「日傘」 大木晴子
今年の暑い夏は、初めて日傘をさしてみたいと思いました。
時折、傘屋さんをのぞいて見たりしましたがなかなか気に入った物に出会えずそのまま秋をむかえました。
幾つも台風が過ぎ去った頃に義父が学校時代の仲間と連れ合いの運転する車で出かけました。そのうちのお一人から「これはあなたの奥さんが使われると良いですよ」と夫に義母の方見分けの日傘が手渡されました。義父の話だと義母がとっても気に入って糸を染めて織ってもらった布で拵えてもらった「日傘」だと言う話でした。その日傘は、紬のような織りによく見ると幾つもの色がさりげなく混じり、シマがモダンな感じがして少しも古く感じません。
十五年前に亡くなった義母の方見分けは、義父と義妹がしました。
私は一つだけ義母の方見分けには、望みがありましたがそれはかないませんでした。
義母は洋裁が上手でした。仮縫いの時の縫い目までが凄く丁寧でいつもビックリしていました。ですからくるいの無いそれは着やすい服に仕立て上がるのです。近所に住む義母の友人はきっと彼女の拵えた服なら大切に着てくださるだろう。だから皆さんに一着ずつ差し上げて「季節ごとに街で義母が作った服を着た方に出会える」素敵だろうなぁーと思いました。母がそこに活きていると感じられると嬉しいと思いました。
そんな思いがやっと薄れてきた頃に義母の「日傘」が私のもとに戻ってきました。
傘を開き肩に触れると「晴子さん、使ってね」そう母の声が・・・・。
もう探さなくていいなぁー 日傘を。(おおきせいこ)
「私の三泊四日・・・サクランボの思い出」 大木晴子
今年も500グラム入ったサクランボのパックを両手に持って35年前のあの日を思い出し、その味を確かめながら幸せな時を過ごすことが出来ました。
1969年の7月も太陽がまぶしい暑い夏でした。
http://seiko-jiro.net/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=506
私は「草の根通信」に掲載された文章にも書きましたが、新宿西口地下広場が通路に変わり、「道交法違反」で14日の昼間に勤めていた出版社近くで「令状逮捕」されました。
三泊四日のその時間は、いまでは考えられないほど、人情味あふれた人々との出会いを、思い返しても貴重な体験だったと思えるのです。
最初に連れて行かれた新宿署では、私は「黙秘します」と言っても向こうは「せいこちゃん」と呼んでそれは親切な対応でした。
私は、“悪いことしていない”と思っていますから普段より観察力が働いて見るもの聞くもの珍しく、テレビで見る取調室と違うなぁーなんて思ったり、菊屋橋警察署への移動では、鉄格子の入った車の窓から神保町の交差点が見えると思わず「会社の側だわ」と大きな声で言ってしまったり、いま思い返すと若かったなぁーと苦笑しています。
今はわかりませんが、当時は女性だけの留置場が菊屋橋署にはありました。私もそこへ送られました。
身体検査があり、ヒモになるような下着は取られ私は二人部屋へ入りました。
同室の女性は、歳は30少し前ぐらいそれは美しいお姉さんでした。
二人で向かい合い膝を立てて座ると、高い天窓から「友よ・・この闇の向こうには・・・」と聞き慣れた声が響いてきました。私は立ち上がり流れる涙を両手でふきながらみんなの歌声に震える唇を合わせていました。
不思議そうに見ていたお姉さんは、「どうしたの」と声をかけてくれました。
私は西口でのこと、令状逮捕されたことそして仲間が支援の為に歌ってくれている事を話すと彼女は「あんた、幸せな人だねぇー」と。
お姉さんを見ると涙を流していました。
歌が聞えなくなって、また向かい合って座ると「あんた、『つつもたせ』知ってるかい」と聞かれました。
「いいえ」と答えると連れ合いと一緒に捕まった様子を詳しく話してくれました。(自由の身になった時、辞書を引いて初めてつつもたせが美人局と書くのだと知りました。そして、その言葉の向こうには、辛い悲しい思いをしている人がいるのだとこの時、学ぶことが出来ました。)
食事の少し前に、看守のおじさんに呼ばれました。
小さな部屋に通されると机の上にきれいな赤い、可愛いサクランボの入ったパックが置かれていました。
「洗ってあるから食べなさい」「差し入れだからね」と優しく伝えてくれました。
嬉しかった!美味しかった!いまもその時食べたサクランボの味を思い出すことが出来ます。
あれから35年、毎年この季節が来ると情が感じられた人々との出会いを懐かしく思い出し、サクランボを差し入れてくれた連れ合いに感謝しているのです。(おおきせいこ)
春の香りを楽しむ「春巻き」 大木晴子
もうすぐ、八百屋さんの店先に筍が並びます。
ヌカを入れて湯がき、冷めるまでゆっくりまつ、
そして真水にさらしながら「どんなお料理を作ろう」と考える。
先の柔らかいところは、ワサビ醤油でサシミに!
