まだ、間に合うきっと間に合う!! 大木晴子
地上は、一人、またひとりと立ち始めました。
雲さんのプラカード(フォトアルバムで読むことが出来ます。)に
足を止め、話をしていかれる方々がいました。
地下広場に降りると丸木美術館の「ヒロシマ忌」でお会いした方が
新しいプラカードで立たれました。
そうです!まだ間に合います!!
OさんとTさんの間には、雲さんがこしらえた黒猫ちゃんが「NO WAR」
Kシスターは、一週間間違えて私がアメリカへ出かけていると思い
最初の頃にもっていたプラカードで立たれました。
広場の広告塔が新しいスポンサーに替わりました。
それぞれの柱に立つ意思表示を見ていく人がいます。
私の所には、少しアルコールが入って手に酎ハイの缶を持った男性が
声をかけてきました。とっても素直な面白いひとでした。
話は酔っているので口説くなって「お酒が入ってない時に話がしたい」
と私が頼むと「う?ん」と考え込んで少し恥ずかしそうに
「そうしよう」と言って一度帰りました。
暫くして、広場の真ん中で私たちの人数を数え始めました。
そして、売店で冷たい飲み物を人数より一本多く買って
私の所に持って来てくれました。
「おじさんから皆さんに渡されたほうが・・・」と私が言うと
「いいから、あなたから・・・」と
丸いタイルが剥がされて寂しくなった広場の人込みの中に
消えていきました。
立たれていた皆さんは、はじめ私が絡まれていると心配を
して見ていたそうです。
おじさんが持って来てくれたビニール袋を見てみなさん
嬉しそうに笑っていました。
気持ちの良いスタンディングでした。
私は来週、お休みをします。
5日からアメリカへ出かけます。
サンフランシスコ、ボストン、ニューヨークを訪ねます。
5年目の9月11日は、ニューヨークです。
アメリカから更新出来るように頑張ります。
雨でも★が出ていても訪ねてください。
「明日も晴れ」
(06-09-03・おおきせいこ)
三年と七ヶ月が過ぎた!Kさんとずっと一緒! 大木晴子
このページを書きながらパソコンの前に置いてある千円札を時々みながら
じ?んと心の中に湧いてくる温かさを感じながら書いています。
三年と七ヶ月になった八月最後の土曜日は、何時もより一時間早く新宿へ向かいました。
今日は第四土曜日、辺野古支援の行動日です。
「辺野古への基地建設を許さない実行委員会(辺野古実)」は、
月一回(第一月曜日)の防衛庁前抗議行動の他に、街頭情宣を、
ほぼ第四土曜日に行なっています。
場所は、銀座のマリオン前や新宿西口小田急前などで行われています。
今日は、何時も意思表示をしている場所の近く新宿西口小田急デパート前でした。
私も日本山妙法寺のお上人と一緒にチラシを配る皆さんの側で「NO WAR・非戦」雲さんが
書いた文字のプラカードと平和のバンダナの旗でスタンディングをしました。
「チラシを受け取ってください。無関心にならないでください。」と声がけをしながら立っていました。
暑い中を様々な年齢の方々が沖縄辺野古支援に駆けつけて来られ三十人ぐらいいらしたでしょうか・・・。
「沖縄の皆さん!東京も元気に繋がっていますよ!!」
と大きな声で伝えたいような気持ちで五時からは何時もの
ビッグイシュー を販売する宮川さんの横で立ち始めました。
宮川さんは、「ニッパチだからね?、売れないんだなぁ?」と少し寂しい顔で言われました。
「みんな、困っているみたい」と言葉が続きました。
皆さん!一冊多く買ってください!!
友達に広めてください!!
優しい,温かい心でつながりましょうよ!!
今日の地上の意思表示は、雲さんは作品展でお休み、
皆さんいろいろあるようでKさんと二人のスタンディングになりました。
はじめ四人で三年と七ヶ月前に立ち始めた頃を思い出していました。
お身体を悪くされて立たれなくなったY瀬さん、一年でやめられたHさん、
そして凄い台風の日も頑張ったKさんが目の前で辺野古支援のチラシを配る姿を
みながら意見広告「第1期意見広告運動」 のことも思い出していました。
意見広告運動は、Kさんが言い出しっぺのひとりでした。
私たちは、重いチラシを持ってたくさんの集会やデモへ。
一人ひとりに声をかけて配りました。
毎日がクタクタでしたが、心は明るく元気でした。
ほんとうに楽しく運動を広めていくことが出来ました。
私も「事務局だより」を書きました。
「事務局だより」を書いたから今のホームページが作れたとおもう。
Kさんと過ごしてきた時間は、大切な私の記憶になりました。
これからも私たちの平和を育む時間は続きます。
先に書いた「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」の
長老の方が帰りがけに声をかけて下さいました。
「あんた、頑張っているね?」
とその短い言葉の中にたくさんの思いを感じることが
出来る声で言っていただきました。
そして、ポケットからお金出して「カンパ?」と
千円札が私の手の中に渡されました。
この時、バンダナが残り少なくなってきたので今日から何時も持ち歩くことを
やめたことを後悔しました。
今度、防衛庁前でお渡ししよう!!
