2004年、最初の反戦意思表示。 大木晴子
1月3日の土曜日、今年も始りました。
用事を済ませて小田急前地上に5時30分。
もう雲さんが一人で立っていました。
戦闘機の数が増えているなぁーと雲さんのプラカードを
見ながら私も出しました「輝け!憲法9条」を。
そこへHさんがそして千代さんが一人二人と増えて6時に
地下広場へ移動する頃には7名の意思表示になりました。
今日、初めて参加されたご婦人はハンドバックに収まる位の可愛いプラカード。
この方は、このページのリンク集にある「私はイヤです」名古屋の
グループのホームページを訪ねられてそこのリンクにあった
「明日も晴れー大木晴子のページ」を見つけ西口へ。
「デモに持っていったこのプラカードを他ではなかなか出せなくて」と
言われ静かに立たれていました。
また、恵比寿や渋谷で行われている路上解放のデモでよく合う
若者二人も地上だけの飛び入り参加。
私が持っていたプラカードを持って少しの間でしたが意思表示。
とっても嬉しかった。また来てくださいね。
さぁ、新しい年!地下広場での意思表示が始りました。
広場の広告塔は、松井選手の大きな写真に替わりました。
手のひらを広げて前に伸びた手は、その前に立つ「自衛隊は行くな!」と言う
プラカードを応援しているように私にはそう見えました。
私は新年早々だし皆さん忙しいのでは、きっと、数人かなぁー参加者。
と考えて出かけてきましたが西口は元気です。
5本の柱に15人の思い思いの言葉がありました。
親子で「NO WAR」を持って立たれたOさん、
お子さんと会話が弾んでいました。
この広場での体験は冬休みのよい思い出になったのではないでしょうか。
お正月なのでと細井さんはよく似合うお着物で登場。
警備員さんに「今年もよろしく」と挨拶を。
暫くして、私の所に警備員さんがいらして
「素敵なお召し物の方から挨拶をされ時計が
狂ってしまいました。今日は少し早く立ちましたね。
まぁ、お正月だから」と言われて細井さん、
「私に直接言えばいいのに、極道の姐さんみたいで怖いのかしら」と一言。
「うーん。凄みは感じるよ」その調子で今年も頑張ろう。
今日、参加されたご婦人からメイルが届きました。
「立っている間ずっと「血まみれの鳩」が頭の中に響いていました。
何かしなければとんでもないことになる、と焦るばかりです。また立ちます。」
同じ思いでいる人たちがたくさんいるのではないでしょうか。
私のホームページは、初めて訪ねて下さる方々が毎日100名を超えています。
私自身、少し怖さを感じ、いま何をしなければいけないのかを考え、
神経を研ぎ澄まして平和への道を歩み続けたいと思います。
ご住職のFさんの「死ぬな!殺すな!戦うな!」の言葉が
印象に残った2004年最初の反戦意思表示でした。
(おおきせいこ)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
9月にこのホームページを立ち上げてから70本近くの文章を
掲載してきました。項目がわかりやすくするためにメイン画面
(ジローが出ている)のアルバム写真の下(画面左)に
「明日も晴れトピック」を設けました。
クリックしていただくと「地下広場」「反戦平和」「エッセイ」
「ジローの話」に別れています。
いままで、なかなか間にエッセイとジローの話を入れる
タイミングがつかめず悩んでいましたが、これで頑張れそうです。
文章の最後にあります「コメント」に感想など入れていただけると
これからの力になります。書き込んでください。
12月27日は、2003年、最後の土曜日。 大木晴子
2月1日から始めた反戦意思表示は、今日48回目の土曜日。
イラク戦争が始まり、戦争への道を歩き出す様々な法案が国会を通り、そして自衛隊のイラク派兵が現実となってしまった2003年。