その次は、木の芽合えに、そしてさっと和風味でワカメと煮物にします。
最後には、かたい部分は、春巻きにしましょう。
パリッと春巻きの皮が割れ口の中に春の香りが飛び込んできます。
年に一度ぐらいのんびり食材と向き合いながら作る一品があっても良いですよね。
この春巻きの作り方は、友人のUさんから教わりました。
Uさんとは、子どもが欲しいと思い続けていたころにK病院で出会いました。
何十人と無言で診察を待つ中で隣どうしで座ったのが始まりでした。
話をすると不思議なことに、我家から一本道を隔てたところに住んでいました。
それから共に苦しさを分かち合う友になり、私も彼女もお母さんには、
なれませんでしたがこの時期に人の痛みを感じることの出来る優しさを
身をもって学ぶことができたこと感謝しています。
Uさんから伝授していただいたこの料理は、来客や集まりに料理を
作ることの多い私はいつも感謝しています。
もう何百本も作りました。その時々に、味を替えて作り続けた「春巻き」です。
筍の水煮を使って一年中作ることはできますが、
ぜひ春の香りの「春巻き」を楽しんでいただきたいと思います。
http://www.seiko-jiro.net/modules/wfsection/article.php?articleid=19
(おおきせいこ)
「ある友人-棺に収められた人形」 大木晴子
柩に横たわる母の足元に振り袖を着た人形が納められ、
私の左手が母の胸もとにそっとおかれている・・・。
私のアルバムには、そんな一枚の写真がある。
朱色の着物を着たこの人形は、背丈が五十センチから六十センチ
くらいあり、前髪をたらし黒髪が肩まで届き、
かすかな笑みを目と口元に感じさせる。
彼女は、いつも母の部屋にいた。
私と十五歳違う兄が生まれた時に買ったというこの人形は、
当時、「久月」の一番弟子といわれていた職人さんが
作ってくれたと母がよく話していた。
里帰りしたある日、私は母に「この人形いつか私に頂だいね」
となにげなく言った。
母は真面目な顔をしてこう答えた。
「だめ。この人形は私が連れていくのよ私が死んだらかならず、
柩の中に入れてね。この子は、私と一緒に生きてきた。
あたしの人生をずっと見つづけてくれたわ」。
彼女を見つめる母のまなざしは、
まるで、信頼に満ちた友を見るように暖かく感じられた。
私が大人になって知ったのだが、父には別宅があり、
ヤスさんという人がいた。
母は父より一年早く亡くなったこの人の命日に
花を飾り線香をたむけていた。
いつも穏やかで人をとやかく言うことがなかった母だが、
きっと、嫉妬したり涙をいっぱい流したい時があったに違いない。
母はそんなとき、この人形に話しかけていたのではないだろうか。
母を優しく包みこんだ彼女は、母にとってかけがえのない
友人の一人だったと私は思う。
母が柩に納められた。
「晴子、お母さんの人形をいれたぞ」という兄の声がした。
私は「お母さん、一緒でよかったね」と、
そっと胸元で組んだ母の手をにぎった。
「意見広告」のデザインは、鈴木一誌さん。 大木晴子
「自衛隊のイラク派遣と憲法改悪に反対し、戦争への非協力を宣言する意見広告」は、一月の半ばに掲載されるようですね。
まだ、郵便局へいらしてない方は急いでくださいね。
紙面にお名前が!前回、5月に出した意見広告の時も間に合わなくて「ああ惜しかった」と思われた方がたくさんいらっしゃいました。
http://www.ikenkoukoku.jp/
もう一度、ホームページを訪ねて確認してください。
5月に出した「殺すな」「武力で平和は創れない」の意見広告は、西口地下広場の意思表示で持ち続けているプラカードです。