でも、「あんた、頑張っているね?」の言葉は、Kさんと一緒に
言っていただいたようで嬉しい土曜日になりました。
宮川さんと私の前でテッシューを配っている明るい若者の腕に入れ墨が入っていました。
「本物かなぁ?」と宮川さんに聞きました。
宮川さんは、 入れ墨 はとても痛いから書いているだけではと思ったようです。
私も昔ドキュメンタリーで入れ墨を扱った映像が記憶に残っていて気になりました。
「ちょっと聞いてもいいかなぁー。この入れ墨本物!」と若者に声をかけました。
「若い人たちによく見かけるけど本物かどうか気になっていたの」
と続けると腕をまくって見せてくれました。
とっても痛かったそうです。
明るく屈託の無い若者の表情からは「後悔」という思いは感じられませんでした。
彼の肌に刻まれた絵柄見ながら私の中で何処か偏見であった気持ちが
軌道修正できたような気がしました。
6時、広場は少ない人数ですが個が力強く立ち始めました。
K島さんの言葉です。
Kさん は、何時も雲さんが立つ柱で一人意思表示でした。
K島さん,Kさんそして私が立ち始めるとkiss-meさんが・・・
しばらくするとK松さんとKシスターが立たれました。
Kシスターは、取っている英字新聞に掲載されているアメリカの天気予報の
切り抜きをくださいました。
何度もアメリカへいらしているシスターは、「サンフランシスコは
20度を切っているみたいよ」と親切に私の旅を気遣って下さいました。
今日は、久し振りに「市民の意見30の会・東京」のYさんが来られて
「平和」の文字でスタンディングでした。
雲さんがお休みでも雲さんが書いてくださったプラカードは大活躍でした。
お仕事を終えて駆けつけるSさんは、広場でその時の思いを書いて立っています。
ムキンポさんが隣りに立ちました。
お気に入りのTシャツを持って意思表示でした。
十人目は、先日イスラエル大使館前で一緒に
意思表示した かぶと虫さん でした。
かぶと虫さんは、柴犬ジローになって
「武力で平和は つくれない!」と訴えていました。
(06-08-27・おおきせいこ)
幸せを感じる!だから平和を育む!! 大木晴子
八月半ばの土曜日は、朝から嬉しい出来事がありました。
チャイムが鳴って、近所のTさんが・・・・
「ジローくんとゆきちゃんの毛でこしらえた毛糸よ」と
きれいに紡いだ糸を届けてくださいました。
少し前に、ジローたちの毛で糸を作りたいと言われて
シャンプーをした時に抜けた毛をお渡ししました。
頂いた糸を袋から取り出すとジローもゆきも
“くんくん”と匂いを嗅ぎました。
自分たちの匂いがしているので不思議そうでした。
ジローは糸の中に鼻を突っ込んで嗅いでいました。
添えられたお手紙には、犬の毛だけだと短くて硬い為に
羊の白い毛とブレンドして紡いでくださったそうです。
そっと頬にあてると、優しい糸はジローとゆきの香りがしました。
嬉しいことは続きました。
ポストに振替用紙が届いていました。
「アメリカの旅、楽しんできてください。
HPでのご報告お待ちしています。」と山梨のAさんからです。
添えていただいた言葉に励まされて旅支度の準備も始めました。
バンダナの収益金で「殺すな」バッジを買いました。
バッジに添える英文の説明もリバーベンドブログ翻訳チームの
山口陽子さん が引き受けてくださいました。
いろいろなかたちで、たくさんの皆さんの平和を育む思いと
一緒に繋がることが出来ました。
大切にして旅をしてきます。
用を済ませると今日は何時もより早く家を出て
新宿で行われている今年で二十七回目を数える
「平和のための戦争展2006」 の会場へ急ぎました。
展示の様子は KY生さんのページ を訪ねてください。
特別展示「阿媽たちのまなざし」は、お一人お一人の言葉を何度も繰り返して読みました。
この展示は、これからも各地で見られるようになればいいなぁーと
願いながら新宿西口地下広場を通ると・・・・。
皆さんは、気づかれていましたか。
あの地下広場の丸いタイルが剥がされ始めたのを!!