私は手元に残っていた「意見広告」のチラシの締め切り日(12月30日 に)を書き換えて5時に新宿小田急デパート前地上で立ち始めました。いつもの「殺すな」と「殺すな!殺されるな。『自衛隊のイラク派兵反対』あなたの思いを意見広告で!意思表示!12月30日まで!まだ、間に合います。」と書いたプラカードと一緒にチラシを持って。
各地で雪の便りを聞いたこの日は、東京もほんとうに寒い日でした。
しかし、立って直ぐに怒りを覚える話を聞き、寒さを忘れてしまいました。
私が小田急前に着くと先週、取材に来ていた学生が一人立っていました。
少しおどおどした態度に「許可をもらいに行ってきたの」と問いかけると「撮影許可が出ませんでした」とがっかりした表情で言いました。
「えっ!それって何」と思わず大きな声で言ってしまいました。
彼は「駅周辺は、撮影禁止区域になっているのでダメだと言われた」言いました。
「あなた達も学校の先生もそれで引き下がってしまったの」
「これは、たいへんな事なのよ。前例をつくってしまうことも責任は大きいのよ。あなたはジャーナリストを目指して学ぼうとしているんでしょう。もっと、神経を研ぎ澄まして考えて、今の危機感を身体と心で受け止めて自分がしなくてはいけないことを見つけて頑張って欲しい。」と話し続けました。
学生さん!ほんとうは思いっきり頬を叩いてでもわかってほしい事ですよ。しっかり考えてね。
今日も地上は5名の参加、地下広場に移動する時に足の先に感覚が無い、寒かったけど心はまだ怒りが収まらず地下広場での意思表示が始まりました。
広場は、暮れも押し迫って参加者も少ないかなぁーと思っていましたが西口は元気、18名でした。
始めの頃は、一週間の疲れを背負って、それでも頑張ると立ち続けた皆さんでした。でも今は立つ前から優しく、力強い表情で立ち始めています。
広場を行き交う忙しい人びとの中で皆さんを拝見しているとホットします。
自分も頑張れると思います。
人を信じる事ができる幸せを肌で感じることができます。
皆さんは、何処かの偉い人のように「私が、私が」と言わない。
人の話を聞き、自分の意見も言う。
言い出しっぺの人に共感したら自分でできる事を一緒にする。
けっして無理はしない。
でも、土台で流れるリズムが、きっと似ているから意見が直ぐ合う。
素敵な仲間に出会えた2003年。私は・・・
何故か、風邪気味になる日は土曜日では無かった。
用事も他の日にできた。
義父の食事作りは、週に一度のお休みを土曜日にしてもらった。
だから土曜日は、新宿西口地下広場での反戦意思表示の日になった。
連れ合いの「気をつけて、頑張ってこいよ」と言う言葉とジローに
見送られての11ヶ月でした。
2004年は、もっと大きな声で言わなければいけない事がいっぱい。皆さん、頑張りましょう。
いつも背筋を伸ばし、堂々とプラカードを持って立たれている雲さんが風邪でお休みでした。雲さんが送って下さったメッセージを
掲載します。西口からの声です。(おおきせいこ)
★★★★★★★★★
今あなたはイラクの人を殺せますか?
自衛隊でなく九条をイラクへ、世界へ
「政府が決めてしまったから」といって、それだけで今あなたはイラクの人を殺せますか?
あなたの子供に、孫にイラクの人を殺させることができますか?
銃を持って戦闘地域に行くなら、その覚悟は必要です。
もし出来ないなら、あなたにできないことを、どうして自衛隊員にやらせるのですか。
イラク派兵を止めなければいけません。
私たちは58年前、戦争によって生み出されるものは、双方の民衆の悲惨だけだということを、数え切れない悲しい犠牲の下に確認しました。
だからこそ九条が生まれ、その平和憲法を護りつづけて来たのです。
イラクへ自衛隊が行ってはならないのは、「危険があるから」ではありません。如何なる武力行使・戦争にも反対だから行ってはならないのです。
日本政府はその原点をぼかし、なし崩しにしょうとするから、「腰抜けだ」、「ATMだ」と蔑まれるのです。
そうした批判に苛立つ国民の感情を利用して、政府は自衛隊をイラクに派兵することを決めました。うやむやの内に平和憲法を捨て去り、武力を前面に押し出した米国主導の経済戦争へ参加しようとしています。
