長袖のシャツ類と一緒に届けました。
急に冷え込んできたのでとても喜ばれて直ぐに着替えていました。
側では、何時もの易者さん、里親を捜すワンちゃんたちがいました。
ビッグイシューを販売するMさんは、お休みでした。
雲さんも旅行中、Kさんは集会へ今日は一人で
地上の灯をともし続けました。
6時、地下広場です。
斉藤さんとK島さんがいました。
K島さんのスケッチブックは30冊目に入りました。
凄い!!
3人かなぁ?と思ったらOさんがプラカードを書き始めました。
そのプラカードの言葉を読んだとき、涙がこぼれそうになりました。
「沈黙してはいけない」
大きな声で叫びたくなりました。
そして、「殺すな」・・・・と。
ムキンポさんとAさんが立ちます。
ここは、広場です。
知り合いが通ります。
今日は、ムキンポさんのお知り合いが・・・・。
ここは、広場です。
話しかける人も!
考え方も様々です。
自分の思いを伝えること、大切!!
KシスターもK松さんも一生懸命話しています。
もうあまり時間がありません。
でも、駆けつけます。
10分でも、20分でも!!
SさんとレインボーのKさんです。
数分前でも、駆けつけます。
男性Tさん、遠いのに駆けつけます。
女性のTさんは、沖縄!辺野古支援へ。
みんな、繋がっています。
県民大会が行なわれた沖縄と繋がっています。
そして、ビルマにも想いを馳せています。
きょう、ここに立つことが出来なかった
たくさんの個のおもい、繋がっています。
【07-10-01・おおきせいこ)
「おもうわよ・・・・」 大木晴子
2007年9月22日、5時少し前から立ち始めた新宿西口地上は
脇で歌い始める若者が「隣で歌いますがうるさくありませんか。」と
声をかけてくれたり、立ち止まって私が持つ辺野古支援の
プラカードを見つめる青年が声をかけてくれたり優しい
気持ちになれるスタンディングでした。
「ぼく、石垣島からきました」・・・と。
私がこれ以上沖縄に苦しみを押し付けることは出来ないと話すと
彼は目頭をおさえ「涙が出ます」と言ってカンパを入れてくれました。
私も身体の中からジ?ンと来る熱いおもいに涙がこぼれそうでした。
そして「沖縄のことを考えてくれて嬉しいです。」と青年は言いました。
私は、最近読んだきっこさんの 日記 の「おもうわよ」と
いう言葉を心の中でつぶやきました。
今日は、なかなか集まらない沖縄へのカンパ!
気合いを入れてプラカードを持ちたいとおもいました。
五千円貯まったら送ろう!と決めたのですが
なかなかその金額にはなりません。
でも、お金と一緒に入れていただく素敵な気持ちは
たくさん、たくさんカンパ箱に入りました。
行き帰りの荷物がだんだん“おもく”なります。
地上は、雲さんと 小牧みどりさん が立ちました。
6時、K島さんの言葉が立ち始めます。
計算するのも怖くなるほど福田さんに決まるまでに使った税金!
いま、この時にも生活保護がもらえなくて苦しんでいる人がいるのに・・・・
「あまりにもひどい」K島さんの言葉が心に残ります。
地上でも視線を集めていた雲さんが描いた似顔絵です。
K松さんも感心して見入っていました。
先週休まれた斉藤さん、床屋さんに行って
すっきりしたヘヤースタイルで立たれました。
沖縄支援が続きます。
男性Tさん、沖縄の美しい海の写真で意思表示です。
女性のTさんも沖縄支援です。
9月29日に行なわれる 沖縄県民大会 に参加して辺野古へ行かれると
聞き、またまた頭の下がるおもいです。
Tさん!私たちの気持ちも一緒に届けてくださいね!!
まだまだ、沖縄支援が続きます。
大きな意思表示に人々の眼がとまります。
若い二人が立ち止まります。
最後に私にニッコリ素敵な笑顔を残してくれました。
Oさんと久しぶりに立たれたYさんです。
話したいことたくさんあります。
戦争が残すものを考えて!