懐かしいなぁーと思われる方は、早く通られるといいですね。
きっと、近い将来様変わりするのではないでしょうか。
そうなると記録映画「地下広場」の映像は増々貴重に!!
雲さん、Tさん、OさんとKさんそして私、宮川さんの横で
元気に一時間のスタンディングでした。
Tさんの言葉!!
雲さんの言葉!!
6時、地下広場に人びとの心の声が響きます。
ほら!あそこの柱に。
あっ!あそこにも。
誰だって戦争はイヤ。
平和がいいと思う。
フォトアルバム に掲載したK島さんの言葉が響きます!!
『クルド人難民二家族を支援する会』 で活躍され、
記録写真を撮られている周さん も
「クルド人難民デニズ・ドーガンさんの収容・
送還の停止を求める緊急行動」のプラカードを
持って立たれました。
光の柱には、レインボーの旗がきれいです。
ほら!写真を撮っている人もいました。
私のバンダナでこしらえた旗も光の柱にあいます!!
Aさんは、私が写真を撮る間、何時も持って下さいます。
そのAさんが「Oさんの今日の言葉も良いわねぇ?」と言っていました。
Oさんの言葉です。
斎藤信明さんの足下の紙袋には、庭で収穫した小粒だけど美味しい葡萄が入っていました。
意思表示の後、皆さんに一房ずつ下さいました。
今日は、最後まで嬉しいことが続きました。
雲さんがニューヨークでスタンでイングをする為に
プラカードを作って下さいました。
「非戦」と日本文字を入れたプラカード、
素敵な意思表示が出来そう!!
あぁ、入国拒否されないようにお祈りしょう!!
(06-08-21・おおきせいこ)
★もうひとつ素敵なことが・・・・。
この写真のお二人が、意思表示をゆっくりとご覧になっていました。
Tさんたちの柱で少し話をされてから私の方へ歩いて来られました。
「ありがとう、ありがとう」と言われてお帰りになりました。
後ろ姿も温かく感じたお二人でした。
8月第2土曜日?忘れない2006年の8月15日 大木晴子
12日の土曜日も雷がなったり落ち着かない天候の中バスで駅に向かうと
落雷の為にJRは止まり人びとが地下鉄へと動き出していました。
私も乗り継ぎ地下鉄で新宿へ急ぎました。
小田急前地上のスタンディングは、雲さん、Aさん
そして今日初めて立たれた男性の4人でした。
この方は、先日の丸木美術館「ヒロシマ忌」の集会でスタンディングのことを聞き
一緒にイスラエル大使館に立ちたいとプラカードを作られたそうです。
久し振りに地上の写真に私もおさまることが出来ました。
上の写真は、「平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動」のデモに行く途中に
寄ってくださったムキンポさん に撮っていただきました。
今日は、お盆休みに入りそれぞれの予定があるだろうなぁーと
思っていましたので、立たれる方が少ないかなぁーと雲さんと話していました。
雲さんは、プラカードのメッセージを替えて立たれました。
レインボーのKさん、「PACE」の旗が目立ちます。
次々と柱に立たれる人たち!
K島さんの言葉です。
わかりやすい言葉、力強い文字、彼女の心が伝わります。
九州でのさだまさしさんの「平和コンサート」を聞き、元気を貰い
笑顔で立たれたAさん、K松さんと話が弾んでいました。
私の隣りのお二人は、初めて立たれたかたです。
30分が過ぎた頃に、広場の真ん中で7?8人の方々が
私たちの様子を見ていました。
一人の方がkiss-meさんに声をかけました。
その後、私の所にいらして「Kシスターは、立たれていますか。」
とたずねました。
お話を伺うとKシスターから英語を習っている皆さんでした。
Kシスターがこの西口で立たれている姿を写真におさめたいと
一眼レフを持った方も来られました。
その方に、シャッターを押していただきました。
暫くして、Kシスターが来られて、大勢の教え子さんが立たれていて
ビックリしていました。
そして、直ぐに優しい眼差しで見つめるその姿に
「今日もここにいられたことを感謝しました。」
意思表示の後にkiss-meさんと一緒に渋谷のアップリンクで
上映中の 『ヨコハマメリー』 をみました。
この映画は、ヨコハマメリーと呼ばれた一人の女性の実像に迫る取材記録です。
歌舞伎役者のような白塗りで私は着れないと思ってしまう可愛いいドレスに身を包み、
戦後の半世紀をヨコハマの街頭で立つた娼婦メリーを知る人びとが語ります。
その言葉に人は活き続けるんだなぁーと思う。
自分を見つめ邪念のない生き方が最後には帳尻があうのだと