今、世界は重要な岐路に立っているのです。このまま力によって世界を支配しようとする米国のやり方がまかり通って行くなら、世界中に難民があふれ地球は荒廃への一途をたどることになります。
今こそ九条の意義を世界に訴え、その精神を多くの国々に広げて行くことが必要です。どんな形でもいいから、反対の意思表示をしましょう。
私たちは新宿西口に立ちます。あなたは…。(雲)
2月1日から始めた反戦意思表示は、今日48回目の土曜日。
イラク戦争が始まり、戦争への道を歩き出す様々な法案が国会を通り、そして自衛隊のイラク派兵が現実となってしまった2003年。
私は手元に残っていた「意見広告」のチラシの締め切り日(12月30日 に)を書き換えて5時に新宿小田急デパート前地上で立ち始めました。いつもの「殺すな」と「殺すな!殺されるな。『自衛隊のイラク派兵反対』あなたの思いを意見広告で!意思表示!12月30日まで!まだ、間に合います。」と書いたプラカードと一緒にチラシを持って。
各地で雪の便りを聞いたこの日は、東京もほんとうに寒い日でした。
しかし、立って直ぐに怒りを覚える話を聞き、寒さを忘れてしまいました。
私が小田急前に着くと先週、取材に来ていた学生が一人立っていました。
少しおどおどした態度に「許可をもらいに行ってきたの」と問いかけると「撮影許可が出ませんでした」とがっかりした表情で言いました。
「えっ!それって何」と思わず大きな声で言ってしまいました。
彼は「駅周辺は、撮影禁止区域になっているのでダメだと言われた」言いました。
「あなた達も学校の先生もそれで引き下がってしまったの」
「これは、たいへんな事なのよ。前例をつくってしまうことも責任は大きいのよ。あなたはジャーナリストを目指して学ぼうとしているんでしょう。もっと、神経を研ぎ澄まして考えて、今の危機感を身体と心で受け止めて自分がしなくてはいけないことを見つけて頑張って欲しい。」と話し続けました。
学生さん!ほんとうは思いっきり頬を叩いてでもわかってほしい事ですよ。しっかり考えてね。
今日も地上は5名の参加、地下広場に移動する時に足の先に感覚が無い、寒かったけど心はまだ怒りが収まらず地下広場での意思表示が始まりました。
広場は、暮れも押し迫って参加者も少ないかなぁーと思っていましたが西口は元気、18名でした。
始めの頃は、一週間の疲れを背負って、それでも頑張ると立ち続けた皆さんでした。でも今は立つ前から優しく、力強い表情で立ち始めています。
広場を行き交う忙しい人びとの中で皆さんを拝見しているとホットします。
自分も頑張れると思います。
人を信じる事ができる幸せを肌で感じることができます。
皆さんは、何処かの偉い人のように「私が、私が」と言わない。
人の話を聞き、自分の意見も言う。
言い出しっぺの人に共感したら自分でできる事を一緒にする。
けっして無理はしない。
でも、土台で流れるリズムが、きっと似ているから意見が直ぐ合う。
素敵な仲間に出会えた2003年。私は・・・
何故か、風邪気味になる日は土曜日では無かった。
用事も他の日にできた。
義父の食事作りは、週に一度のお休みを土曜日にしてもらった。
だから土曜日は、新宿西口地下広場での反戦意思表示の日になった。
連れ合いの「気をつけて、頑張ってこいよ」と言う言葉とジローに
見送られての11ヶ月でした。
2004年は、もっと大きな声で言わなければいけない事がいっぱい。皆さん、頑張りましょう。
いつも背筋を伸ばし、堂々とプラカードを持って立たれている雲さんが風邪でお休みでした。雲さんが送って下さったメッセージを
掲載します。西口からの声です。(おおきせいこ)
★★★★★★★★★
今あなたはイラクの人を殺せますか?
自衛隊でなく九条をイラクへ、世界へ
「政府が決めてしまったから」といって、それだけで今あなたはイラクの人を殺せますか?
あなたの子供に、孫にイラクの人を殺させることができますか?