そのデザインの素晴らしさは人びとの眼を引きつけインパクトを与えています。拵えてくださったのは、グラフィックデザイナー鈴木一誌さんです。
http://www.ikenkoukoku.jp/renraku/tayori-design.htm
今年、皆さんは記録映画作家の土本典昭さんが出された「アフガニスタンの秘宝たち」という本(一枚一枚が葉書のスタイルになっています)をご覧になられた方も多いと思います。
いろいろなイベント会場の販売コーナーに置かれていました。
私は9・11チョムスキーの集会で買わせていただきました。
手に取った時になんて丁寧な造本、ページを開くのが心地よくて、後ろのページを見ると、ブックデザイン鈴木一誌さんとスタッフのお名前を拝見して納得しました。
我家のテーブルには、厚さ約4センチもある一冊の本が意思表示しています。時々眼があうとページを開き、読んでいます。
「映画監督 深作欣二」(ワイズ出版)
心根の優しい鈴木さんが拵えた本には、造り手が本と向き合って丁寧に優しくそして鋭くたたかった心地の良い緊張感を感じることができます。
今度の意見広告も鈴木一誌さんのデザインです。
さぁ、賛同してください。そして鈴木さんが拵えてくださる紙面に
あなたの声を、あなたの思いを載せましょう。
まだ、間に合います。郵便局へ走ってください。
私は2月7日(土)2年目をむかえる新宿西口地下広場でこの「意見広告」持って立つことを決めています。(おおきせいこ)
「自衛隊のイラク派遣と憲法改悪に反対し、戦争への非協力を宣言する意見広告」は、一月の半ばに掲載されるようですね。
まだ、郵便局へいらしてない方は急いでくださいね。
紙面にお名前が!前回、5月に出した意見広告の時も間に合わなくて「ああ惜しかった」と思われた方がたくさんいらっしゃいました。
http://www.ikenkoukoku.jp/
もう一度、ホームページを訪ねて確認してください。
5月に出した「殺すな」「武力で平和は創れない」の意見広告は、西口地下広場の意思表示で持ち続けているプラカードです。
そのデザインの素晴らしさは人びとの眼を引きつけインパクトを与えています。拵えてくださったのは、グラフィックデザイナー鈴木一誌さんです。
http://www.ikenkoukoku.jp/renraku/tayori-design.htm
今年、皆さんは記録映画作家の土本典昭さんが出された「アフガニスタンの秘宝たち」という本(一枚一枚が葉書のスタイルになっています)をご覧になられた方も多いと思います。
いろいろなイベント会場の販売コーナーに置かれていました。
私は9・11チョムスキーの集会で買わせていただきました。
手に取った時になんて丁寧な造本、ページを開くのが心地よくて、後ろのページを見ると、ブックデザイン鈴木一誌さんとスタッフのお名前を拝見して納得しました。
我家のテーブルには、厚さ約4センチもある一冊の本が意思表示しています。時々眼があうとページを開き、読んでいます。
「映画監督 深作欣二」(ワイズ出版)
心根の優しい鈴木さんが拵えた本には、造り手が本と向き合って丁寧に優しくそして鋭くたたかった心地の良い緊張感を感じることができます。
今度の意見広告も鈴木一誌さんのデザインです。
さぁ、賛同してください。そして鈴木さんが拵えてくださる紙面に
あなたの声を、あなたの思いを載せましょう。
まだ、間に合います。郵便局へ走ってください。
私は2月7日(土)2年目をむかえる新宿西口地下広場でこの「意見広告」持って立つことを決めています。(おおきせいこ)