何時も思っていることが確認できた映画でした。
ラストに近づくころ、カメラは一人のおばあさんの横顔に止まる。
そして画面に「メリーさんです」と映し出されたときの
身体から突き上げる温かさを私は決して忘れない。
私たちの前の席には、お話が上手な有名人も鑑賞されていました。
8月14日(日曜日)明治公園でのヤスクニ行動
詳しくは、KY生さんのページ やムキンポさん のサイトを訪ねて下さい。
(ムキンポさんのサイトからお借りしました。)
私のページに投稿してくださったKさんも元気に参加していました。
Kさんの 「平和をつくろう!」 と言う大きなかけ声と
腰に付けた平和のバンダナを見て「お母さんは活きているなぁー」と思いました。
15日の映像は、「これが現実!でも私たちは大らかに歩みます。」の
ページに掲載します。
(06-08-17・おおきせいこ)
個が・・・活きるとき・・・丸木美術館「ヒロシマ忌」 大木晴子
2006年8月6日、朝から暑い一日が始まりました。
今日も長い時間、留守番をするジローとゆきの散歩は
何時もよりゆっくりと歩きました。
「あの日のヒロシマも暑かったのよ。あの時まで日常の
風景があったのよ。犬や猫たちと会話をしている人も
いたでしょうね。」私はふたりに話しかけて歩きました。
12時、池袋から出る電車に乗る為に急いで連れ合いの食べ物を
用意して丸木美術館へ向かいました。
毎年、広島へと思いながらなかなか行くことが出来ないでいました。
今年は、丸木美術館の『ヒロシマ忌』を知り、
心を繋げたいと願っていました。
美術館に着くと人がいっぱい!
友の会の皆さんが美味しいカレーやこの暑さにピッタリのかき氷、
冷えたビールには、無農薬の枝豆をつけて販売していました。
幼子たちがビニールプールで元気に遊び、
川や緑の樹々を通って吹く風は贅沢なほど幸せを感じさせてくれました。
雲さんと二階に上がり『原爆の図』を訪ねました。
雲さんは言いました・・・「今日は、色が見えた。」・・・と。
原爆の図は、訪ねる度に新しく心に刻む思いがあります。
虹の絵の幼子は、今日も口を動かしていました。
平和を育む人びとの心地の良い雰囲気に
彼女も気持ちが良かったのでしょう。
外へ出ると川越城西中学高校の和太鼓演奏が始まりました。
太鼓の響きを身体で感じながらこの子らが生きる未来が戦争のない
平和だなぁーと思える世界にと願わずにはいられませんでした。
続いて多彩に活躍されているアーサー・ビナードさんの講演でした。
美しい言葉で語り、わかりやすく人に思いを伝えることの大切さを学びました。
彼が監修と文章を書かれた絵本に素敵なサインをしていただきました。
「くうきのかお」 (福音館書店)
アーサー・ビナードさんは、仏画やキリスト教の絵が宗教を伝え残すように、
『原爆の図』も、数百年後の時代にこそ、歴史を伝える真の力になるだろう・・・
と言われました。
暑い太陽の光が少し傾くころ、「鳩になって、ヒロシマ・ナガサキ平和のうた」
橘 麗子さんのソプラノコンサートが始まりました。
「千の風になって」が選曲の中にありました。
五つ違いの兄を思い出しながら心の中の兄と一緒に聞いていました。
川も樹々もそしてたくさんの蝉たちも共に過ごしました。
蝶も飛び、携帯で撮る人も!!
とうろう流しの前にミニ集会がありました。
私も少しだけお話をさせていただきました。
西口のこと、「原爆の図」の出会い、イスラエル大使館前の
意思表示のこと・・・平和を育んで生きていきたいことなど。
被爆体験を語る詩人の橋爪 文さんは、
「人間よ英知と愛を」=広島からの出発=という詩集を
持って語り部をされてきました。
その詩集の中から数編を読まれました。
「校 庭」
<さくまかづこーォ>
<さくまかづこーォ>
累々と地を埋めた屍の中に倒れて
かづこは さっきから父の声を聞いていた
声は近づき 足もとに立ち止まった
だが
焼けただれた目に父の姿を見ることはできず
手も足ももう自分のものではなかった
焦げた襤褸布のように横たわる人々の中に
わが娘を見分ける術(すべ)もなく
父は ただ
悲痛な叫びをあげて歩きまわった
かづこも叫んだ
けれど
焼けた喉は声をなさなかった
父の足音が
声が
遠ざかって行く
向こうへ消えて行く
かづこの頬を止めどもなく涙が流れた
それだけが生きている証しだった
ご自分の体験を書かれた詩だと伺いました。
7時過ぎ、川辺に降りて子どもたちがこしらえた灯籠を流しました。
ヒロシマと心を繋ぎ平和を育んでいくことを誓いながら・・・・。
(06-08-08・おおきせいこ)