銃を持って戦闘地域に行くなら、その覚悟は必要です。
もし出来ないなら、あなたにできないことを、どうして自衛隊員にやらせるのですか。
イラク派兵を止めなければいけません。
私たちは58年前、戦争によって生み出されるものは、双方の民衆の悲惨だけだということを、数え切れない悲しい犠牲の下に確認しました。
だからこそ九条が生まれ、その平和憲法を護りつづけて来たのです。
イラクへ自衛隊が行ってはならないのは、「危険があるから」ではありません。如何なる武力行使・戦争にも反対だから行ってはならないのです。
日本政府はその原点をぼかし、なし崩しにしょうとするから、「腰抜けだ」、「ATMだ」と蔑まれるのです。
そうした批判に苛立つ国民の感情を利用して、政府は自衛隊をイラクに派兵することを決めました。うやむやの内に平和憲法を捨て去り、武力を前面に押し出した米国主導の経済戦争へ参加しようとしています。
今、世界は重要な岐路に立っているのです。このまま力によって世界を支配しようとする米国のやり方がまかり通って行くなら、世界中に難民があふれ地球は荒廃への一途をたどることになります。
今こそ九条の意義を世界に訴え、その精神を多くの国々に広げて行くことが必要です。どんな形でもいいから、反対の意思表示をしましょう。
私たちは新宿西口に立ちます。あなたは…。(雲)
12月20日の反戦意思表示!大木晴子
風が強く寒い一日でした。
午後私は、東銀座にある「銀座ニコンサロン」に出かけました。
八重樫信之写真展「それぞれのカミングアウト?ハンセン病回復者?」
(12月25日(木)まで、10;00?19;00・祝・日は休館)が見たかったのです。
入り口でいただいたメッセージに、八重樫さんがはじめて納骨堂を撮影された時に「骨つぼに書かれた名前が分からないよう撮って」と注意されて、「死んでまで自分を消さなければならないのだったら、この人たちに生きた証はあるのか」と強いショックを受けられたと書かれてありました。
展示された一枚一枚の写真に足が止まります。
「主人、嫁いだ娘、息子二人に「裁判をやるなら堂々と名前を出して信念を持ってやれ」とハッパをかけられ匿名ではなく本名でたたかった。」と金城さんは、優しい家族に囲まれて写っていました。
社会復帰者のお一人でいらした、今年亡くなられた島さんは「一人の人間が一生の間にするには余りあるほど厳しい人生でしたが小説を書いたり国を訴えたり良い人生を歩いてきたと今になって気づかされました」と。
写真を撮る側と写される側の心が鏡のようにうつしあっている作品。写真が展示されているその部屋は、大きな問題を投げかけられながらも心地の良い温もりを感じました。
黒川温泉事件で、まだまだハンセン病に関して無知からでる偏見や差別の問題をあらためて考えたいと、この写真展を拝見して思いました。
銀座から新宿へ、私が持っているプラカードを入れる黒い布の袋には、PEACEの文字を赤いフエルトでアップリケにしています。そして「殺すな」バッジを付けています。地下鉄の中でも目立ち、前に座っている人には、しっかり見ていただいています。
さぁ、新宿!時間は午後4時50分。
寒いけど始めました。出来たての1月31日のチラシと意見広告そして、「殺すな」と山本夜羽音さんの美少女のプラカードを持って立ち始めました。
直ぐに若者二人が通りすぎてまた戻ってチラシを持っていきました。
これって嬉しいですね。自分の意志だから!
そこへ雲さんが「クラス会では?」東中野は人がいなくて時間までと立たれました。これも凄い、地上は5人でした。
私は一時間が過ぎた頃、少し早めに地下広場へSさんが、Hさんがフライパンさんが一人ひとりと増えて広場は温もり始めました。
嬉しいことがありました。それは、三重県から上京された丁さんという若い娘さんが「大木さんですか」と言って声をかけてくれました。インターネットで私のページを見たと言われた時は、素敵!と思いました。丁さん、また参加してくださいね。待っています。
また今日は、専門学校 放送メディア科の学生4名が私たちの行動を撮りたいと張切ってやってきました。
しかし、広場は撮影も許されませんでした。
警備員の「警察に行って許可をとれ」と言う言葉に生徒は先生に電話を入れ、結果再度許可をもらって来ると言うことになりました。
「あなた達、ジャーナリストを目指すんでしょう。何で頑張らないの!」