I美さんは、「東海村臨界被曝事故を忘れない」
8周年の集会 に向けて力を注がれています。
クリスチャンのSさんが持つプラカードに
声がかかりました。
思いを語り合う・・・ここは広場です。
小牧さんも一生懸命話していました。
写真の真ん中の男性は、「長いこと見てたけど
これって70周年のお祝いみたいにおもわれるのでは・・」と
プラカードの書き方に注文意見がでました。
Sさんも少し納得!そこからまた心が繋がっていきます。
ここは広場です。若者が携帯で写真を撮っていきました。
表示もほら!地下広場です。
地下広場と言えば、”第20回東京国際映画祭”で
記録映画 「地下広場」 が上映されます。
今日は、 拾ったカメラ で撮影してみました。
(07-09-24・おおきせいこ)
seiko@seiko-jiro.net
(ムキンポさんのサイトからお借りしました。)
歩いて、歩いて、歩いた日 暑い?土曜日! 大木晴子
「御成門」、「赤羽橋」どちらから行くか迷いながら乗り換えが便利な
大江戸線を選び目的地まで歩き出しました。
でも、道に迷い歩いて歩いて駅で飲んだお茶が身体から
出てしまうほど汗をかいてやっと着きました。
「御成門」の駅が近い?。
会場に着くと暑いので皆さんステージから離れて日陰に!!
たくさんのブースがあり、楽しい催しでした。
防衛省前行動で一緒の辺野古支援のコーナーに荷物を置かせていただきました。
カンパ箱やプラカードも仲間に入れていただきました。
側には、 29日の集会 案内もありました。
舞台では、若者たちの歌やメッセージが聞こえています。
メッセージと言えば、グリーンピース・ジャパンへ
あなたのメッセージ を送られましたか。
9月26日までですよ!
事務局長の 星川淳さん も話されていました。
東京タワー下 で行なわれた「9.15 Peace Day Tokyo 2007」その会場で
ビデオプレスの松原明さんにインタビューを受けました。
この 画像に出てきます。
PEACE ONの 相澤恭行さん に東京タワーをバックに
ジローのプラカードを持って写していただきました。
ムキンポさんもアラブの衣装を着て“良く似合っていましたよ”
参議院議員になられた 川田龍平さん も撮られた写真を見て嬉しそうでした。
素敵な表情に良いお仕事をされているんだなぁ?と嬉しくなりました。
3時から暑い、熱いデモで 歩き 歩きました。
デモ隊が会場に戻るころ、Kさんの子ども とやっと出会いました。
大きくなっていました。可愛いなぁ?。
疲れが何処かに飛んでいったような元気をもらいました。
あれ!後ろに写っているのは、ビルマ勝手連の皆さんですね。
18日は渋谷でデモがありますね。(いろいろお知らせに掲載!)
さぁ、新宿へ!!
いつも辺野古支援で西口に立たれるTさんは、暑い会場
「戦争と女性への暴力日本ネットワーク」 のブースで
西野 瑠美子さん たちと頑張っています。
さぁ、西口も張り切って!!
5時少し前から立ち始めました。
雲さん、AさんがそしてKさんがチラシを配り始めました。
今日は、素敵な若い女性がおふたりも声をかけてくださいました。
お一人は、昼間の会場で見かけた方です。
Tさんから西口の様子を聞いて訪ねてくださいました。
こんなかたちの繋がり嬉しいですね。
もうお一方は、 「マガジン9条」 のスタッフOさんでした。
カンパを入れてくださいました。
感謝です?。そして、今日もまた隣のMさんからも入れていただきました。
でも、でもカンパは、なかなか集まりません!!
もう一週、頑張るぞ!! 5000円を超えたら送ります!!
6時、地下広場に個のおもいが立ちます。
雲さんは、いつもプラカードを二種類用意しています。
今日は、辺野古そしてイラクです。
一年半、持ち続けている大きなKさんのプラカードです。
読みやすいので足をとめて、じっくりと読んでいかれる人もいます。
「きょうは、書けなくて前のを!」と言われてK島さん。
いろいろあった週、私たちも疲れましたね。
今週も頑張った!百合の花さんです。
プラカードが大きくなって見やすいなぁ?。
私はいま、自分と向き合っているんだなぁ?とおもいながら見つめていました。
向こうの柱では、SさんとAさんが意思表示です。
Sさんの「きっぱりNO!!」いいですね。
Aさんのところには、Nさんが用事で立ち寄りました。
Kシスターは素敵な先生なんだなぁ?教え子さんが時々一緒に立たれます。
何か聞きにいらしたりして楽し気な雰囲気に心が温かくなります。
良いなぁ?英語がわかったら毎日何百と来る英字のメイルが読めるのに
みんな、ゴミ箱に行ってしまいます!!
(ほとんど宣伝!!)
Iさんは昼間のデモも一緒に歩きました。
イベントが終わってムキンポさんと駆けつけてくださいました。
彼女も愛犬でプラカードがほしいなぁ?とジローを見ながら言っていました。
暑い、長い一日でした。
この幼子が自分の手で自由な世界へ力いっぱい羽ばたいていけるように
未来が争いのない希望に満ちた優しい世界でありますように
心から願った日でもありました。
(07-09-17・おおきせいこ)