細井さんと一緒に言いましたが、結果は遠い先ですね。
警備員さんとのやり取りこそ収めなければいけない映像だったのではないですか。学生さん!怖がらず自分の感性を信じて頑張ろう。
学生が警備員さんと揉め始めた時に、法律にも強い細井さんが話に行くと「リーダーの大木さんじゃなければ話さない」といわれたと私を呼びにきました。ここには、リーダーなんて誰もいません。
失礼です。みんな個人。一人ひとりが自分の意志で地下広場に来て意思表示しているのです。
私は思います。私たちがいる広場が大きな力で無くなるような事があればそれはもう生きていけないだろうなぁーって真剣に思います。
普通の生活を大切に生き、優しく生きたい、みんな幸せになれるように願い自分で出来ることを頑張る人たちに、今日も地下広場のスピーカーから警告が流されました。(おおきせいこ)
地下広場・デモ・デモ・外務省前の報告 大木晴子
雨の予報がはずれて良かった。
金曜の夜、東京は冷え込んでいたので土曜の西口やデモにはホカロンがいるかなぁーなんて考えていましたが予想ははずれました。
六日土曜日は、五時過ぎに新宿小田急デパート前に着くと雲さんがプラカードの用意を始めていました。雲さんは、断食を始められて地下広場に来られない日本山妙法寺のIさんからのメッセージ「イラク派兵は 人類絶滅の 一里塚”です」を素晴らしい書で拵えて立たれました。
私は「あなたは「死」を想像したことがありますか。それが事故や戦争で突然来る死を!世界のたくさんの国で子どもや市民そして兵士が受けた死を想像したことがありますか。さぁ、考えてください。一緒に考えましょう。
きっと。自衛隊をイラクに送りたくない。そう思えます。思えたら意思表示をしましょう。意見広告で!あなたの声を、メッセージを、個の小さな声がたくさん集まって大きな声にしましょう。」と「殺すな」のプラカードそして意見広告のチラシを持って立ちました。
四日の朝日新聞に載った「自衛官の妻、反対運動に参加」の記事を読んで自分からチラシを取っていただけたらと思いながら立っていました。
地上の一時間で五人の方が意見広告のチラシを持っていかれました。
Kさん、Mさんが参加で四人の地上での意思表示でした。
六時五分前に地下広場に移動です。
細井さんとHさんがもう立たれていました。
この日は、いろいろな集会があり皆さん思い思いの行動で地下広場はいつもより少ない十一人での意思表示でした。
今日は嬉しいなぁー。警備員さんが声をかけてくれました。
「今日は、目立った人いませんねぇー」
これを聞いて細井さんと大笑いでした。
そう言えば「戦争ハ地獄」の包帯を巻いた女性もリアルな子どもの人形を抱いたお母さんそしてレインボーの旗を着た人も今日は立っていませんでした。
地下広場でチラシは配れませんが、欲しそうな三名の方にはお渡ししました。
これで八名の人が月曜日には、郵便局へと思うと嬉しい。
七時、広場に立った十一人中七人がこの後デモへ。
恵比寿公園を出発した「ブッシュ・小泉の為に死ぬな、殺すなイラク派兵を止めよう12・6緊急行動」のデモは、この時間だと渋谷近くに来ているので私たちは、電車で渋谷へ移動しました。
渋谷の街は、クリスマスの飾り付けでピカピカ、子どもからお年寄りまで沢山の人・人でした。
デモは、恵比寿から明治通りを渋谷へ行進してきます。私たちは並木橋の方へ少し歩くと聞こえてきました。「こ・ろ・す・な」太鼓のリズムに合わせて元気な声が聞えてきました。
プラカードやレインボー旗を用意していた私たちは、デモ隊の後ろの方で軽快なオイル缶をたたく小田マサノリさん、太鼓をたたく若者数人、トランペット、サキソホーン、ボンゴ、シンバルそれから缶からをたたく若者それは楽しいリズムの中に参加しました。
息の合った参加者が心地の良いデモ行進を作り出しています。
人の出の多い場所では、目一杯の抗議行動が行われ座り込んで太鼓をたたく若者、音は身体に響き皆の顔の汗が輝いていました。
私は歩きながら手をたたいて応援をして下さる方に意見広告のチラシを。
月曜日に郵便局へ走って下さる方は全部で十五人になりました。
七日は「もう犠牲者はいらない わたしたちはイラク派兵の中止をもとめます!12・7市民緊急アクション」ピースパレードが銀座近くの水谷橋公園から日比谷公園まで行われました。
小さな公園は人であふれました。色とりどりの旗や横断幕、プラカードの言葉が会場をうめています。
参加人数も久し振りに多いなぁーと感じるデモでした。千人弱位でしょうか。
西口の仲間は十一名の参加でした。
私はこのデモでジャミーラ・高橋さんにお会いし前から撮らせていただきたかった劣化ウラン弾に被爆した手をカメラに収めることができました。
ジャミーラさんは、足の方がよくわかるからと寒い中靴下を脱いで見せて下さいました。夏はもっと大変だったと言われました。
何度も、何度もイラクを訪ねて被爆された手や足を見せていただきながら、現地で生きていかなければならない子どもや市民の皆さんの為に一日も早く争いが無くなり、今までに落とされ地中に埋まっている劣化ウラン弾を取り除く作業が一日も早く行って欲しいと願わずにはいられませんでした。
「小泉さん、ほんとうの援助って銃を持たせ自衛隊を出すことではないでしょう。早く、イラクの子どもたちがそして市民が安心して暮すことができ、病んでいる人が最適な医療を受けることが出きるように、私たちがしなければならない援助ではないのですか。」
デモの後は、西口の仲間と外務省前に抗議に行きました。
デモからの人たちも参加して暫く抗議行動が続きました。
ここで私たちは素敵なプラカードに出会いました。
漫画家の山本夜羽音さんが書かれた素晴らしいそのプラカードを西口の意思表示にいただいてしまいました。(フォトアルバムに掲載)
山本さん、感謝しています。西口にも参加してください。(おおきせいこ)
土曜日ではないけど意思表示! 大木晴子
11月2日(火)午後6時過ぎから7時40分まで意思表示。
前日の夜遅くにメイルが入りました。
「明日はなんとか 定時に退社できそうなので新宿西口地上小田急 歩道橋下でいつものごとく、反戦 意思表示をやります。」とKYさんからです。
朝になるとKさんからボクも立ちます。
そして私が「私も参加します」そして細井明美さんは「今日はお天気がいいので洋服を整理。ダンボールに2箱アフガニスタンへ送りました。いきおいで、う?ん、私も行きます。」とメイルでした。
連れ合いと新宿に出た私は、6時過ぎから一人で始めました。
細井さんとKYさんと並ぶ頃まで連れ合いが写真を撮ってくれましたのでフォトアルバムに掲載しました。
Kさんは、意見広告のチラシを渡していました。
私は「何か署名はないの」と声をかけられて意見広告のチラシを渡しました。きっとたくさんの人が何かしなければと思い始めているのではないでしょうか。
Sさんとなかのゆさんが参加です。なかのゆさんは、今日東口で5時から2時間行われたNGOピースボートの「小泉首相官邸のホームページに声を載せよう」街頭メールキャンペーンの帰りに参加でした。思ったより人が集まらなかったと少しがっかりしていらしたけど、頑張ろう諦めないで広げよう。
こうして6人の意思表示は、7時40分まで続きました。
KYさんの三段のプラカードには
★許すな!自衛隊
イラク派兵
殺すな!
殺されるな!
★小泉政府の米・英
戦争追従政策が
外交官を殺した!
★英雄に祭り上げて
死者を増やすな!
政府は米・英追従
政策を変更せよ!
殺された外交官の遺体を運ぶ写真も掲載されインパクトのある表示でした。
家に帰ると長い文章のファクシミリが届いていました。
大変感動しました。この全文は意見広告のホームページに掲載されると書かれていました。
香川県高松市にお住まいの矢代さんが書かれたその文章には、毎週金曜日、午後6時から7時までの一時間、高松天満屋前で「イラクの自衛隊派兵に反対」「平和憲法をないがしろにするな」などマイクでアピールしチラシを配っていると書かれています。
何処かで誰かが叫んでいる、行動しているそう思えると力が湧いてきます。
お互いに頑張れると思えませんか。私はそう感じます。
もう一つ訪ねていただきたいホームページがあります。
今朝、読んだのですが旧ベ平連サイトの談話室73番「日本人外交官の死と自衛隊イラク派兵 」という投稿の文章です。
テロという言葉が充満している現在、大切な呼びかけをされています。
そして、皆さん意見広告を周りの方へ広めてください。
一人がひとりに声をかければその人がまた声をかける、そしてまた広がっていく素敵ですよね。
自分でできる事、頑張りましょう。
意見広告のチラシと「殺すな」バッジは何時も持っています。
声をかけて下さいね。(おおきせいこ)